<2024.7.7 K.Kotani>不定期連載 あの頃、我々は何をやっていたのか ファントーシュとFilm1/24 そして


毎月読める日本で唯一の自主アニメ情報誌

月刊近メ像インターネット


2024年7月7日

不定期連載 あの頃、我々は何をやっていたのか
ファントーシュとFilm1/24 そして



アニメーションの自主活動について振り返ってみたい。
 あの頃、というのは、1970年代から80年代、我々の世代がアニメファンとなって、サークルを作ったり、自主上映をやったり、同人誌を発行したり、自主製作アニメを作っていた頃の話である。
 我々、というのは、つまり我々の世代、あの頃にファン活動をしていた、中高生から大学生、一部社会人も含んだ、アニメを観るだけではなく、何らかの活動をしていた人たちである。
 それは、ファン活動をしていたのだろう、と言われるかもしれないが、そういう風に一言ではすまされない事があの頃には起こっていたのではないかと思える。
 この時代のファン活動、というのは、最近(というのは、2000年以降位のここ20年くらいだが)、よく発表されるアニメーションの歴史についての文献・図書においても触れられている事があるが、「この頃からいわゆるアニメーションファンの活動が活発になった」とか、「ファンがセルの収集に夢中になり、盗難事件まで起こった」とか、断片的に触れられているだけで、供給する側の製作現場、興行現場、スポンサーの動き、などについてはそれぞれ関連した動きについて分析されていても、ファンサイドについては、「お金を払って観に来る人たち」「関連グッズを買う人たち」というくくりで処理されているだけであるようだ。

前回は「長編アニメと自主上映」について書いた。続き。

3.ファントーシュとFilm1/24





 さて、時は1975年、上映会巡りも習慣化してきた頃、ある情報がもたらされた。それは日本初のアニメーション専門誌、「ファントーシュ」が出る、というニュースである。「これは買わないといけない!」とあわてて大きな本屋(梅田の紀伊国屋)に走ったが、「そんな雑誌はありません。」と言われた。その後、どこかの上映会場の受付か、通販で申し込んで買ったと思う。「季刊ファントーシュ創刊号」300円!
 中を見ると、さすが「専門誌」だけあって、全部アニメーションの事が書いてある。いままでいろんな本や雑誌でアニメーションの「断片」だけの情報しか手に入らなかったのであるから、「狂喜」するしかない。古生物学者が化石の発掘をしていて、「歯」だけとか、「骨の断片」とかの化石だけしか手に入らなかったものが、いきなり新種の恐竜の全身骨格を掘り出したようなものである。とにかく繰り返して読んだ。
 内容は、自主制作アニメから海外の短編アニメ、日本の長編アニメやテレビアニメまでの広範囲にわたるアニメーションの紹介や評論、資料と技法の説明など、アニメーションの事ならなんでもあり、映像雑学に類するものまであった。書いているのは、当時日本で有数の研究家のみなさんと、当時のアニメの現場で仕事をしていた皆さんである。
 その後の発行人の談によると創刊号はあまり売れず、「在庫の重みで家の床が傾いた」そうであるが、ファントーシュはその後7号まで発行され、休刊後復刊してさらに4号発行された。全国のアニメーションファンに貴重な情報と知識を提供していたと思う。



 さて、ファントーシュの2号が出たあたりで、「東京アニメ同好会」(アニドウ)という所の会報が活字化されて出る、という話を聞いて早速手に入れた。「月刊Film1/24」という名前で、元々手描きオフセットだった会報を活字化したい、というアニドウ側の意向と、「ファントーシュ」創刊責任者の方が何故か「ファントーシュ」の編集部を追い出されてしまったという事が重なり、元「ファントーシュ」発行責任者の方が発行人、アニドウで1/24の編集をしていた方が編集長、という形である。
 手に入れた「Film1/24」8号は、サイズはB5でA4サイズの「ファントーシュ」に比べてやや小さいが、内容は充実していた。この後、活字版「Film1/24」は、1984年7月に32号が出るまで、発行され続けた。どちらかといえばテレビアニメ寄りの傾向が強かった「ファントーシュ」に較べて、海外アニメや、国内のアニメ史関係、制作現場寄りの記事も多い1/24は、この頃の研究指向の強い若いアニメファンの支持を受けていたと思う。
 もともと東京アニメ同好会はアニメファンサークルではなく、プロのアニメーターを中心とした、「作る側」からの研究指向の強いサークルで、森卓也氏や杉本五郎氏等のアニメ研究界の長老格の方々も顧問として参加されていたような団体であったから、質の高い情報・知識に裏打ちされた記事が掲載されても不思議ではない。


(写真は、後でリプリントされた手書き版の1/24)

 この頃に1/24を読んでいた世代は、その後大学等でのアニメーション学科の教員になられた方も多く、その方々もこの数年で続々定年で退官されている。故・渡辺泰氏など、「研究誌」としてのFilm1/24を高く評価されている方も多く、その後の日本のアニメーション研究活動に於いて、当時の若い研究家の基礎教養の形成に大きく貢献したと思われる。現在読み返してみても、その掲載内容は決して古くはなく、今でも「1/24」にしか情報のない事項も少なくない。また、当時の業界の内容を伝える部分でもさすが現場の人間の作った記事であって、実態の深奥に迫る内容も多かった。

 さて、この「月刊Film1/24」だが、活字化開始当時は「月刊」に近いペースで発行されていたが、多忙なアニメーターの方が仕事の傍らこのように質の高い雑誌を毎月出していける筈も無く、次第に発行間隔が広がって来た。当時は「申し込んでお金を送ったのに来ない」という文句の手紙等が来たと、同誌の記事にもある。だんだん間隔が長くなるにつれて、とうとう「月刊」の看板をおろして季刊にしたが、それでも追いつかず、32号に至っては、31号との間隔は3年数ヶ月である。
 この間隔を埋める為、準月刊で数ページの「Film1/18」という会報が発行された。これは、「1/24」の読者なら無料でもらえた。スタイルは活字化以前の「1/24」のような感じで、上映会やイベント、新作アニメの紹介などだった。



 その後、無償の1/18はなくなって、有償の「1/30」が代わりに出された。定期購読料3号で3000円だったと思う。その後電子化されたが2001年を最後に途絶えている。

 さて、1978年に、初めてのアニメーション商業誌「アニメージュ」が創刊されると、状況は徐々に変わっていったようだ。アニメージュは月刊で、サイズもA4で、最新作の大判カラースチルなども多数掲載されており、ベージ数も多かったが、テレビアニメ主体のアニメファン向けの記事が多く、「あまり読む所がないなあ。」というのが正直なところであった。
 私は、最初は、「僕らの実践アニメ塾」のような制作講座の記事もあったりしたので毎月買っていたが、次第に「広島フェス」のレポートの載っている号と、マンガの「ナウシカ」の載っている号しか買わなくなった。
 しかし、一般のアニメファンには、書店で毎月売っている上にアニメの図版豊富で声優のインタビューまで写真入りで載っている「アニメージュ」の方がよかったようで、定期購読者最大2100部強の1/24に対して、数十万部の販売部数を獲得し、他社からも続々と類似誌が出た。
 さて、1980年に、どちらかというとテレビアニメ寄りだった、復刊後のファントーシュが復刊4号を最後に発行を停止した。1/24も、1984年に32号を出してから発行が止まっており、(編集は続けていたらしく、1985年の第一回広島フェスでは、全作家にインタビューを行ったむね当時言明している。)その後は発行遅れが続いていた状態だったが、最近のアニドウ公式サイトでは、「休刊中」となっている。
 1980年代頃には「BREAK TIME」や、「アニメダマ」などの業界関係者の出していた情報研究誌も出ていたのだが、1985-87年頃にはいずれも休刊している。



 これらの諸誌の休刊・発行停止の時期は、奇妙な事に、自主制作アニメーションの退潮期と重なっている。1970年代後半から80年代初めに大きく盛り上がった自主制作アニメーションだが、80年代半ばにははっきりと失速の動きが見え、以後90年代半ばに再度盛り上がりの気運が見え始めるまで、まさに「氷河期」に突入したような状況だった。
 また、自主アニメサークル活動・自主上映活動も同じ時期に退潮期を迎えていたようである。「海のトリトン」や「レインボー戦隊ロビン」などの番組別のファンクラブなども1980年代半ばには姿を消し、1970年代頃に盛んに各サークルで発刊されていた同人誌も姿を次第に見なくなった。「そんな事はない。今でも同人誌はいっぱいあって、コミケなどでは山のように売っているではないか」と言われるかもしれないが、いま主に売っているのは、二次創作と個人創作の同人誌であって、当時自分の好きなアニメについてサークルで熱く語り合っていた連中が自分のアニメ論を書いていたり、好きなアニメの資料を紹介していた同人誌ではない。また、毎月のようにどこかで行われていた自主上映も少なくなり、時々行われる自主上映でも、かって会場を埋めていたファンは今いずこ、「ガラーン」という擬音が空席に響き、「客が来ないからやっても仕方が無い」という声もその頃には主催者側から聞かれるようになった。
 自主アニメの衰退については、ハードウェア面では、8mm撮影機材の市場からの退場がひとつの原因としてあげられる。だれでも簡単に手に入れられたり、家にあったりしたコマ撮り可能な8mmカメラがこの頃にほぼ無くなってしまったのである。代わりの手段としての16mmカメラの入手と撮影への壁はとてつもなく厚く、その壁を突破して制作を続けうるのはごく少数のものに過ぎなかったのだ。
 自主アニメサークル活動・自主上映活動の衰退については、おそらく、商業アニメ情報誌の登場や、アニメ作品のソフト化の充実が原因のひとつと思われる。1970年代前半、なんにもなかった頃には、同好の志が集まって作品やアニメーションについて語ったり、研究成果を書いて同人誌を発行して発表したりするしかなかった。また、海外の短編アニメや、国内未公開の海外長編アニメなどの作品についても、いちいち上映会に足を運んで鑑賞するしかなかった。しかし、アニメ商業誌が発行されるようになると、それを買うだけで豊富な資料や情報が手に入る。ほとんどのアニメファンにとってはそれで十分で、あらためて自主アニメサークルを探して入る必要がなくなったのであろう。また、今まで上映会に足を運んで鑑賞するしかなかった作品についても、VHSやレーザーディスクで続々商品化され、町のレンタルビデオ店でも借りられるようになってきていた。後にはインターネットで海外通販の利用もできるようになった。収集マニアの自宅は希少アニメ作品のソフトであふれかえり、「観る時間が無い」「何を持っているのか判らない」という状態もあらわれた。広島フェスでガリ・バルディン監督の怪作「狼と赤ずきん」が満場の手拍子の中で上映された後、「なんとかもう一回観る方法はないか」とファンが大騒ぎして「ロシアまで買いに行く」という話もでたあたりで、「これじゃないの」と、ひょっこり某収集家がその作品を持って現れた、という話も聞いている。
 アニメファンがいなくなった訳ではない。現にアニメ情報誌はバンバン売れていたし、ソフトや関連グッズももバンバン売れていたし、いまでも売れている。ただ、1970年代後半から熱心にファン活動していた世代が姿を消し、新しい世代と交代したのであろう。
 私は1981年に大学を卒業して社会人になった。私と同世代の方々もほぼ同じ頃に社会人になったと思う。多くの方は「社会復帰」(当時のアニメファンの隠語で、「ファン活動からの引退」を差す。当時の隠語では、「民間の方」というものがあり、「アニメファンでない、普通の人」を差すものもあった。)し、その後多くのファンクラブ・自主制作アニメサークルは自然に消滅したり解散したのである。

 さて、「その後」である。
 全国に雨後のタケノコの如く発生したアニメファンサークルの多くは消失した。自主制作アニメーションは90年代半ばからのアニメ制作デジタル化の普及とパソコンの高性能化・低価格化の波に乗って復活した。では、「ファントーシュ」や「Film1/24」などの「研究誌」はどうなったのか。

 「アニメージュ」「ジアニメ」「マイアニメ」「ニュータイプ」「OUT」などの商業情報誌では、代わりにはならない事は当時から判っていた。たまに「広島レポート」や、「海外短編アニメ」などの紹介も載ったりしている事もあるが、載っているかどうか判らない半ページや数ページの記事を読む為に買うのはどうかと思われた。毎月立ち読みして興味のある記事がある月だけ買う、という手もあるが、最近は透明フィルムで梱包されていたり、付録のある号等はくくられていて内容の確認ができないのである。
 代わりの「研究誌」としては、日本アニメーション学会が年二回位発行している機関誌「アニメーション研究」がある。これには、学会メンバーの執筆した論文が毎号数点収録されていて、内容のレベルも高い。高いが、問題もある。学術論文というものは学術的正確性が優先されるから、難解であり、読んでいて面白いものではない。さらに、読者は学会員限定であって、一般の人が申し込んで購読できるものではない。「購読会員」という制度があるが、図書館その他の法人限定である。「賛助会員」という制度もあるが、年間一口5万円である。一冊2万5000円である。もう少し出すと、古本で「コナンの黒本」が買えるくらいの価格である。
 一般会員の場合は年間8000円であるが、基本学生不可、大学等の教員等の研究者が対象である。「アンタは何で入れたか」と言われそうであるが、私は古くからの研究者であって、恐れ多くも学会設立時の設立呼びかけメンバーの一人である。おそれいったか。



 その他、「アニメスタイル」という、現在ではWeb上に展開されている雑誌がある。アニメーター側から見た研究誌、という点では「1/24」と同じではあるが、内容が現在の日本の商業アニメに限定されていて、海外のアニメーションやアート系短編についてはほとんど記事が無い。
 その他、「アニメーションノート」や「夜想」(時々掲載)などの雑誌もあったが、現在は休刊。ジブリの「熱風」は毎月刊行中だが、アニメーションの一般記事は無い事はない、という程度である。
 かと言って、「アニメーション研究」というものがなされていないのかと言うと、大きな書店のアニメ関係書のコーナーにいくと、作家研究や作品研究、資料集などが「ぎしっ」と並べられている。並んでいる、という事は売れているのであって、アニメーション研究に関心をもつ人は沢山居る、という事である。
 昔は、そういう本は「全部」買っていて、この「月刊近メ像」にも、「NEW BOOKS」としていちいち紹介していたが、最近は「全部」買うとものすごいお金がかかるし、置く場所もないので、「アニメを作る事」に直接関係のありそうな本しか買わないのである。
 では、そういう研究書がたくさんあるから、「研究誌」は要らないのかというと、あったほうが良い。最新の研究情報、アート系の海外作品の紹介と上映情報、連載のコラムなどの載った、小ぶりでよいので、アニメーション全般の事を扱ったカジュアルな研究誌があれば毎月楽しいのにな、と思うのである。

(4. 「PAFと自主アニメの熱狂」 に続く)

(1.「トリトン」の頃)
(2.「長編アニメ」を求めて)

 

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