venice (chapter
02)
●観光地の裏側
サンマルコ広場につくと不思議と風雨は収まっていたのである。たった数百メートルの運河を挟んだ対岸にもかかわらず。遠くに日も差し始め、天気回復の兆しがあるホッとする。さっき来た対岸のchiesa
della salute寺院の廻りの雲もだんだんと切れてきた。良い兆候。
旅行に行って何が大変かというと、雨の中を歩くことである。靴はぬれてくるし、結構寒いし、体力は消耗する。このあとの旅行は、ずっとこの様な降ったり降らなかったりと、天候不順に付きまとわれる結果となったのである。
さて、今日の目的地は、サンマルコ広場を海を正面に見て左手の遠くに見える街外れである。遠くには緑の公園らしきものが見えているところ、そこに行ってみたい。ここに行きたかったのは、単なる直感である。結局緑のあるところにたどり着いたところ、結局は単なる公園だった。たいした事ないので、横道それて、結構広い街路(まあ、商店街みたいなもの)に行くとする。
丁度入口のところ、ここの商店街のヌシとも思われる小犬が忙しなくあっちこっちと走り回っている。別に、誰に吠えるわけでもなく、ただただ、あっちこっちと向きを変えて、走りまわっているのだ。なんだろ。
この忙しなさは、犬までイタリア人そのものじゃないのか。偏見かな。
さて、ここの街路は、あの喧騒のサンマルコ広場と違って、とても静か。もちろん観光客相手のお店は沢山並んでいるが(というか、観光立国なので当然なんだろうけれども。)何しろ、人が減った分だけ、落ち着いて廻りとお店を見渡せる。道幅も広く、ゆったりとしている。さすがに、ヴェネチアンガラスを陳列しているお店は多いが、ここはジッと我慢。明日にはムラーノ島に行く予定なので、そこで買うことにしている。
そこの商店街(?)を通りすぎていくと、だんだんと街としての表の顔というよりは、裏の顔をのぞき始める。枝分かれしていく小道をちょっとのぞくと、そこは明らかに、ヴェネチアでの庶民の生活の香りと風景が目に入ってくる。色とりどりの洗濯物、人の声、路地に座っている老人、窓から顔を出しているママンなど、まさしく”イタリア!”という感じのキーワードがそのまま並ぶ街角がそこにある。見ていてもとても楽しい。逆に見られているイタリア人は全くの迷惑というか、日常なのに何でそこまでじろじろ見られなくちゃ行けないのかという目つきで見られる。しかし、それでも決して嫌な顔をしないのがこの街の良いところ。
さらに先を歩いていくと、いきなりポッカリと街から置いてきぼりにされた、寂れた運河にぶつかる。ここは、元気良くあっちこっちに人を運んでいるヴァポレットがあっちこっちにドック上げされていて修理されている。良く見かける木製のタクシー船もところどころ置いてあり、廃船もあり、舟の墓場とも思えるくらい。ここは観光客に見せる場所ではないのだろう。陰と陽の世界を垣間見た世界。未来少年コナン(昭和54年頃のアニメ、NHK)の一シーンでコナンたちが始めてインダストリアに近づくときの”あの”感じに近い(’誰がわかるんだろうこの表現)。まあいいや先に進もう。
さらに歩くと、小さくて白く塗られた教会にたどり着く。こじんまりとして、綺麗だったので、ちょっとスナップを撮って歩き出そうとした瞬間に、鐘が大音響と共に鳴り始めた。びっくりして見上げると、ここの塔は他の例に漏れず、傾いているだ。何度というのも言わなくても、目で見て明らかに、そして、相当に傾いているのだ。ここまで傾いているので、機能している思わなかったので、相当に驚いてしまった。それにしても、何でこんなに傾くまでほっといているのだろうか。鐘はちょうど12時を知らせてくれた。
腹は減っているが、今日は、僕らは、ピクニック気分で、屋外で食べる予定にしていた。手持ちには、マルコーニで多少余分にゲットしたハム&ジャム(良い子のみなさん真似しないで下さい!)とオレンジジュース、そしていままで食べずにいた、GRIENSTEIDLの巨大クロワッサンがあるのだ。しかし、天候は相当に変わりやすい。パラパラ降って来たり、晴れたりで、外で食べるにはかなりのリスクを背負う。やはり、ホテルに帰って食べるしかないと判断するも、まだまだ道のりは遠い。ひたすら、歩くしかない。
途中、造船所と呼ばれているところを通過して行き、何とも可愛らしいネコと出くわす。
しばらく、じゃれていたら、通り掛かりのイタリアおばちゃんが”フリッツィ!フリッツィ!”とそのネコに向かって呼ぶので、きっとこの近所のネコなんだろう。しっかり反応していた。僕は無類のネコ好き(犬も好きだけれども)で、20年にもわたって実家にいたネコにどことなく似ていた(種類ではなく性格的な系統が)こともあり、しばらくじゃれあうことにした。じゃれあうといっても、ここのネコたちは、ここの人間とか、犬とかと一緒で、とにかくマイペース。別にこっちの顔を見て、ニャッというわけでもなく、ひたすら自分の興味の持つものに向かって歩いていく。手持ちも袋をクチャクチャと音をたててれば、気になってそっちに行くし、こっちの手に何かを持っていると、気になってそっちに目をやる。決して、こっちの目を見て甘えてくるわけではない。こっちの飼い猫はみんな首輪をしており、そこに名前が刻まれている。もちろんこのネコもしっかりと"FRIZZTY"と書かれていた。
10分くらいは遊んでいただろうか、遠くから大きな声がしてきて(あっちこっちにいる修学旅行生っぽい)、フリッツィも警戒の目つきに。そうと思い立ったら、さっさと路地に消えていってしまった。顔立ちといい、茶目っ気たっぷりの性格といい、今回の旅行の中で一番に思い出に残るネコであった。今はどうしているんだろう。
●ヴェネチアの塔
さっきも書いたけれども、とにかくベネチアの塔はすべて傾いている。例外は無い、すべてである。ちなみに写真に撮ってきたものは、決してレンズの歪によるものではなく、実際に”傾いている”からである。とにかく、小さな広場には必ず教会と塔が立っており、この複雑なヴェネチアの唯一の目標物となっている。街路は、狭いので、見とおしが全く聞かない中で、塔を建てたところで、サッパリ見えないが、一応の都市計画上のルールとして、広場+教会+塔は決まっていたんだろう。何メートル四方にはこれらを建てる事が決まっていたのか、とにかくその数は膨大であることは確かだ。キリスト教を良く知らないので、流派はその数だけあるかどうかわからないが、とにかく必要以上にと思われるくらいに多い(彼らにとっては少ないくらいに思っているのだろうか。)。そして、そこの塔はどれもが思いっきり傾いている。どう見ても明日にでも崩壊してもおかしくないくらいに。しかし、ヴェネチアンは決してそれを否定しようともせず、すべてを受け入れている、たとえ明日になって崩壊して、無くなったとしても。いまさら、どうこういったって、仕方がないじゃないかと言われるだけだろう。時間と共に、そしてその時間がしっかりと刻まれている街、それがヴェネチアであり、その時間を確認するために人々を惹きつけて止まない理由がここにあるのかも。僕もとりつかれた一人になった気がする。
●最悪なディナー
食事は、全くにして個人的な主観だし、味も、まわりの雰囲気で、そして自分の酔いの度合いによって、評価はどうにでもなるので、人のいうことは余り期待しないほうだけれども、これだけはいえる。イタリアとはいえ、食事処にもアタリハズレはあるということ。世界に名だたるヴェネチアといえども。
なぜならば、そのようなお店に当たってしまったからだ。それにしても、この店は最悪であった。 オヤジは、調理台の上で新聞を広げてだらしなくいるし、さらに調理場で平気でタバコを吸っている若い見習もいれば、もうそれだけでも、気分は最悪。
出てきた料理は(すでに気分はもうあっちにいっているのでなおさらなんだけれども)まずい。 フィットチーネはもうアルデンテを通り越して、フナフニャ。ピザも、なんだか焦げすぎて、パサパサになりすぎて、ピザというより、焦げたパンを食っているみたいだ。イタリア人としての誇りはないねこの店。僕にとっては最悪だが、あえて載する。
AL VECIO CANTON
まあ、こんなのも経験するのも旅の良いところでもあるんだけれども。
気分を取り直すためにも、今日は早目に寝るとする。
2001.04.06.(fri)
●奇跡のヴェネチアンガラス
今日は、ヴェネチア最後の日。明日にはローマへと旅立つ。朝一番にサンタルチア駅にまず行き、eurostar を予約する。フィレンッエは二等車でOK、但しフィレンッエ←→ローマ間は一等車しか空いていないとのこと。土曜日ローマ入りだし、イースターの祝日のバカンスでもあり、ちょっと嫌な予感がした。
あとで、ローマ入りしたときにその予感が見事に当たってしまうことになるとは、、、
そんなことを露知らず、とにかく、ここサンタルチアからヴァポレットにムラーノ島までの急行便に乗る。運河を忙しなく発着しているヴァポレットと対して変わりない形をしているんだけれども、ムラーノ島へは、れっきとした外海。かなり揺られながらも、20分くらいで到着。しかし、今朝はいままでの天候の中では最高に晴れ渡っている。
ムラーノ島に到着。ここは、小さな運河沿いすべてが、ヴェネチアンガラスのお店がずらっと並んでいる。
信じられないが、ヴェネチアは承知のとおり、栄光盛衰を経験してきた都市。当時、世界を席巻したヴェネチアンガラスも、一時は衰退とともに、数世代に渡って全く作られていなかったとのこと。そして百数年の時を越え、復活をしたと聞く。これは人類の不思議というか、感慨深いものある。技術の伝承というものは、一日にして出来るものではない。それこそ手取り足取り、見習いながら何年もかけて体で覚え、そして受け継ぐものだと考えていたが、そのような常識をここにはなかったらしい。ガラスを見れば驚異に値する、精巧さと、美しさに圧倒される。どうやって復活させたのか、不思議でならない。
運河沿いのガラス工芸の土産物屋を物色しながら、その奥に今日のリストランテにたどり着く。 世界中を旅して、食べてそして自分のお店にフィードバックするオーナーがやっているとのこと。お店の半分は屋外にテーブルを出しており、晴れやかな天候とあいまって、最高のコントラストを描いている。前菜にサラダ、主菜にはフィットチーネとラザニアを注文。最高の環境と共に、とても美味しい食事ができた。別に世界を股にかけて旅行し、そして食事をしている結果がそこにあるわけでもないんだけれども、とにかく美味しい。昨日の夕食のもやもやはもうどこかにふっとんでいる。悪いときもあれば、良いときもある。
真昼間から、ワインも飲んでしまい、ちょっと気分良すぎのまま、そのままさらに奥にある土産物街を突き進む。
BUSA ALLA TORRE
compo s.stefano no.3 murano
tel 739-662
●ヴェネチアの男達
ムラーノ島の中にある、橋の真上でしばらく時間を過ごす事になった。妻は目の色を変えて、何か気に入ったものがないのか必死である。僕は街を見るために、建物やら路地やら、運河などに目がいってしまい、目的もなくうろうろと歩くのが好きである。一方で妻は、ウインドウショッピングやら、買い物やらでもっとお店に入って足を止め、滅多に手に入らないもの、とか気に入ったものとかに目が入り物色するのが目的。僕らの街を見る目的は正反対で、違うのである。
さすがに、ムラーノ島は“買い物すべき”もの絶対にあるらしく、ぼくは橋の上で彼女の買い物を待っている事にした。ぼくが買い物についていったところで、意見を聞かれて、”どう、これ”と言われても、結果として、明らかに自分の中では決定されているので、僕がいても仕方がないんだけれども。このプロセスが大切なんだと言われても、何とも返す言葉が、、、、、ない。ということで、僕は橋の真上で待っていることにした。橋の下をひっきりなしで船が通っていく。荷物を運ぶ船、漁船らしき船、観光艇などが途切れる事はない。ずっと彼等の表情を観察する事にした。これまた楽しい。
彼等ヴェネチアッ子は、器用に手足のごとく小舟を巧にあやつる。本当に、手足のように使っているのだ。舟は、慣性でしか動きがとれない、要するにブレーキがないわけだ。昔、大学生の頃、ヨットハーバーでバイトし、ヨットを操ったことがあるが、自分には無理だと悟ってしまうくらいに操作は難しい。体にしみついた技術はすばらしい。
そして、彼らは日常の中で永遠に繰り返される(だろう)同じ作業の中でも、楽しく自信を持って行っている姿に感動を覚えてしまった。彼等は決して今の仕事に対して、決して不満があるわけでもなく(少なくともそうは見えない)、生まれながらにしてファミリーが築いて来た伝統と歴史と、そしてヴェネチアに生まれたという誇りを持っているという自信が顔にみなぎっている。船頭は、一生船頭のまま、荷物運びは一生荷物運びのままで、一体何が悪い。日本人にありがちなアホなレポーターの質問に、“あなたは何故これをやっているんですか?”といわれた日にや、前文のような答えが帰ってくる事は目に見えている。”何が悪いんだ。”とね。
彼等は運命としてごく当り前のように受け入れているのだ。少なくとも僕にはそう写ったのだった。 日本のサラリーマンのなんとも貧相な顔だちが反面教師のように思い出される、、、本当の豊かさって何だろう。
●最悪にも、忘れ物を、、、
そして、いよいよヴェネチア最後の晩のディナーだ。すでに、かなりの範囲を歩き回っており、もうディナーはどこにするのかは決めていたのだった。st.toma広場(教会)に面するリストランテである。新鮮なサラダと、海鮮のパスタとピザを注文。どれも、申し分なし。ウエイトレスのおばちゃんも適度に、からかってくれて面白かった。
明日は、フィレンツェ経由でローマ入り、次なる目的地の情報収集をするために料理が出てくるまでに今回の旅行用に買ったイタリアのガイドブックをずっと眺めていたのだ。料理が出てきて、自分の横の椅子の上にカバンと共に置いたのが間違いだった。カバンの中にいれておくべきだった。
おいしい料理と、そして一杯のワインでほろ酔い加減で、そのまま”カバン”だけはしっかりもって、そのまま立ちあがり、帰ってしまったのだ。 哀しきや、新品のガイドブックは次の日になるまでは忘れたことを全く気づかずにいたのであった。
これからの困難をも知らずに、そのまま歩き疲れた体を休めるために、そのままぐっすりと寝につくのであった。
trattoria st.toma
s.polo 2864/a venezia
tel/fax 5238819
まだ、あのガイドブックはあるのだろうか。
2001.04.07.(sat)
●ヴェネチアを離れ、
次の朝はマルコーニの美味しい朝食も取れない時間の出発。こればっかりは、後ろ髪ひかれる。あの美味しいパンやら、ジャムやヨーグルト、そしてハムやベーコン、、、今思い出しても美味しさが思い出される。ここマルコーニは最初の部屋の位置こそつまずいてしまったけれども、インテリア、朝食、サービス、そしてテレビもちゃんとCNNも写っていることで、申し分ない。三ツ星ホテルであるので、値段もそれなり。運河の見える部屋はさらに10%近く高いとのこと。さらに季節による値段の差もある。当然ハイシーズンは高い。現金払いだと5%のディスカウント。優雅に、この夢の様なヴェネチアを過ごすには良いかもしれない。、ここのホテルの位置はリアルト橋に隣接して、とにかくどこへ行くにもとても便利。是非ともお勧めする。
hotel MARCONI ☆☆☆
30125 venezia s.polo, 729
tel 041-522-2068
fax 041-522-9700
チェックアウトして、ヴァポレットに乗る。きょうは、土曜日そして、イースター休日も重なり、早朝にもかかわらず、たいへんな人出である。当然ヴァポレットもかなり混雑している。そんな中で、ふと思い出したように、ガイドブックが無いことに気がつく。まさかとおもったけれども、時は既に遅し。昨日のst.tomaのレストランの椅子の上に寂しくたたずんでいるのであった。もちろん、こんな早朝にレストランが空いているわけでもなく、ましてや今日はフィレンツエ経由、ローマ入り。時間の余裕も無ければ、ましてローマで今晩泊まるホテルも決まっていない。
まだイタリアに入ったばかりで、これからの大半をガイドブックなしで過ごさなければならない。正直、顔からサーッと血の気が引く感覚を覚えたのは始めての様な気がした。そのあとの、脱力感と自分への情けなさに、正直へこんでしまった。残されたのは、妻の冷たい視線だけだった。
仕方がない。気を取り直してみると、運良くマメに資料集めた街々の情報が僕らの手元にある。正直これが僕らの生命線になったんだけれども、日頃からマメに情報収集は怠らないことだな。あとの頼りは街にあるインフォのみである。
サンタルチア駅からeurostar ES9441便に乗り、フィレンツエを目指す。
eurostar ES9441 Venezia Santa Lucia
departure am 8:28
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