ROMA
2001.04.07.(sat)
eurostar ES9441
Roma Termini arrival pm 5:00
●九死に一生、郊外のホテル
eurostarは、フィレンツゼ〜ローマ間は1stクラスしか取れなかった。新聞、飲み物、クッキーのサービス、ちょっとして飛行機並みのサービスに満足する。しかし、あとで悪い予感が当のであった。なにせ、2ndクラスは満席である。ということは、それだけ、ローマに向かっている人がいるということだ。
さて、胸の中のつっかえを持ちつつ、夕方17:00時にローマ入り。ここローマには3泊する予定だけれども、全くホテルは予約はしていない。日本にいた時から、ローマは何とかなるだろうという、甘い予想だけがあったので、何も手を打っていない。ヴェネチアでは、唯一のガイドブックを僕の不注意で無くしてしまっているので、情報はフィレンツェで手に入れた、薄っぺらな日本語のガイドだけである。一応ホテル情報があるので、テルミニ駅近くにある2つ星のホテルをいってみることとする。薄ぐらい、かなり安そうなホテルだ。とにかく、外国のホテルは、マチマチ。お湯の出ないところ、ひどいところは水もろくに出ないところ、ベッドが湿気ているもの、とにかく見てみないとわからないもの。とにかく部屋を確認してもらう。最悪。薄ぐらい部屋。全体的に誇りっぽい汚れが目立つ。お湯は出そうにない。水の出も悪い。当然断る。フロントのオヤジはかなり機嫌が悪かったけれども、そんなのお構いなし。嫌なものは嫌だ。
とりあえず、いろんな意味(泊まってみたいと思う人もいるかも)含めて、記載しておく。
hotel STROMBOLI
お金がよっぽど無い以外はやめたほうが良い。
テルミニ駅に戻って、インフォでホテルの予約を試みるが、ここでは、宿泊の手配は全くせず、とにかくこちらの希望の予算内のホテルの一覧がもらえるだけ。インフォの態度も悪い。なぜか大都市になればなるほど、人の態度は悪い感じだ。まあ、わけのわからない観光客相手に、一日中対応しなければ行けないのもわかる気はするが、こっちは、必死である。
ラチがあかないので、とにかくホテルの集まっているところに、直接当たってみるとする。 一軒目、二軒目、、、、、、もう十軒以上もホテルをまわったか。どれもつれない返事である。来れにはさすがに焦った。もうテルミニ駅についてから、2時間以上はたっており、いいかげんに泊まる場所がないと、日が暮れてしまう。かなり険悪なムード。やっぱり日本にいるときに予約をすれば良かったと後悔の念がかすめる。しばらく呆然としていたが、仕方がない、もう一度テルミニ駅に返って、出直しをするしかない。丁度、返ったところ、ホテルの手配師に出会う。本当は、この様な人がウロウロいるはずのところ、僕らがついたときには全くそのような人影がいなかったのだ。
とにかく、捕まえて、事情を話す。彼いわく、休日のローマは市内どこへ行っても泊まれるホテルはないとの事だ。どおりで、どこへ行っても連れない返事な訳だ。郊外にあるホテルを紹介され、ここに一泊、次ぎの日10時には市内のホテルを予約してもらう。ついでに駅の近くにある白タクを捕まえてもらい、とにかく九死に一生を得た気持ちで、とにかく飛び乗る。
何とも、怪しい白タクのオヤジに延々1時間近く、乗せられとにかくどんどん郊外に行く。それにしても、ローマの(あるいはイタリアの)人の運転は荒い。こっちは助手席に乗ったけれども、怒鳴るは、ハンドルをたたくは、車同士はすれすれにすり抜けて行くはで、こっちは相当に汗をかかせられる。左足は相当に突っ張ってしまったよ(車を運転する人はわかると思うが)。この運転手は全く英語がダメで、ほとんど会話を交わすことなく、とにかく彼の怒号をずっと聞かされるわけだった。渋滞していることそのものに頭に来ているのか、盛んに”トラフィコ!”、多分英語でトラフィック=traffic
jam=渋滞のことを言っているのだろうけれども、とにかく何分か置きに叫んでいる。あとで、わかったことなんだけれども、きっとこれは、演技だったことを、、、。
途中で突然僕に向かって、”おまえ、アルゼンチーナか”と言われた。これには参ったね。僕自身日本人のくせに結構オリエンタルな顔つきをしているが、アルゼンチン人と思われたのは始めてだ。さっきまで、一応こっちは挨拶代わりに、日本から来たといったつもりなんだけれども、この白タクオヤジは渋滞に頭に来て、そんなことをすっぽり忘れてしまっているんだろう。
彼との会話はこの1時間の間でこれくらいだった。結構長くにわたって車に乗っているので、さぞかし田舎に行くのかと思いきや、そんなことは決してないのである。ローマはかなり大都市だということを改めて実感した。
走行していくうちに、やっとホテルに到着。さっきから雨がポツリと降っていたが、ここに来て結構雨足が強くなって来た。フィレンツェも結構降られてしまったけれども、どうも雨雲は僕らを追いかけているみたいだ。
ホテルにチェックイン。部屋は、三ツ星といっている割には、割とさびれている感じ。まあ、一泊だし、もう2度と、そして一生ここには来ることも無いだろうからと思えばあきらめもつく。決してstromboliみたいに悪くは無いんだけれどもね。いままで、ヴェネチアのすばらしい4つ星ホテルのマルコーニに泊まっていたんだから、自然と目が肥えるのも仕方がないところ。
そういえば、フロントでは、僕らの前に一組の東洋人のカップルがチェックインを手続きしていたけれども、同じ東洋人ということで、英語で話し掛けてきた。丸っきり僕らの目から見て日本人に見えるけれども、韓国人とのこと。かなりスラスラと英語を話していた。すんなりと"nice
to meet you." "nice to meet you too." とお互いに自然と交わせることに国境を越えた何かコミュニケーションの喜びがなぜかこみ上げてきた。多分彼らも、ローマが始めてだったんだろう。何か、お互いに東洋人ということで、仲間意識みたいなものが、この会話の始まりだったのかもしれない。どうでも良い、挨拶みたいな会話だけだったけれども、とても楽しかった一瞬であった。彼らは新婚旅行にでも来ているのか、ローマのコロッセオの前で一度見かけた。連絡先とか聞いておくべきだったかな。とにかく、日本人は結構お互いを避ける場合が多い。今回の旅行の中でたびたびその場面に出くわした。もちろん自分達もそう思っているところが何か不思議なんだけれども。どうしてなんだろう。今回旅行した中でもう一組の韓国人にあったんだけれども、彼らもまたとてもフレンドリーにて、そしてとても親切な人達だった。そして、とてもインテリジェンスにあふれている人達だった。ブランドものに買い物三昧に満足している何処かの国の人達とは一味違う。この国の将来が危ぶまれていることが盛んに言われているが、その通りだとローマに来て実感することになったのである。
ここまできたら、結構な時間になってしまったが、考えてみれば僕らはまだ晩飯を食べていないのである。フロントに聞いて、近くのレストラン”AVALON”を紹介される。
こんな郊外に来たから、お店にはいた瞬間に、店員が凍り付いてしまったけれども、とにかく奥に通される。お店の雰囲気は悪くないんだけれども、あっちこっちにテレビのモニターが設置されており、何だろうと思いきや、サッカーの中継をしているのであった。そう言えば、僕らが入ってから程なくして、若者がどっと押し寄せて大騒ぎになっている。僕はサッカーは全く詳しくないので、何がなんだかわからないけれども、とにかくみんなお酒飲みながら、めいめいに楽しんでいる。モニターを見ていると、どうやら大雨のために試合が中止になったようだ。サッカーってどんな天候でも、続けるんじゃなかったのか。
そう言えば、さっきからかなり雨足は激しい。あの中継はローマの試合だったのか?とにかく、ホテルまでの帰り道は傘をさしても、足元がびっしょりになってしまったのだ。
明日から、思いやられる。ローマ観光の初日にして、大雨にたたられたらどうなることやら。 そんなことを思いつつ、今日の苦労したホテル探しも、今日はこうやって無事にベッドに寝れることを神に感謝しつつ(すっかり西洋化してきた)、疲れ果てた体をぐっすり休めるのであった。アーメン。
2001.04.08.(sun)
朝起きたら、何と空は雲一つ無い快晴である。昨日の夜の大雨はどこへやら、いろいろあるけれども、基本的にはついているのかな。苦労したホテル探しの気分の悪さもすっかり何処かへ飛んでいってしまった。ブレークファーストに行くと、一匹のワンちゃんが登場。これまた良くしつけられている、お行儀の良い犬である。こっちに追いでと呼ぶと近くに来て、こっちの顔を見ながらきっちっと座るし、ご主人がここで待てというと、入り口の前できちっと座って待っている。また、敷地内に不審者がいると思えば、一目散にそこへ行って吠えるし、番犬、飼い犬として完璧だ。そして、なかなかな可愛い。チェックアウトをし、タクシーを呼んでもらっているあいだ中、一緒になって遊んであげた。
2度と来ることも、来れることも出来ないだろうけれども、一応ホテル名を記す。
hotel AURORA GARDEN ☆☆☆
via emanuele ciaceri, 1600156 roma
tel / fax 06 41 02 641
この犬に会いたい方はどうぞ。
さて、タクシーに乗るが、日曜日だということ、まだ朝の9時だということもあり、まだ道路はそんなに込んでいない。昨日のホテル手配士には朝の10時には市内の予約してもらったホテルに向かうことを約束されているので、とにかく向かう。このタクシーも運転は例に漏れず荒いし、相当に飛ばして市内に向かっているけれども、なぜか、来た道と全く違うのである。そして、あっという間の15分くらいで市内に到着するのであった。しかも、タクシー代は昨日の白タクの半額近い。やられたのだった。白タクはわざと遠回りのしかも渋滞している道を選んで、しかも怒ったフリをしていたのだった(と想像しているんだが)。まあ、おかげで見たことのないローマの景色を見せてもらったので良しとするが、本当に知らないと、ボッタくられるのがイタリアなのか。全くカモな日本人になってしまったのであった。
さて、今日泊まるホテル"CARAVAGGIO"☆☆☆に到着。 昨日の予約の確認を済ませ、チェックイン。
●ローマのフリーマーケット
日曜日ということで、妻がチェックしていたトラムにのって、フリーマーケットに行く。日曜日ということでローマの街は、お店はほとんどやっていないので、観光客が大きく目につく。
フリーマーケットは、まさしくジャンク屋の集まり。これって、本当に使い物になるのかといったものから家具、アンティーク、食器、絵画、電化製品まで、とにかく質よりも、物量勝負の世界。
正直言って、これといった掘り出し物みつからない。けれども、これだけの人が集まるのだから、一応はどこも商売にはなっているのだろう。僕らには全く必要なものがないと思っていても、ここは異国の地。人によっては、一生の物を手に入れる人もいるのだろう。だからこそ、物があふれ、必要と感じる人、感じない人、いろいろである。
フリーマーケットは全く、手に入れる物なくトボトボと歩きながら市内に戻る。 テベレ川に向かい、川沿いを歩いて、程なくヴェスタの神殿(tempo
di vesta)に到着。ここは、ちょっとした広場になっていて、観光者の休憩の場になっている。いわゆるプラザではなく、雑草とかが生えていて、気持ちが良い。日本人的にはOKなワビサビが感じられる場所である。案の定、日本人旅行客が多く、みんなベンチみたいなものに座っていた。ヨーロッパ的な広場でもなく、西洋人にしてみればきっと中途半端な場所なのだろう。ほとんど人はいない。
●ローマの教会
道挟んで、向かいにサンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂( Santa Maria in Cosmedin )に行く。ここはあの映画”ローマの休日”の舞台になったところ。グレゴリーベックがオードリヘップバーンの前で真実の口に手を噛まれそうに演技する場所。もちろんぼくらはしっかり記念写真をパチリ。みんな、日本人も外国人含めて好きな映画なんだろう。ぼくは、まだこの映画をゆっくりと最初から最後まで見た事ないが、数日前にタイミング良くヴェネチアのホテルmarconiで深夜に上映して、大体の知識はあった。今度ゆっくり見てみたいと思う。
話は戻して、この教会の中に入っていくと、はやりイースターで、しかも日曜日ということもあり、特別なミサなのか、催し物があるのか、それとも説教があるのか、サッパリわからないけれども、とにかく特別な服に包まれた人達がたくさんうろつきまわっている。みんな、手にオリーブの木の枝を持っている。何かのいイースター時の何か意味するものなのだろう。そして、明らかに観光客然とした格好でいるのに、とてもフレンドリーに迎え入れてくれるのだった。特に僕は熱心な仏教徒でもキリスト教とでもなければ、特別な信仰心があるわけじゃないんだけれども、どこかこのような宗教施設は閉鎖的な感じがするのだけれども、とにかくみんな抵抗なく常にオープンで、フレンドリーでそして、暖かく迎え入れてくれる感じ(感覚に近い)がする。丁寧に、みんな、手招きで”中にいらっしゃい!”と言っている。ちなみに、今回の旅行で、お金を払って入った教会は、これから行くアマルフィーの教会のみであった。日本の事情とあまりにも違いを、宗教感含めて見せつけられたような気がする。なにしろ、京都にお寺でも見に行こうものならば、中の特別な茶室までも見学したら、あっという間に一万円は出ていってしまう。これでよいのか。
さらに進んで、カンピドリオ広場の隣に面する教会にいってみる。ここはヴィットリオ・エマニュエルU世記念堂の隣に建っている。中のゴージャスな装飾に圧倒されながらも、教会内にはあっちこっちにオリーブの木の枝が箱の中に収められており、皆がそれらを手に取っている。そう、コスメディン教会内で見たお坊さん達が手に持っていたものと一緒だ。もちろん僕らもゲットする。これから旅行を続ける最後の日(パリ)まで、お守りとして常に持っていくことにした。なにしろ、これまでは、嫌というほどの不運とも幸運とも、七転び八起きともいえる珍道中を繰り広げているもので、せめて何かにすがりたい気持ちから来たものだ。
カンピドリオ広場を通って、フォロ・ロマーノを歩く。ここに来て、天候がちょっと怪しくなり、雨宿りを所々しつつも、徐々に進んでいくこととした。とにかく、天候はクルクルと目まぐるしく変わる、4月はここのような気候のだろうか。フォロロマーノ内は歩ける場所が決まっており、なかなか遺跡の近くまで近寄れないが難点。でも、その代わりにあっちこっちに野良猫が優雅に、そしてのんびりと歩いているのである。正しくネコ天国である。餌を挙げている人がいると聞く。ネコは勝手気ままな生活をここローマで過ごしているわけだ。全くにして羨ましい限りだ。
それと、あっちこっちに藤棚が満開状態。日本でもそんなに見られないと思うが、ここローマはあっちこっちに見うけられる。特にここフォロロマーノは立派なものが多い。イタリア全土に多いのか、これから行くナポリ、それから忘れられないすばらしい景観のアマルフィーにも沢山の藤棚があった。
本題に戻そう。ここフォロロマーノは、信じられないけれども、当時(紀元前数世紀)にして、すでに大建築を作る技術と、それらをまとめるだけの力と技を持ち合わせていることに、感嘆せざる追えない。張るかに日本の木造建築に規模を凌ぐ圧倒的な高さと規模。古代建築には全く疎いが、それにしても、これが機能していたと考えるだけでも、にわかに信じがたい。ちょっと距離を置いた斜面には、石窟を造りながら、人造的な建築物と組合せているとも思われる残骸があった。ローマがこの当時繁栄していた時代は、一体どのような世界観があったのだろう。とにかく人間が圧倒的にいる中での統率、意思疎通、伝達、どれを取っても現代でも難しく、いろんな考え方そしてそれらを伝えるだけの補助的手段としてのマスコミや各技術(マイク、スピーカー、テレビなど)が全くない中で、一体どんなことが展開されているのか、皆目見当がつかない。規模が大きすぎて、歴史的認識と、多少なりの想像力がないと理解ができないな。今度、日本に帰ったら建築の歴史を見直してみようと思う。
●ローマでの道路の渡り方
イタリアに入ってからは、ヴェネチアは当然車は一台もないので、なんとも感じることも出来なかったけれども、ここローマにはいってからは道も渡り方は相当に鍛えられる。車と人間の道路上での共存の仕方は、日本とは想像もつかないくらいに密接なのだ。密接というのは、とにかく、イタリア人は車が来ようと平気で渡り始め、斜線に車がちょっとでも切れたら、次ぎの斜線へ移っていく。こっちから見たらハラハラなんだけれども、これは彼らにとっては常識のようだ。日本みたいに几帳面に信号が青になるまで、待っているなんてことはしない。まして、歩行者用の信号なんてあったか記憶が定かではない。とにかく、車が来ようとも、勇気を出して、渡るしかない。さもなければ、永遠に道を渡ることは出来ない。車のほうはその状況が当然わかっているのだろう、決してクラクションを歩行者に向けることはない。いたって、親密な車社会なのであった。しかし、僕らは几帳面なちっぽけな東洋人。ヴェネチア広場では巾30mはあろうか、横断歩道があるんだけれども、歩行者用の信号なんてあるわけがない。さすがに、ここを渡るときは緊張を要する。30mもあるのに、車を止めるものもない、とめるのは自分の体だけか。しかし、これも、数日いれば、慣れてくるところが不思議。コツをつかむことが出きるようになる。決して、気持ちの良い渡り方とは言えないけれども。なにしろ、こっちはちっぽけな小心者の東洋人なのだ。
●ほっとした中華料理
さてここで一度、ホテルに戻ってちょっと休憩。ここまでくると、結構旅慣れてきて、大体の行動パターンが定着してくる。午前中外出、ランチを食べ、また少し出歩き、一旦ホテルに戻る。ここで少し休憩を取り、夕方また外出し、最後にディナーを食べてホテルに戻るというパターン。一度ホテルに戻るというのがミソ。なにしろ、かなり足に頼る観光をしているので、正直体がきつい。しかも20日にも渡る旅行を考えると、休み休みいかないと最後まで続かない。ホテルに戻ると宿泊客はけっこうくつろいでいる人達は見かけるけれども、きっと同じ様なパターンで行動しているのだろう。とにかくアメリカ人とかは旅慣れているよ。
さて、夕方は中華料理と決めていた。ここまで旅行していると、さすがに胃はあまりイタリア料理を求めなくなってきている。というか、いいかげんにチーズ、バター、ピザ、パスタの響きにうんざりしてくる。ここローマはなぜか中華料理が充実しており、目を凝らしてみると、赤ちょうちんが店先に飾ってある。そのちょうちんがそこここと置いてあるものだから、そうそう食べるところにはこまらない。僕らが入ったところは、ホテルのすぐ近く。なんと、ここは妻が前回ローマを訪れたときにも来たことのある場所。僕らは、そんなにたくさん食べないので、ヤキソバ、ご飯一杯(これが美味いんだな。日本人的にはまずくても。)、ナッツ&チキンの炒め物、そしてジャスミン茶を二人分。正直、”助かった”と思うくらい。改めて僕らは東洋人だということを実感した。いくらイタリア料理が美味しいといっても、長くは続かない。やはり身にしみついている食文化はそうそうに換えられるものではない。
ちなみに、食事した中華料理屋は以下の通り 国際酒家
roma via a.de pretis,98
tel 06- 474-4064
fax 06-4890-4730
食事した後に、ライトアップされている数々の遺跡やらを見に、出かけるが相変わらずの人出。トレビの泉はたいへんな混雑。ライトアップはさすがに美しいが、何しろ、観光客と、花と訳のわからないポスター(なぜか日本モノのポケモンやドラゴンボールとかが多い)を売る中南米人らしき人達でごった返している。特にカップルで来ている男が狙われる。彼らは男に花をつきつけ売りつけようとする。確率的にはどれくらい商売が成立するかわからないけれども、なにしろ、目ざとい人達だった。
でも、不思議だったのは、ローマとくれば、ジプシーとスリには気をつけろといわれていたけれども、どこへいっても、そのような怪しい風貌をしている人達はいない。かなり警戒していた僕らにとって少々拍子抜けな状況だ。街中にはありとあらゆる所に警官とパトカーが配置されている。広場というところには必ず警官とcarabinieriと書かれたパトカーがいる。安心する一方で、何かあるのかと心配になってしまうが、きっと彼らがいなかったら、こうして、夜の10時くらいをうろつくのは不可能に近いのではないだろうか。
さて、ホテルに戻ると決まって、テレビをパチリ。必ずチェックするのはCNN。結局僕も犯されている”アメリカン”グローバルスタンダード。この頃のニューズとくれば、アメリカ海軍偵察艇と中国軍戦闘機の接触事故、スポーツはichiroがトップ。日本実習船と潜水艦の接触事故は一度も見なかった。日米の認識の違いをまざまざと見せ付けられたように気がする。なぜならば、日本に3週間以上旅行に行っていて、帰国してもトップニューズはこの痛ましい事故だったのだから。
そして、途中からなんとテレビでの話題は、ここローマにあるサンピエトロ大聖堂からの中継である。目を一瞬疑ったけれども、間違いなくここローマがどのチャンネルを変えても、ほとんどこの中継である。そしてまもなくパパ(ヨハネス・パウロU世)の説教が始まるのであった。かなりの高齢でかつてのしゃきっとした印象はさすがにないが、こんな夜遅くにこんな儀式に出るなんて、まだまだ精力的に活動しているんだと改めて実感。ぼくらは、疲れたので、良くわからない説教を聞き流しながら(キリスト様すいません。)寝るのであった。
それにしても、こんな大掛かりなお祭りごとがあるなんて知らなかった。どうりでローマ市内のホテルが取れないわけだ。
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テルミニ駅。
整然として好きな
建築物。
最近リニューアルした
見たいで綺麗にしている。
レストランavalon
相当激しい
雨になってしまった。
向こうで言う
居酒屋といったところか
ピザとラザニアを
注文したが、美味しい
郊外のホテルに
泊まり、朝起きたら
犬が待っていた。
主人に忠実で
かわいいワンちゃん
フリーマーケットの
帰り道にみつけた
近代建築。
映画館とのこと。
ここは遺跡なのか、
人が住んでいるのか、
あっちこっちにこの様な
ものが見うけられる。
テベレ側沿いを歩く。
天候良く気持ちが良い。
tempo di vesta
この前の広場は
気持ちが良いのだ。
ありがちなポーズで
パチリ。
左手にヴィットリオ・
エマニュエル2世記念堂
階段登るとカンピドリオ
広場がある。
これはフォロ・ロマーノ
の、中にある遺跡。
フォロ・ロマーノ。
この様な大規模な
遺跡があること自体
驚きです。
フォロ・ロマーノ内は
立入り禁止なので、
ここはネコ天国。
我が物顔で闊歩して
います。
みんな、程よく
肥えているのだ。
食事を与えている
人がいるのだろう。
石の建造物は
とにかくその大きさに
圧巻するしかない。
とても日本では
考えられない建造物。
現存していたら
どんな形だったのかな。
ヴィットリオ・
エマニュエル2世記念堂
の夜景。ライトアップの
美しい街ローマ。
迫力に満ちた建造物。
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