2001.04.09.(mon)
今朝は、朝からちょっとそわそわしていた。今日は、14日(sat)のローマからパリへのエールフランスのリコンファームをしなければいけない期限日。まあ、お昼前に電話すれば良いかと軽い気持ちが、結局は、このリコンファームのために一日振り回されることになったのであった。
そうとは知らずに、とにかく今日の最初の目的地のパンテオンに向かう。
●Pantheon
ac120年ごろ建てられた神殿。タテヨコの大きさがピッタリ44.5mとのこと。そのためにプロポーション的には、ちょっとボタッとした感じ。しかし、この建物は学生時代からの憧れの建物であった。念願かなったり。何ぜかというと、ここの大ドームの中の天井のてっぺんに穴があいており、そこからの光が差し込む様子が、写真集でみてもそのダイナミックさと劇的な空間に心を打たれていたのだ。内部にいながらも、自然という万物を極端にメタファー化して、一瞬の光と捉えるその考え方にとても興味を覚えたもの。実際に体験すると、これまたすばらしいもの。ラッキーなのは、天候の変わりの速さに悩まされているたびではあったけれども、ここローマに関しては、大体朝は良く晴れている。そして、ここ今朝は、昨晩夜遅く雨が降ったのがうそのように、雲一つない快晴だった。パンテオン内部の床がぬれているのが唯一の痕跡だった。そして、太陽光が差し込む光線の鮮やかさは感動である。残念ながら、朝ということで、太陽高度が低い分だけ、床面にその光を落すところを見ることは出来なかった。しかし、一刻一刻と変化する光の明るさ、徐々に光線の移動する様子は、見ていても全然飽きない。やはり、ローマに来て一番良かったと感じた一瞬だった。
さて、ここで問題が生じた。例のリコンファームだけれども、公衆電話であらかじめ日本の旅行会社からもらっていた番号に出ると、全く返答がないというか、機械的なイタリア語で何かを言っている。どうも
wrong nunber らしい。これには焦った。今日リコンファームしておかないと、パリに行けなくなるかもしれない。仕方がない、まだ午前中で時間もある。この先に行くサンピエトロ大聖堂にはインフォもある。そこで聞けばいいやと、これまた軽い気持ちで観光を進めるのであった。しかし、まだまだ苦難は続くのであった。
パンテオンすぎて、ひたすら徒歩で、今度はサンタンジェロ城につく。そのヴォリューム感に圧倒的されつつも、ヨコをかすめていく。この建物も、パンテオンと同じ時期に建てられたとのことだけれども、人間のなせる技に感嘆してしまう。どうやったら、この様な大規模な建物が建てられるのか、想像が出来ない。全く。その真円形の平面形と高さが絶妙にバランス良く取れている。要はカッコ良いのである。このバランスも黄金比率によるものなのかはあとで文献でも調べてみないとわからないが。
そして、ここを通りすぎると、正面にサンピエトロ大聖堂が見えてくる。
ここの通りにも沢山いるんだけれども、なぜかアフリカ系の(多分)黒人が夕方になってくると、嘘ものだと思うけれども、高級ブランドのハンドバックやらを売っているのである。ヴェネチアでもずいぶんと見かけたものだ。なぜか、人種によって、売るものが違うみたいだ。南米人はポケモンやらドラゴンボールのポスターを売っているし、アフリカ人と思われる人達はバッグを売る。サンピエトロ大聖堂に行くときに堂々と昼間から大きな風呂敷を敷いて売っていたんだけれども、まもなく例のcarabinieriと書かれたパトカーがすっ飛んでくる。そうすると、彼らは慣れたもの、サッと風呂敷を抱え広げていたバッグやらが一瞬のうちにサンタクローズのようなズタ袋に変身。この変わり身の早さには驚いた。
それにしても、イタリア警察は徹底的に取り締まっている様子。おかげで僕ら観光客はかなり安全である。いまだに、イタリアで怖い目にあうことはないのである。
●奇跡のサンピエトロ大聖堂
ここ、サンピエトロ大聖堂に到着。とにかく人出ごった返している。どこへいってもホリデーのヨーロッパ諸国は、観光地と名のつくものはどこも、人出で一杯だけれども、ここもその例に漏れず、とにかくすごいことになっている。それに、昨晩ホテルで見たパパのミサが行なわれていた形跡が、中央広場の並べられているおびただしい椅子が物語っているのである。
建物右手からアプローチ。スカラレジアが遠くに見える。ここは是非とも体験してみたいところだったけれども、手前に門番(スイス兵といっていたが)が立ちはだかっており、入れるわけがない。しかも、写真を撮るために近づくも静止される始末。これには閉口した。写真も、どううまく撮影しようとしても、邪魔な門番は入ってくるのだ。スカラレジア、体験できる日はくるのやら。
そして、聖堂に入ろうと、入口近くまで行ってみても、どこが入り口なのか、出口なのか、人でサッパリわからない。それに、ここは入場料を払うのかすらわからない状況。ここは、流れに身を任せろと、そのまま、それらしき団体さんに金魚の糞のごとくついていって、まんまと入ることに。そこから展開される世界には、本当にノックアウトされてにまった。さすが総本山だけあって、豪勢で、壮大で荘厳な雰囲気が体を突き刺す。時代毎に増築改築されてきたとはいえ、これだけの大建築の骨格をたった22ヶ月でつくりあげてしまったことを思いながら、空間を体験していると、口をあんぐりとあけるしかない。
さて、小1時間中を見たところで、今朝から気になっていた例のリコンファームの話。ここサンピエトロには大きなインフォがあるので、早速そこへ直行。相当混雑しているが、とにかく事情を説明し、電話番号を確認。それにしても、ここのインフォは人の対応で忙しいのか、本当に態度が悪い。イタリア人は忙しくせわしくなってしまうと、全く無表情に、そして不機嫌になるものなのか。テルミニ駅のインフォの職員も同じだったね。
とにかく電話番号をもらったので、あとは時間を見つけてそこら辺の公衆電話で電話すれば良いので、とにかく腹が減った。ここ近くのアマトリチャーナが有名なIL
MATRICIANOへ。もちろんアマトリチャーナとリガトーニのカルボナーラを注文。ここはさすがに格式がある雰囲気。来ている客層も、ウエイターも、みんな1ランク上だ。赤ワインをたしなめながら、程よく料理は運ばれてきた。そこには日本人の味覚を超えた次元があった!リガトーニの味は、とにかく濃いの一言。塩とチーズが惜しみなくすり込まれている。味は美味しいけど濃い。ワインを飲みながらでないととても最後まで遂行できないくらいだ。それから、ここ名物のアマトリチャーナは、田舎そばの様なゆで加減。フォークでパスタを絡めようとも、弾力がありすぎて、サッパリと口に運ぶことが出来ない。麺を突き刺すしかないのだ。味のほうは、これまた確かにこれも濃い。ワインを飲まずに入られない。あるいは本格的なイタリア料理はワインをガブ飲みすることを前提にしているのか。とにかくこの様な料理を毎日食べていたらイタリアオヤジ体型になること間違い無し。あじは美味しい、しかし健康的ではない。今を楽しもうというイタリア人気質は料理にまで反映されているのか。
IL MATRICIANO
via dei Gracci, 55
tel 321-3040
たまに健康を気にしないで思いっきり本格的な料理を楽しみたい方、どうぞ。
さて、午後すぎたことだし、例のリコンファームにまた挑戦することに。電話番号をまわしてみると、これまた不通。これまた、番号が違う(と思われる)メッセージがひたすら流れるだけ。これにはさすがに頭に来た。どうなっているんだ。このまま、リコンファームできずに、パリへ渡れなくなるのか。これはまずいことになってきたな。
仕方ないので、ちょっと先にあるスペイン広場にあるインフォへ。ここはそんなに人がいなくて、対応してくれたお姉さんはとても親切に調べてくれた。電話番号も先程のインフォで教えてもらったものとは違うもの。
急いで、そこら辺の公衆電話で電話してみる。掛かる!がっ、しかし、リコンファームする電話番号が違うとの事、違う電話番号を教えられる。また違うのかと、怒り狂うところを、決してそんなことは無い。落ち着いて、落ち着いてと自分に言い聞かせながら、、、やっと辿り着く、安堵感が先に走るよ、ここまできたら。早速電話をしてみる。掛かった!がっ、、、、、
電話に出た相手が言った言葉に唖然としてしまった。コンピューターのシステムがダウンしているとの事。もう一時間たったら電話してくれとのこと。 まあ、仕方がない、こうなったら、直接のりこむしかない。ここポポロ広場から歩いてそうは遠いところではない。観光がてら行くかと、そちらを目指す。かなり広い公園を通り過ぎ、そろそろ電話する時間。
電話する。しかし、またまた電話が通じない。きっと、リコンファームできていない人達が殺到していることなんだろう。もう、目と鼻の先。住所はここら辺だけれども、どうも見つからない。そこにいる警察官に尋ね(これまた全然英語が通じない)、やっとのことで辿り着くこと17時10分。17時で営業時間終了。イタリア人は(フランス人)こゆうところはやけにパンクチュアルなのか。シャッターは閉まっているけれども、隙間を通して中に人が働いているのが見える。ここまで来たんだから、意地でもリコンファームしてやると、インターホンを押しまくる。事務員の年配の女性の人が怪訝そうな顔でこちらを見る。事情を散々説明したんだけれども、取合ってくれない。挙句の果て、電話番号の書かれた小さな紙切れを渡される。まさしく、今日散々あれこれ探し回った最後に辿り着いた電話番号そのものだった。呆然と、そのやりきれない気持ちのまま、小扉はピシャリと閉じられた。ガチャという音と共に我に返ったけれども、消失感だけが今日一日の出来事にどっと疲労感がでる。もうここまできたら、八つ当りするしかないでしょう。二度とエールフランスに乗るかッ!嘘だけど。
ちょっと、ホテルに帰って出直すしかないでしょう。もう明日はナポリに行かなければならない。ナポリから果たして電話連絡後取れるか。まあ、やってみるしかないでしょう。
ここにきて、また問題が一つ浮上していたのだ。今回の旅行をデジカメ(sony DSC-P1)を親から借りて、あらかじめメモリースティックを余分に手に入れていたが、その予備が無くなっているのだ。妻とも話しをしたんだけれども、どうも、ウィーンのプリンツユーゲンで忘れたんではとのこと。挙句の果て、大事な書類まで忘れてしまったのではと、心配は募るばかり。プリンツに電話はしてみるが、マネージャーがいないので、わからない。時間帯指定で、電話してくれと、これまた、このようなときに限って電話できなかったりして、これまた心配の種。しかも、デジカメのメモリーが足りなくなってきている。これからナポリ、アマルフィーとどう見ても、メモリースティックを手に入れられるような場所ではない。ローマもたった1軒見つけたパソコンショップでも、取り寄せるしかないと言われる始末。
どうなるやら、今後の旅路は。 ちなみに夕飯は疲れたので、またまた国際酒家。結構安くて癖になる。
2001.04.10.(tue)
CARAVAGGIOをチェックアウト。ここのご主人はとても、感じの良い親切な方だった。ホテルの感じもとても清潔感あり。当りのホテルではないだろうか。なぜか日本人にも人気があるらしく、ホテルにある寄せ書きに日本語が結構書きこまれている。
ナポリ、アマルフィーには3泊してまたここローマに帰ってくるので、気に入ったここCARAVAGGIOで予約できないかと打診。利用者価格ということで、35000liのところ、30000liにディスカウント。まあ、本当か嘘かわからないけれども(というのは、週末に向けてまた高くなるとの事。僕らはここで一泊当たり25000liで泊まっていたんだから。)。一発でOK。あらかじめカードで支払い、テルミニ駅へ。
Hotel Caravaggio ☆☆☆
Via Palermo 73 00184 Roma
tel 06 48 59 15
fax 06 474 73 63
eurostar ES9403
Roma Termini
departure am 9:10
●ユーロスターでのどうってことのない出来事
またまた、ユーロスターに搭乗。何故か、ここ、ユーロスターの座席順は対面で予約される。日本みたいに、片方が窓際、もう片方が廊下側ではないのだ。最初は、どちらも長旅で必ずはトイレにたつので、片方が廊下側にいた方が気兼なく移動できるのだ。
あえて、今回は予約したときに、席をこのようにしてくれと、イラスト描いて見せた。しかし、その甲斐もなく、やはり、どちらも窓際席。そこへ、廊下側に二人老夫婦が座ってきた。
おじいちゃんは、明るいイタリアオヤジではなく、いかにも厳格そうな、余りしゃべらない、眼光の鋭い方。一方のお婆ちゃんは、穏やかで、口うるさいお爺ちゃんを”ハイハイ”と聞いているような、やさしそうな方。席並びは、僕らが窓際にて対面に座っているのに対して、彼らは廊下側に対面で座っている。席の間に引き出せる折りたたみ式のトレイがあるので、対面の席といっても、かなり離れているので非常にしゃべりにくい。よっぽど廊下側の席にいて、並んで座っているほうが楽。それに、トイレにたつのに、いちいち恐縮するのも面倒くさい。僕がお爺さんに席を譲るとした。もちろん、英語が通じるわけではなく、身振り手振りで。快く承諾してくれたのか、それとも、イタリアでは対面にて座っているほうが習慣なのか、よくわらないけれども、とにかく代わってもらった。
ユーロスターが程なく出発し、窓の外を眺めていると、水道橋のアーチがずっと連続して線路沿いで続いている。面白いのが、最初は、途切れることなくずっと連続した遺跡が、ローマを離れるにしたがって段々とちぎれちぎれになり、線が、断線に、最後は点線に、そして点となり、バラバラに崩れた姿が、畑のど真中でたたずんでいる姿は感動的だ。歴史という時間軸の長さを考えると、人間の営みのすごさがこのローマに来ると改めて感じるものだ。
さて、程なくして、僕らはおやつタイムに入る。ホテルCARAVAGGIOの朝食でラスクを多少ゲットしておき、さらにそれにマルコーニで頂戴したジャムを取りだし、むしゃむしゃと食べ始めるのであった。
先程のイタリアお爺さんは、ヨコにいるお婆さんと口をほとんど聞かずに、ジッと外の風景が流れていくのを、目を細めながらほとんど動いていない。しかし、ラスクを空けるビニール袋の音には敏感に反応していて、首を動かさずに目だけがこっちをちらりと見ているのであった。お腹がすいているのか。やけにこっちの手元の動きに気をとらわれているみたい。しかし、決して何も言わない。しかし、僕らにこのユーロスターの電動式のシェードを教えてくれたりと、決して万年不機嫌なわけではないらしい。べつに、不機嫌でもないのだろう。サッカーの中田みたいにすらすらとイタリア語がしゃべれたら、湯水のようにしゃべりかけてくるのかもしれない。まあ、そんなのはどうでもよいのだけれども、ラスクも食べて、外を眺めているとナポリに到着するのであった。
ナポリ駅を降りると、その老夫婦は勝手がわかっているのだろう、手荷物の多い僕らを尻目にあっという間に、駅の雑踏に消えてしまった。
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