2001.04.12.(thu)
●昨晩のその後
昨日の、荒れ狂う天候は、嘘のように晴れ渡っている。
僕らは、早速もう一泊をするための手続きを行なうために、フロントに行く。予約もインターネットでもできるここのシステムのすっかりIT化されているんだが、昨日の落雷は影響はなかったみたいだ。新しい部屋は、昨日よりは、ちょっと狭く、天井も低い部屋だが、1階だけ上に移動になった分、眺めはさらに広がる。
それにしても、ここの風景と建物といい、自然と一体化された、まさしく”宮崎駿”の世界。建物にへばりつく藤の花、ツタ類とか、風化しかかっている建物の一部とか。まさしく共存している姿があっちこっちに見うけられる。厳しいながらも、自然と建物が対峙している姿は、本当に美しい。どこまでも広がる水平線、澄み切った空気、美しい建物群たち、地中海に面する街を始めて体験するには贅沢すぎるくらい、いろんな要素が完璧にそろい、調和されている。アマルフィー海岸は世界遺産にも指定されているのである。
さて、このホテルへの最短距離は、がたついた、か弱いエレベーターなんだけれども、今日は一日この小さな街の観光に費やされている。せっかくなので、歩いて延々街に出ることとする。
かなりゆるい坂道をおりながら、ゆっくり歩くとする。途中、老人とお孫さん2人と、自宅玄関前で、マゴマゴしているところを通りすぎる。廻りには、見物客のネコが数匹、塀の上で様子を眺めている。心配だから、どうしたのかと尋ねると、鍵が、壊れてしまって、中には入れないとのこと。おばあちゃんが帰ってくるまで待たなければならないといっている。いつ帰ってくるかわからない中、まして炎天下の中、お孫さんをさらすのも、心配だ。塀を越えて中に入って開けようかと、尋ねたが、丁寧に断られた。決して怪しいものではないんだけれども、多分僕が入ったところで、どうにもなるわけでもないのかもしれない。残念だけれども、僕らにはどうすることも出来ない。そのまま、街を目指すとする。
●amalfiという街
まず、目指すは街の中心地、duomo (carta d'ingresso)に行く。 ここは、貿易の中継地点だったということもあり、オリエンタルな様式(アラブ様式っぽい)がちりばめられている、小さな教会。もちろんキリスト教の教会だけれども。中に入ると、列柱廊に囲まれた中庭があり、白の壁と、真っ青な青空と見事なコントラスト。日本では絶対に見ることの出来ない、そのような色合い。
1階の建物の中に入ると、一部修復した部分とかの展示室、地下に行くと、礼拝堂がある。装飾は、妻いわく、シチリア島に行ったときの教会にそっくり。
さて、今日は一日観光。早速メインストリートを登っていくと、お土産屋さんやら、写真屋さんが軒を並べる。ここで、舟の形のちいさなモデルと、写真館に入ったときに、多分そこの写真やさんが撮ったと思われる写真のポストカードをゲット。このポストカードは特にアマルフィーだけではなく、ポジターノとか近辺の美しい風景を撮ったもの。地元の人間しかわかりえないポイントが沢山あるんだろうね。とにかくどれをとっても美しいの一言。
だれでも、写真を撮りたくなる気持ちがわかる。
●ゆっくりとした午後
さすがに、昼時になるとあっちこっちの食事できるお店から声をかけられる。ぼくらは、夕食をこの街で出て食べようとしているので、お昼は軽くしようと、メインストリートを少し登ったところにあるパン屋&お菓子屋さんでパンを買い、午前中に尋ねたDuomoの正面大階段に座りながら、ゆっくり昼食をとる。ここは、観光客が各自、ゆっくり自分達の時間を過ごしている。さんさんと降り注ぐ太陽の元、のんびりしていたところ、何やらまた怪しい雲行き。本当にここの土地の天候は気紛れ。
●とにかく気性の荒い天候の街
天候が、いよいよ怪しくなり、僕らは取合えずホテルにもどるとする。行きの道と同じルートをたどるとする。朝であった老人と孫達はもうそこにはいなかった。無事に家に入れたんだろう。だんだんと大粒の雨になり、いよいよ本格的なってきた。滑り込みセーフでホテルに入り、残りのパンを食べながら外を眺めていると、西の方から海が荒れてきた。それこそ、分単位で荒れ具合が激しくなる。僕らが下されたバス停にも、波がかぶる始末。さらに遠くに見える岬を通る街道沿いにも高波がかかるくらい激しいもの。台風でも来ているのかと思われるくらいの天候。
ここアマルフィーは僕らの全旅行の中でも、一番南に位置しているところ。一番暑くそして、海に面して穏やかな気候かと思いきや、一番気紛れで厳しい、そしてとても寒い、まるで山岳地帯の気候に近いものを感じた。
しばらく、天候が晴れるのを待つこととする。こんな中ではとても外に出る気にはなれない。外の荒れ具合は本気である。 2時間くらいたっただろうか、かすかに遠くの雲の間から、太陽光が差し込むのが見えてきた。さっきまで荒れ狂っていた海もすっと波が引いてくるのが手に取るようにわかる。これほど激しくそして目の前でこれだけ変化していく天候を見たのは始めて。劇的ともいえる、僕らに対する歓迎なのだろうか。
波が 引いてきたのを確認して、再度街に出るとする。隣町MAIORIの途中、海に面しているレストランがあり、そこでディナーを食べようというもの。さっきまで波がかぶっていた道路も、何もなかったかのように車と人が行き交っている。人といっても、ここには歩道というものがない。片方は崖地で、海が下界に見える。手摺は潮風にやられてボロボロ。かなり怖い箇所がところどころある。隣町に通じるトンネルの手前にハイシーズンにのみ開いているレストランZACCARIAを目指す。しかし、残念、行ってみると開いている様子がない。僕らの前に入っていく人は見えたけが、あきらめた顔でまた出てくる。残念だけれども、夏のシーズンにしか開いていないみたいだ。
日もだいぶ暮れてきた。街灯も少ないこの、街でまた嵐に出会うのはたまったもんじゃない。アマルフィーに戻るとする。ディナーをしたのは、DA MARIA。ここは、家族経営(とはいってもイタリアはみんなそうなのかもしれないが)で、とてもアットホーム。オーナーのおじさんは(これがまた典型的な明るい、コロッとした感じのおじさん)各テーブルを廻り、お客さんとおしゃべりをして、場を盛り上げる。僕らのところにも来て、一言二言交わした。何しゃべったのか忘れてしまったが、、、そして、ぼくらはいつも食事するお店ではミネラルウオーターを注文(日本じゃ考えられないんだけれど)。最後には必ず余るのでボトルをくれるかと、頼む。何故かというと、あっちこっちとにかく僕らは自分達の足を使ってひたすら歩くので、途中の重要な水分補給として使うからだ。もちろん、ここのお店も快く承諾してくれ、何と、ここのおばちゃんはボトルと一緒に、記念ということで例のレモンリュールを出してくれた。とても美味しい味と、満足な気持ちでここを後にする。とにかく、今日は激しい天候に振りまわされたが、気持ち的には最後の締めくくりがとても良い。
前菜はコロッケとタコのマリネ、ピザ、レモンのケーキ、カプチーノ、レモンリキュールで締めくくり。
DA MARIA
piazza duomo 14
tel 871880
2001.04.13.(fri)
●苦労の連続のローマへの旅
今日は、アマルフィーを離れ、ソレント経由で一気にローマまでの旅路。ローマには、最初に尋ねたときのホテルCARAVAGGIOはすでに予約済み。
hotel cappccini convento でのチェックアウトを朝早く済ませ、am9:00発のバスに乗りこむとする。来るときの混雑を考え、早目に行くこととする。例のエレベーターで降りるときに、やはり同じく宿泊していると思われる日本人とすれ違う。最初、僕らが日本人(というか僕が)見えなかったみたいで、英語で話し掛けてきたが、日本語がしゃべれるということで、向こうがびっくりしていた。多分新婚旅行だろう。
さて、僕らは早目に来たが、一体どこに並べば良いのか、サッパリわからない。ここは、ナポリ含めてシステマティックに出来ているとは思えない。天候は曇り、そして段々と雨がポツリと振り始めてきた。そして風が寒い。バスの発着場の前の大きな岩に腰をかけながら、ボーっとバスが来ることを待つしかない。そこで座っていたのが、あとでたたられることになってしまうとは。
程なくバスが来て、案の定、人が一斉に殺到する。荷物満載の僕らは、当然ながら遅れてしまい、やっとのことで乗っても、丁度真中以降の、しかし今度はしっかり海の見える側に陣取ることが出来た。定刻よりも多少遅れて出発した。cappccini
convento の例のエレベーターはあっという間に通りすぎていく。positanoも程なく過ぎて、景色にも慣れた頃に、小便がしたくなった。さっき発着所で待っていたときに、岩の上で座っていたのがいけなかった。すっかりお尻から体全体が冷えてしまったのだ。そしてゆれる急カーブの連続で、すっかり気分が悪くなってしまうという2重苦。症状は悪くなるばかり。外の美しい景色を堪能するというよりは、とにかく気分を紛らわすために遠くを眺めているしかない。こんな状態を1時間半も続くなんて拷問に近いもの。やはり、事前にやるべきことをしなければならなかった。
走行していく内にやっと、ソレントの街中に入ってきたところで、大渋滞。そう、いまはもうすっかりとイースターのバケーションに入っていたのだ。昨日のニューズでは、各高速道路の渋滞情報が流れていた。当然この様な避暑地には沢山の観光客が押し寄せてくるわけだ。
街に入ったところで、限界が極限に達し、バスを降りるとする。バスの運転手は苦笑いをしながらも下してくれたのだ。速攻で近くのスーパーに入り、トイレに入らせてもらう。スーパーの人は緊急自体をすぐに分かっってくれたらしく、急いで案内してくれた。それにしても、助かったよ。バスの旅はもともと弱いのであった。小中高の時の修学旅行が思い出されるが、とにかく苦痛だった。特に日光イロハ坂がきつかった。
さて、もう街中だからソレントまですぐだろうとタカをくくっていたが、結局は炎天下の中、1時間以上も歩くことになってしまった。歩いている途中、さっき乗ったバスが、反対方向のアマルフィー方面に向かっていった。バスの運転手はしっかりこっちを向いていたよ。ちょっと恥ずかしい。
やっとのことで、ソレントの駅について、もうここまで来たら、いままでの旅の単なる逆転再生。
sorento 12:07発
napoli 13:10着
ソレント駅でeurostarを予約し、とにかく一番早いやつに乗りたいといい、あと数分で出発するものに乗るか、走れるかと尋ねられ、もちろんOK。16番線だぞといわれ、そっちに向かうが、いない。電光掲示板を見たら14番線と書いてある。そっちに走り、ぎりぎりセーフで乗れる。ほんと、冷や汗もの。
eurostar ES9420
Napoli Centrare departure pm 1:30
ROMA Roma Termini arrival pm 3:15
車中、僕らの前方に、アフリカ人の集団が座っている。彼らは席を予約していないみたいで、車掌とやり取りをしている。彼らは、どの観光地の街にいる、ブランド物のバッグを売り歩いている人達。前にも書いたけれども、夕方になると、広場とか人が通りそうなところに大風呂敷を広げ、ブランド物と思われるものを売っている人達。警察がくれば、サンタクロースのごとく、一瞬の内に風呂敷を抱え、別なところにささといってしまう。車内の荷物置場には彼らの売り物の巨大なバックで生め尽くされるし、車内は、ガンガンにラジカセからきいたことのない音楽が流れ、とてもうるさいちょっと困った人達。車掌も、お金を清算するときにお札の透かしをチェックしているくらい。まあ、仕方がない。需要と供給がある限りはこのようないたちごっこはなくならないだろう。
ローマ到着。ホテルCARAVAGGIOへ直行。いつものフロントのおじさんが迎えてくれる。こっちも入出のやりかたはわかっているので、キーだけもらう。すぐにローマの街に出向く。とにかく、今日は一泊しかしない。明日の朝出発し、パリに向かうのである。前回来たときにすでに確認済みの大きな本屋さんに出向き、ほしい本をゲット。イタリア人のグラフィックデザイナーのもので、50,000
liで高かったが、とにかくデザイン性がすばらしい本。そこにあるカフェでちょっとお茶をして、一息つくととする。
そこで、カプチーノを出してくれたお兄さん(nihad music(実は中東からのオリエンタルだといっていた。)さん)とちょっと話をしたら、何と合気道をやっており、日本についてとても興味があるとのこと。日本を紹介してる月刊誌みたいなものを見せてくれた。ちょうど、その号は大阪の特集で、ミナミの独特の文化を紹介していた。それに対しては何か特別な興味を示していたよう。イタリアにいるとレートが良くないので、日本には行きたいけれども、行けないといった状況とのこと。とにかく、日本に来ることがあれば、コンタクトを取ろうと、お互いの連絡先を交換。いつになるかわからなけれども、何かつながりがあれば、楽しいかもしれない。とりあえず、それっきりではあるが。
彼からのプレゼントということで、そこにあるケーキをおまけしてくれた。とても美味しい。そして、ここで出してもらったカプチーノはいままでの中でも特別美味しかった。他とは違うよと説明してくれた。チョコレートの粉末をちょこっと混ぜているととのことだった。
さて、ここまできたら、だいぶ日は暮れている、好き勝手にあっちこっちにあるいて、何かお土産になるものを探す。あまり、収穫もなく、段々と体が重たくなっている。考えてみれば、今日は遠くアマルフィーから一気にここローマにきているのだ。無理もない。最後は、トレビの泉近くのやはり中華料理を食べに行った。そろそろ胃が限界に来ている。帰り道、イタリア最後のジェラートを食べ、夜道を歩きながら、いままでのイタリアでの出来事を思い起こすのであった。
たいへんだったなぁ。イタリアは。 でも、来て良かった。
2001.04.14.(sat)
朝から、どんよりとした天候。時折、雷音が響く始末。どうも、天気には恵まれない。この季節は変わりやすいのか、単に僕らが運に見放されているのか。
CARAVAGGIOで手短に朝食をとり、チェックアウト。本当に居心地の良いこじんまりとしたホテル。外で雨が降り始めたのを見ながら、”君が行ってしまうので、ローマが泣いているよ。”と、きざな言葉もどことなくさりげない、そんなオーナーだった。
Hotel Caravaggio ☆☆☆
Via Palermo 73 00184 Roma
tel 06 485915
fax 06 4747363
●Fiumicino それとも Davinci 空港はどっち ?
タクシーを頼んでもらい、テルミニ駅に向かう。今日のタクシーのお兄さんは、何かブツブツと独り言。ちょっと怖い感じ。しかし、ちゃっかりしたことに、駅についてチップを渡した瞬間に、いままでとは打って変っての満面の笑顔。今までの不機嫌はどこへ行ってしまったの。まったく、良くわからない。このような場面はイタリア国内ではほんとうに、頻繁に出くわすのであった。
自販機にて切符を買うけれども、まあこれがまたわかりにくい。Fiumicino行きは曜日と時間指定が出来るようになっているけれども、どうもしっくりこない。指定席もないし、自由に乗って良いのやら、、、。
しかし、予約した時間まで結構時間があるし、よくよく確認すると、すぐに出発する列車もあることに気がつく。とにかくここ、テルミニにいてもしょうがないので、とにかくホームまで走るとする。専用のホームなんだけれども、これがまた結構遠いのだ。
汗だくになりながら、たどり着く。空港への安全のためか、警備員がチェックしている。僕らは、とにかくこのキップで乗れるかどうかわからないが、とにかく走りながら、その警備員に乗れるのかとたずね、”行け行けっ!”といわれ、とにかく飛び乗った。ギリギリセーフ。昨日のナポリでのユーロスターといい、ギリギリに飛び乗るのがここ続いている。疲れる。
やっと飛び乗ったところで、息を落ち着かせながら、段々と遠くなる古代街ローマにさよならを告げる。きっとまた来ることでしょう。
一息ついたところで、ふっと目についた日本から持ってきた代理店でもらった予定表に目をやる。飛行機の出発地は、ROME / DAVINCIと書いてある。ちょっと待てよと。この列車の行き先はたしかFiumicinoである。
ここれには本当に、あせってしまった。もしかしたら、どっちもが国際空港だったら、僕らは間違った方向にいっている。しかし、この列車は1時間かけてFiumicinoに着く。そのまままたテルミニに帰ったとしても、もうその頃には飛行機の出発には間に合わない。またもや、冷汗がどっとでる。これはまずい。確認のしようがない。しかも、遠くヴェネチアに唯一の日本語ガイドブックを忘れている。情報がとにかくないのである。時間が過ぎていくだけである。
ここまで、引っ張ったけれども、結果としてはFiumicinoもDAVINCIも同じだったということ。紛らわしいこと甚だしい。頼むから、名称は統一してもらいたい。本当にあせったよ。
無事に、空港に着いて、そのままエールフランスのカウンターに行き、チケットのチェック。ついでにその横に一般の受付があったので、面と向かえるのはここしかないと思い、思いきって、イタリア国内だが、来週出発するパリ→成田行きの航空券のリコンファームをここでやる。もう、これ以上一日電話番号を探し、電話してやるのはこりごりだしね。
出発までには4時間くらいある。僕らは、焦った割には、余裕がありすぎたかも。とにかく空港内のあらゆる所に行ってみる。さすがに、電化製品も充実している。仕方がないけれども、高いのを承知でここで新たに16MBのメモリースティックを購入。いままで使っていたのはもう一杯になってしまうし、もう1枚として持ってきていた8MBのメモリースティックはご存知のように、どこかでなくしてしまっているのだ。ちなみに149,000リラ(日本円で9,000円程度、高いよね)。
●イタリアは空港内まで食文化を表している
出発までに時間はあるし、14時出発なのでまだ時間はある。空港内の大きなカフェテリアでお昼を食べる。これがまた充実している。各ブースには、パスタやら、ラザニア、ピザ、サラダとかとにかくその場でどんどん作っている。新鮮なまま、そのままレジに持っていき、奥の席で自由に食べる。これがまたカフェテリアでの食事とは思えない位充実している。良く、このような所は、味は二の次、とにかく人がさばけて簡単に出来るものってイメージがあるけれども、さすが食文化の苦にイタリアは、ここに来た旅行客を最後まで楽しませてくれる。これくらいの心意気を日本の空港も見習うべきであると思う。最後の最後までのもてなしって、後ろ髪引かれる思いにて、また来たいと思わせるものがあると思う。
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早朝。ホテルの窓から。
昨日の荒れ模様は
何処へ、、、
朝食は、結構贅沢に
頂けた。果物も
頼めばくれる。
最初に泊まった
部屋。バルコニーつきで
そこからの眺めは
絶景だ。
ここが、2泊目の
部屋だ。
とにかく天候は
すばらしい。
この窓からは
昨日の部屋よりも
さらに視界は
ひろがるのだ。
まさしく、人間と
建物と、自然が
一体化した感じ。
途中であった
老人と子供達の
廻りを撮り描くもように
座っていたネコ達。
振り返ると、ホテルの
建っている高さに
足がすくむ。
街の外壁は
いろとりどりで、
まさしく地中海と
いったところか。
汚れも、味に
変わる奥深い
景色。
これが、街の象徴の
ドゥオーモ。
内部の中庭は
イスラムの様式に
近いものが
興味深い。
チンクエも
元気に走っている。
ここはメインストリート。
チンクエのバンも
走っている。
珍しい 機種。
ここで、昼飯の
パンを買う。
急に天候が荒れて
道路にも波が
かぶる。
隣町のmaioriに
行く途中にある
ホテルに付属している
バー。しかし
営業はしていなかった。
昔は要塞だった
のだろうか。
日が暮れて
美しい顔をのぞかせる
アマルフィーの街
最後に食事したお店。
da maria
みんな親切だった。
夜警も美しいの
一言。
出発の早朝。
景色の色が
深いのだ。
帰り道も
景色はすばらしい。
だが、、、、
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