◆ギャラリー谷崎が設立20年を過ぎてさらにパワーアップした。昨年10月にこれまでの北浜の
三越デパートの裏のギャラリーから移転した。オープン記念パーティに呼ばれたサンちゃんには 初めての体験になった。パーティには大阪の有力画廊のオーナーやアート関係者が招かれ、また
作家からの祝辞や多くの祝い花が届けられた。新画廊の屋根に(上の写真)使われたオリーブ色
の瓦は10年前に谷崎氏が知合いから頂戴したもので、考えてみると10年以上も今日の姿をイメー ジされていたことになる。大阪にユニバーサルスタジオジャパン(USJ)が3月にオープンする
この時、アートの世界も確実に様変わりをしている。 |
◆谷崎オーナーは質素倹約を絵に描いたような人である。また人に惚れっぽい方で、話の中に
しばしば出てくる。情熱的でエネルギッシュな印象を受ける。そんな谷崎氏がデフレの今日、 新しいアート交流の場を創られた。氏曰く、「画商は画廊と作家と作品だ」と。一段階上を目指す
よりよいアートとお客さまに出合うための氏の理念から生まれた傑作である。 |
◆2階建ての作りで、三休橋筋に面してのウィンドーに「奥山民枝画伯」の作品が迎えてくれる。 1階は上記の作家の作品が展観できる。さすが谷崎氏の渾身の力の現れで1点1点に芸術性を
感じさせるものがある。中でも「中山忠彦画伯」の女性像は初々しく透き通るような肌に
エメラルドグリーンのシースルーブラウスが心地よい。「竹内浩一画伯」の雉鳩(山鳩)の絵は 「坂部隆芳画伯」の描く枝に止まる西洋鳩と対比され心が惹かれた。 |
◆2階は氏がいつもサンちゃんに語ってくれる「能島和明画伯」の作品が目を引くが、
階段を上がり左手正面の大きい壁面に一等光っている大きい掛け軸がある。
「川端龍子画伯の水襖魚龍図」だ。サンちゃんの中学時代の担任は京都美術学校(現京都芸術
大学)出身で師範学校(現大阪教育大学)も出られた方であったが、横山大観や日本画の話を よく授業中にされていた。応挙の鯉の鱗の話しとか、画学生時代ことなどが急に思い出された。
この絵は察するところ『鯉の滝登り』つまり立身出世することのたとえを描いたもので、 川端龍子画伯の勢いを描いたようにも思えるし、そういえば鯉は谷崎氏のようにも見えてくる。
またこれを手に入れた人は悦に入ったことであろう、フェルメールの『青いターバンの少女』の 瞳のように「鯉の目」が非常に魅力がある。黒く見える目の中が数色で彩られている。
背中のライン、川の水とのなじみ、人を突き動かす絵とはこのような物をいうのであろうか。 『川端龍子画伯/昭和3年(1928)院展を退き、翌年会場芸術を提唱して青龍社を設立、
これを主宰する。大胆な線を駆使したバロック的画風は多くの大作に展開されて、画壇の一角に 大きくその存在を示した。昭和12年芸術院会員に推されたが、これを辞退し、昭和34年
(現天皇陛下の御成婚の年)に文化勲章を受賞。』資料参考:小学館発行「万有百科大辞典」 |
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◆他にも名品があるので、是非機会を作ってご覧頂きたい。 |
取材日:平成13年(2001年)02月09日 |