魔法都市日記(33)
1999年8月頃
7月中旬から8月にかけて腰は痛いし、体調も悪かった。2年半ぶりに病院に行って検査を受けてきたら、どこにも異常はないと言われ、それを聞いたら腰の痛みも消えてしまった。
8月は休暇を兼ね、岡山まで2回遊びに行ってきた。岡山の山奥は空気が都会とは全然違い、星の見え方も半端ではない。肉眼でも地球を回っている人工衛星が見えるのだから、スター・ウォッチングにはこれ以上望めない場所である。天文台もあり、大型の望遠鏡で星を見せてもらえるが、今回はそこには行かなかった。
某月某日
7月31日から始まったデビッド・カッパーフィールドの日本公演も、8月22日の東京公演で終わった。一日に3公演をこなした日もあり、追加の分を入れると神戸、名古屋、東京で計30公演になる。これだけハードなスケジュールで世界中を飛び回っていたら疲れるのも無理はないが、近年、デビッドにもオヤジの匂いが漂って来ている。
公演についての感想や、神戸公演の報告は先月の「魔法都市日記」や「ショー・レポート」にも書いたとおりだが、その後、名古屋や東京の公演を見た人の感想でも、聞こえてくるのは批判的なものが多かった。昨年のように、絶賛の嵐というわけには行かない。批判の中で一番多かったのは「助手」の使い方である。今回の日本公演のテーマが、「インタラクティブ」つまり、「観客も参加する」ということがテーマであり、パンフレットにも当初から、「観客の中の2名が浮かび、13名が消える」ことがうたわれていた。これ以外にも、観客がステージに上がる場面が数多くあった。このこと自体はよいのだが、観客を参加させるのなら、もっと慎重に打ち合わせをしておかないと誤解を招くことになる。特にここ数年、インターネットなどのメディアが普及したことで、口コミの速度が昔とは比較にならないほど早く、広範囲になっている。
2年ほど前、「煩悩即涅槃」の中で「秘すれば花」と題して世阿弥のことに触れたとき、トム・マリカというマジシャンが、サーカスを見たときの体験を紹介した。はじめてサーカスを生で見たトム少年は、サーカスのあまりのおもしろさに感激して、親に頼み、同じ日にもう1回、続けて見せてもらった。トムは2回目を見て、一層驚いた。それは、昼間見たショーの中で、馬が突然暴れだし、それを取り押さえるのに座員一同が飛び出してきて大騒ぎになったのだが、それがまたそっくりそのまま2回目でも起きた。一回目のとき、ハプニングだと思っていた馬の暴走が、実は綿密に仕組まれたものであることを知ったときの驚きは、ショーのなかのどの出し物よりも強烈であった。彼はこのとき、観客を驚かせるための秘密を知ってしまった。サーカスの内容以上に、この秘密のほうに感激してしまった。
今回のデビッド・カッパーフィールドのショーでも、「カッパ・マニア」と呼ばれるような熱狂的なファンの中には、数回、公演を見た人もいる。2回も見ると誰で気づくことだが、今回の公演では、数種類のマジックで、一般客の振りをして、スタッフが舞台に上がったり、公演の前に、客席の観客に交渉して手伝ってもらったものが数点あった。本番では、デビッドが客席に降りて行き、観客を適当に選んでいるように見えて、実際は打ち合わせ済みの観客を選んでいた。これが誤解を招いている。つまり、このように、事前に頼んだ観客をステージにあげるものだから、あれは全部サクラであり、サクラだと思って見てしまうと、後は何を見ても不思議でなくなってしまう。このあたりの経緯は、「ラウンド・テーブル」に書いたので、ここでは詳しく触れないことにする。
実際は、「サクラ」と言っても世間で思われているような「助手」の使い方はしていないのだが、客席の人にすれば、自分の隣の人が公演の前にスタッフに連れられてどこかへ行き、本番で、その人が指名されるのを見たら、打ち合わせ済みのマジックだと思っても仕方がないだろう。
私自身は、このような助手の使い方には決して反対ではないのだが、やはり誤解を招くようなことはよくない。金はかかるかも知れないが、30公演あるのなら、30回分の異なったスタッフを用意しておけば済むことである。実際には数分間の打ち合わせで済むことであるし、拘束時間もそれほど長くもないから、バイトを雇ったところでたいした出費にはならないはずである。それよりも、口コミで、あれはサクラであるという噂が広がってしまうほうが、次回のことを考えるとよほど大きな損失になるはずである。
例の「パンティ・スワップ」も、毎回、白の下着と、真っ赤な下着の女性を選んでいたが、阪神タイガースの野村監督やサッチーじゃあるまし、若い女性で、あのような真っ赤な下着をつけている人が毎回いるか?このあたりのセンスにも、デビッドにオヤジを感じてしまう。
某月某日
岡山には2回行ったが、そのうちの1回は車での日帰りであった。この春免許を取ったばかりの子が車を買ってもらったというので、その試乗を兼ねて倉敷まで乗せてもらった。(大阪から片道約3時間)
1997年7月、JR倉敷駅のすぐ裏に「倉敷チボリ公園」がオープンした。ここには昔、大きな紡績工場があり、その跡地を利用している。駅から徒歩1分という便利さのせいもあり、想像していた以上に人気があるようだ。「東京ディズニーランド」などと比べるとずっと小さいが、それでもデンマークの首都コペンハーゲンにある本家のチボリ公園を手本に作られているので、木や花が多く、丸1日、十分楽しめる。コンセプトは「森の中」ということでもあり、遊園地と言うより、森の中の公園という雰囲気が強い。夏場は夜10時までやっているので、建物にイルミネーションが入り、バルーン型の観覧車から夜景を一望すると、昼間とはまた違った雰囲気を楽しめる。
車で行ったときはあまり時間もなかったので、公園の中をゆっくり見物できなかった。マジック関係のものとしては、園内にある「魔女の家」という店に入ったら、偶然、HoloSpex「ホロスペックス」という眼鏡を見つけた。(300円程度)
見た目は紙でできたサングラスのようなものだが、何かの発光体、たとえば電球やローソクの光、花火、遠くの夜景などを見ると、不思議なものが見える。普通に室内でこの眼鏡をかけても、発光体との距離によるが、何も変化はない。少し色のついた、紙製の眼鏡としか思えない。一見すると、昔からある眼鏡で、特殊な画像を見ると立体に見えるものがあるので、最初、それかと思った。
ところが、これで発光体を見ると、光源のそばに、「ハート」が出現する。発光体と言っても、家庭の天井にあるような蛍光灯などでは何も変化はない。もう少し光源の小さいものを見ると、はっきりハートが現れる。キャンドルやライターの火でも、1.5メートル以上離して見ると、火のすぐそばに2個のハートが出現する。キャンドルが3本燃えていたら、6個のハートが浮かび上がる。近すぎると、焦点の関係なのか、ハートは現れない。
このような眼鏡があることは数年前から聞いていたが、実際に見てみると、想像していた以上にくっきりとハートマークが現れたので驚いた。こんなにきれいに出現するとは思っていなかった。
マジックをやっている人間ならすぐに考えそうなことであるが、「予言」か、それに類したマジックに使えそうなので、すぐに購入した。同伴者に眼鏡のことを知られると効果は半減するので、気づかれないうちにさっと買って、鞄に隠した。
私がそのとき考えていたのは、次のようなカードマジックである。
観客に1枚トランプを取ってもらう。仮に「ハートの2」とする。その後、眼鏡を掛けもらって、テーブルの上にあるキャンドルをながめてもらうと、炎の周りにハートが2個出現している。つまり、「ハートの2」がキャンドルのそばに出現するというものであった。観客が二人以上いるのなら、もう一人の観客に眼鏡を掛けてもらって、その人に、最初の客が取ったトランプを当ててもらうという演出も可能である。
とにかく早く試したくてしょうがなかった。実際にこれを使ってカードマジックを見せるとなると、トランプが取り出せて、適当な光源がある場所が必要になる。レストランがよさそうなのだが、テーブルの上にキャンドルがある場所となると、地理に不案内な倉敷で見つけるのは無理かも知れない。捜せばありそうなのだが、「急がば回れ」の諺どおり、少々遠回りになるが明石大橋の夜景を見たいと言っていたのを思い出し、帰りは明石を通って神戸近辺まで戻ることにした。神戸近辺なら、テーブルにキャンドルのある店も何軒か知っている。夜も遅かったので、もし店が閉まっていたら、行きつけの店の主人に無理矢理キャンドルを持たせて、それだけやって帰ってこようと思っていた。それにしても、このマジックをやりたいためだけに、あちこち引っ張り回された同伴者は迷惑なことだったかも知れない。(汗)
何とか無事に、夜遅くまで開いている店で、キャンドルのある某レストランに入った。
席に着くと、テーブルの上にあるキャンドルに灯をつけてくれたので、眼鏡をこっそり取り出し、キャンドルを眺めてみると、どういうわけか、ハートが出現していない。(汗) このときはじめて、近すぎると見えないことがわかった。テーブルの上のキャンドルだと、距離が50センチ程度しかなく、近すぎて出現しないのだ。隣の席のキャンドルを眺めると、それにはくっきりとハートが現れていた。せっかくここまで来て、これができないのもくやしいので、対策を考えてみた。
この眼鏡で部屋全体を眺めると、炎の数の倍だけハートが出ることはわかっていたから、同伴者の席から部屋をながめると、キャンドルは7本くらい見える。ということはハートが14個出るのだから、「ハートの14」をフォースすればよい。しかし、ハートは13までしかない。こうなると、誰かが帰るのを待つしかなった。時間も遅かったので、私たちが食事をしている間に、4組は帰り、テーブルのキャンドルも3本だけになっていた。これなら「6」をフォースすれば問題ない。
実際にやってみると、トランプが当たることにはもう慣れっ子になっている同伴者も、この眼鏡には驚いていた。でもさすがに、これをやりたいために、遠回りして帰ってきたとは言えなかった。
某月某日
今月2度目の倉敷 。
今回は4名で、大阪から岡山まで新幹線を利用した。新幹線で行くと、倉敷まで1時間半程度で着いてしまう。
倉敷駅から徒歩で南に10分ほどのところに、「美観地区」と呼ばれる一帯がある。倉敷川に沿って、市内の観光・文化施設のほとんどがこの地域に集中しているので、見物には重宝する。江戸時代の倉屋敷がそのまま残っており、そのような建物を利用した展示施設も数多くある。この近辺の店は、めずらしい物や、奇妙なものを置いているので、眺めているだけでも飽きない。行ったところの一部を紹介しておく。
大原美術館
倉敷では最も有名な建物。日本で最初の西洋近代美術館であり、倉敷のような一地方都市に、民間の建物としてこれほど本格的な美術館があること自体驚いてしまう。倉敷紡績の2代目社長、大原孫三郎氏(1880-1943)が収集した作品が中心であり、その後も発展を続けている。
ここには美術の教科書に出てくるような有名な画家や、陶芸家の作品が数多く展示されている。、一度にこれほど多くの芸術家の作品を見られる美術館はそう多くない。
展示してあるものをざっと紹介すると、有名なものではエル・グレコの「受胎告知」から、コロー、マネ、モネ、ルノワール、セザンヌ、ドガ、ゴーギャン、ホドラー、マチス、ルオー、ピカソ、シャガール、モディリアーニ、ムンク、ミロ、他多数の絵画がある。工芸館では、棟方志功や浜田庄司、富本憲吉、バーナード・リーチ他、東洋館では児島虎次郎の集めた中国古美術のコレクションもある。
Father Christmas
アイビースクエアの近くにあるクリスマス用品専門店。11月、12月は店内に入りきれないほど混雑するらしい。しかしさすがにこの時期は私たちの他、客はいなかった。南半球では12月でも季節は夏なので、クリスマスも汗を拭きながらやっているのだろうが、クリスマスは雪が深々と降って、寒い中でないと気分も盛り上がらない。記念に、車に乗ったサンタクロースだけ買ってきた。
アンティークショップflax
ガラス製品のアンティークショップ。昭和初期に日常使われていたような瓶や、コップ、缶、ラベルなどもある。高価なものもあるが、1個100円で、古いガラス製のダイスを売っていたので、「チンカチンク」用に買ってきた。
再びチボリ公園
今回は朝から夜まで、たっぷり時間を取ってあったので、ほとんどのイベントを見ることができた。それらを全部紹介していると長くなるので、デンマーク広場でやっていた大道芸だけ紹介しておく。
私たちが行ったときは、オーストラリア出身の大道芸人、ピーター・メイハムが、炎天下、広場でジャグリングを見せていた。やっていることはボールや棒を使った普通のものだが、客のつかみ方がうまい。大道芸というのは決してテクニックの巧拙だけで人を集められるものではないことがよくわかる。歩いている観客の足を止め、その後しばらく芸を見てもらうには、手先のテクニックだけではどうにもならない。
アメリカなどでは、素人のジャグラーが日曜日など、公園や人の集まるところで練習を兼ね、ジャグリングをやっている姿をよく見かける。ところが、このようなサンデージャグラーは、技術的なレベルは十分プロとしてやって行けるだけのものを持っていても、通り掛かりの人が立ち止まることはめったにない。観客の足を止めて、最後はいくらかのお金を入れてあげたいと感じさせるには、手先の技術などより数段難しいことが山ほどある。
これはマジックでも同じことで、最初はタネさえ教えてもらえたら、それでできると思っているのだが、実際にやってみると、それ以外の難しさに気づく。テクニックの巧拙など、重要さの割合からい言えば、マジックでもジャグリングでも全体の,2,3割程度にすぎないのだろう。
今回出演していたピーター・メイハムという人は、オーストラリアではNo.1の人気大道芸人だそうで、観客の扱いが本当にうまい。飽きさせないし、意外性もある。日本人もだいぶ大道芸を見ることに慣れてきたが、自分も参加して、他の観客の前で何かをやることはまだ抵抗のある人が多い。静岡では大道芸の世界大会が開かれるようになってだいぶ経つので、観客も恥ずかしがらずに、積極的に参加している。岡山では、まだ静岡ほど大道芸に馴染みがないようだ。出て来てもらおうと思って声をかけても、逃げていってしまう子供が多い。
しかし、5,6歳の女の子で、大変協力的な子がいた。3つのボールでジャグリングをやっているとき、1個のボールが落ちてその子のところへ転がって行ってしまった。子供が拾って手渡したら、それを受け取ると、また別のボールが落ちる。これがエンドレスで繰り返されるだけのことなのに、このようなことでも、手伝ってくれる子供の反応が悪いと、おかしさが伝わってこない。この子はサクラかと思ってしまうくらい、色々な芸に愛想良く反応していた。(上の写真の女の子)
大道芸人は、芸を見せながら常に観客の反応をチェックしている。好意的な客、協力的な観客を見つけて、そのような人を選び出すのも重要な技術のひとつなのだろう。私はこのような場では、よく引っ張り出されるので、今回は後のほうで見ていた。
人形劇
アンデルセンの童話を人形を使って見せてくれる。出し物は『裸の王様』、『マッチ売りの少女』、『人魚姫』、『みにくいアヒルの子』。
話自体はどれもよく知っているが、この歳になってあらためて見てみると、原作者の意図がよくわかり、一層興味深いものがある。作者の哲学や人生観を童話にたくして小さい子供にも伝えようとしているのだろうが、子供にそれを求めても無理だろう。最近では、最初から大人を対象とした「童話」まである。おもしろさがわかり、作者の意図に感銘を受けるのが大人になってからなら、大人向きの童話があっても悪くはない。
某月某日
近所のお地蔵様では、今でも8月末に毎年、「地蔵盆」が行われている。地蔵盆というのは、「盆踊り」ではない。詳しいいわれは知らないが、小さな子供達を守ってくださっているお地蔵様の慈悲に感謝するというということが発祥かもしれない。
ここには石でできた鎌倉時代の「五輪卒塔婆」(ごりんそとば)がある。市内名所の地図にも載っているが、これがそれほど重要なものだなんて、生まれてからずっとここに住んでいる私が知らなかったのだから、誰も知らないだろう。
地蔵盆と言えば、子供の頃、袋に入ったお菓子の詰め合わせをもらうのが楽しみであった。日本版サンタクロースのようなものかと思っていた。袋に入ったお菓子の詰め合わせは、町内の婦人会のおばさん達が持ち寄って、詰めてくれているなんて知らなかった。てっきり地蔵さんがどこからか、お菓子の袋を集めて来るのだとばかり思っていた。
普段は地味なお地蔵さんの周りに提灯がつけられ、夜も10時頃まで明るく灯がともっていた。私が通りかかったとき、子供は誰もいなかったが、おばさんが5,6名、座って喋っていた。カレーの番でもしているのかと思い、覗いてみたがそれらしいものはなかった。近所のローソンに、明日するつもりで花火を買いに行ったら、「火の玉の素」も売っていたので、それも買ってきた。このおばさん達に、地蔵さんの後ろからこっそり火の玉を出したら驚くだろうと思ったが、面は割れているので、うかつなことはできないと思いやめておいた。
このような暗いところでマジックをやることはまずないのだが、10年ほど前、蛍のマジックが販売されたことがあるそうだ。暗いところでやると、本当に蛍が飛んでいるように見えるらしい。「胡蝶の舞い」の蛍バージョンといったところだろうか。残念ながら私はその現物を見たことがないので、それを想像しながら、「火の玉の素」で、「火の玉の舞い」を花火大会の最後にやったら、これが予想外にうけた。
マジェイア