背景
時は中世、英仏百年戦争の真っ只中。ジャンヌダルクはフランス東部ロレーヌ地方のドンレミー(Domremy)村で生まれた。
百年戦争と呼ばれたこの戦争は1337年にはじまり1453年に終わるまで休戦を含み百年以上続いた。フランスは負けつづけており、イギリスに攻め込まれていて、あともうすぐでフランスはイギリスの手に落ちるところであった。
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■フランス王国領 |
■イギリス領 |
■ブルゴーニュ公領 |
■プロバンス公領 |
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地図のように、現在の首都パリもボルドーもブルゴーニュもフランスではなかったのである。オレンジ色部分上部の都市オルレアンが陥落すれば、一気にフランスは領土を失うと思われていた。
フランス国民は負けつづけて戦う気が失せていた。
フランス国王の跡継ぎですらそうであった。後にシャルル7世となる王子は、国王になる気がなく遊びほうけていたのである。
それは彼の母親がイギリス王と結婚してしまったからである。
彼女はイギリス国王との子を作り、その子をフランスとイギリスの共通の王にしようとしていたのである。
そして、このように母親は誰とでも関係を持つ女だったためシャルルは本当に王家の血を引いた子供であるかどうかも疑わしかったのである。
自分はもしかするとどこかの名も知れない男の子供かもしれない。シャルル自信も自分に王になる権利があるのか不安だったのである。
国王は、国民の先頭にたち、国民とともに戦うことなどしなかった。
予言によると、フランスは一人の女により窮地に立たされ、一人の女により救われる。そう言われていた。
フランス王妃によりまさにフランスは窮地に立たされた。そして、人々はフランスを救うであろうもう一人の女の出現を待っていた。
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