ありがちな日記 2000年8月前半


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2000 8/15(火) 「ごま、違う道で実家に帰る。」の巻

 今日はお盆ということで実家に帰ることにした。実家に帰るルートは幾つかあるが、今日はいつもとは違う道で帰ることにした。いつもの道もかなり細くて狭い山道を通るのだけれど、今日のはもっと山道になる。私が通るのは15年振り位で、その時の記憶はほとんどない。

 手前の道の駅で昼食を取って運転をくろちゃんと交代した。その山道の途中には尾平鉱山という鉱山の跡があって、それから更に進むと祖母山・傾山というこの辺りではかなり険しい山の間を抜けて、宮崎側に抜けるというコースだ。宮崎側は父の実家もある。

 最初入口の方は結構広い道だったので15年の間に広くしたのかなと一瞬思ったが、やっぱり入口だけであとはいつもの山道より狭くてその狭い道が長かった。しかも今日はお盆なので帰省している人とか祖母や傾に登山する人とかの車も多くちょっとやだった。もう二度とこの道は使うまい。

2000 8/14(月) 「ごま、人がいないと仕事が進む。」の巻

 今週は夏休み週間で基本的には会議などは入れないようにしている。当然今週休む人は多い。私のグループでは朝一では私以外には2人しかいなかった。(後からもう1人来ただけ)私は、計算機室の方にパソコンを置いているので、朝すぐに計算機室に行った。

 計算機室の人々は私以外は誰もいなくて、途中バグかなにかの問い合わせの電話一本と来客が1人あったくらいだ。夕方まで計算機室にこもってずっと来週のための資料作成をしたが、普段の日の3倍くらいは進んだ。普通は会議だとか電話だとかメールだとかその他色々な外乱が入るが、今日は上の二つくらいでほとんど無かったからだ。

 それに人がいないと集中できるしね。土日に来ても割に人がいたりするから、今日なんかは結構貴重な日だったのかも。

2000 8/13(日) 「ごま、炭火焼きで倒れる。」の巻

 昨日、豊後牛やとうもろこしを買ったし、ブリだかハマチのかまもあるので、炭火焼きをやろうということになった。伊賀焼の炭火焼きセットをいつものように使う。炭は前回備長炭を使ってなかなか火がつかず苦労したので、今回はなら炭と備長炭の二種類を使うことにした。まずなら炭に火を付けてから備長炭につけさせるという方法。

 なら炭は火がつきやすいので、この作戦は成功していつもより早く炭火焼きを開始できた。こういう組み合わせだと、当然ワインが飲みたくなるので、赤ワインを飲むことに。トウモロコシも焼きナスも美味しくて、きわめつけは豊後牛。これは脂が甘くてワインによくあってとても美味しかった。

 でも、そのくらいから酔いでくらくらしてきて、一応焼くものを全部焼いてから炭の始末を付けるまでは何とか頑張ったけどその後リビングまで戻れず寝室で倒れてしまった。後でくろちゃんに起こされて何とか歯を磨いて寝たけど、今日のワインは効いたな。

2000 8/12(土) 「ごま、幻のケチャプを入手する。」の巻

 荻町には去年「どっちの料理ショー」で特選素材として使われて一躍有名になったケチャップがある。私たちも番組を見て速攻で買いに行って入手したのだけれど、それ以降何度行っても手に入らなかった。7月頃行ったときにお盆前なら手に入るようになると言われたので、今日行ってみることにした。

 行ってみたら店頭には並んでいなくてとても残念な気分になったのだけど、一応お店の人に聞いてみたら今日は後一本だけあるというので、すかさずゲットした。一本とは言え買えてよかった。夕食はこのケチャップと一緒に買ったトマトを使ってトマトの冷製パスタだ。きっととても美味しい。

 実は今日はその他にも、大分南部の色々な町の農産物直売所をぐるぐる回った。荻町以外に、野津原町ではもぎたてトウモロコシ。朝地町では豊後牛。清川村ではももソフトとキュウリとかぼすと椎茸。色々ゲット出来てなかなか収穫の多い一日だった。

2000 8/11(金) 「ごま、掃除ができない。」の巻

 明日から夏休みに入る人が多くて夕方掃除をするということになった。長期休みになるときにはいつも掃除をすることになっているのだ。それで、さあ掃除と言うときになって、なんとぞうきんが無いことが発覚した。前は山ほどあって、こんなにぞうきんはいらんだろうって感じだったのに。

 少しして誰かがぞうきんを持ってきたのだけれど、数が少なくて全然人数分揃わなかった。しかもどっから持ってきたのか、そのぞうきんは醗酵しているというか…酷い状態だった。しかしそんな状態のぞうきんでもちゃんと与えられた人はよかったが、私の分までは回ってこなかった。その他の箒とかごみ捨てとかの作業も別の人に取られてしまって、私だけなんか手持ちぶたさの状態になった。

 掃除するのも面倒くさいが掃除が出来ないのも何だかむなしい。

2000 8/10(木) 「ごま、体操をする。」の巻

 今日は「安全の日」と言って安全関係のイベントが入る日だ。それで、毎朝始業前にラジオ体操をすることになっている。安全の日には私のグループの管理職の人が各工場に行ってその工場の計算機のメンテナンス担当の人達と一緒に体操をして終わった後コメントを言うことになっている。

 私も数ヶ月に一度順番が回ってくるのだけれど、今月は私の担当ではなかった。ところが朝事務所に着いたら替りに行って欲しいと言われた。どうせ私の担当している工場に行けばいいのだろうと(通常はそう)思っていたのだけれど、そうではなくてあまり行ったことのない工場だった。その工場担当の人が昨日からずっとつかまらなかったので、朝早くに来る私にお鉢が回ってきたというわけだ。

 その工場のメンテの人は私もほとんど知らないので、ちょっと困ってしまった。行ってみたら向こうも驚いている様子だった。知らないところはやっぱり居心地がいまひとつで、コメントもなんか決まらなかった。代打は疲れるなぁ。

2000 8/9(水) 「くろちゃん、指を切る。」の巻

 家に帰ってくるとくろちゃんが指を切ったという。くろちゃんは料理上手であまり指とか切ったりしないのだが、久々にキャベツを千切りしているときに誤って切ってしまったらしい。あまり痛いとか言わないのに痛いと言っているのが心配。

 良く聞いてみるとキャベツを切る前に悪いことに包丁を研いだそうだ。それで、切れ味抜群で深く切ってしまったらしい。夕方の4時に切ったのに10時頃になっても傷がふさがらなくてちょっと力を入れると血が出てきてしまう。

 私はあまり血が徳意でないので、くろちゃんの話を聞きながら背中がぞくぞくしていた。

2000 8/8(火) 「ごま、停電で来客増加。」の巻

 朝一で会議をしていたら突然停電になった。すぐに一斉放送が流れて所内の架空線がトリップして事務所関係が停電になったらしい。原因がはっきりするまで停電はしばらく続くそうだ。会議が終わって計算機センターに戻ってみるとここは停電ではなかった。そもそも工場や計算機センターは停電されては操業自体がストップしてしまうので、事務所とかとは電力系統が別になっているのだ。

 そのあと原因がなかなかわからず結局夕方まで復旧しなかった。事務所は電灯はもちろんパソコンやエアコンも動かないので、仕事にならない人が多かったことだと思う。とにかく今日は計算機センターには妙に来客が多かった。めったに来ない人までやって来たので何でかと思ったが、計算機センターは電源が活きているので涼しいからだろう。(仕事もできないだろうし)

 設備課の人がやってきて、「事務所でたばこ吸っていると別の課の課長がやって来ては早く停電を治せとうるさいので、やってられないからこっちに逃げてきた。」と言ってやって来た人がいた。管轄外の人に言っても治らんだろうにお気の毒。

2000 8/7(月) 「ごま、酔っ払うが眠れなくなる。」の巻

 台風がすぐにはこっちに来そうにないので、今日は歩いて帰ることにした。結構蒸し暑くて汗をタップリかいたので、ワインが飲みたくなった。ワインは土曜日に福岡で仕入れていたので、それを飲んだ。最初はそのまま飲んだのだけど、前になんかの本で夏は安い白ワインをサイダーで割って飲むのもなかなかいけるというのを読んでいたので、それを実行してみた。

 飲んでみると確かに悪くない。サイダーの量は少なめにする方がいいみたい。そうしているうちに酔っ払ってリビングで寝てしまったのだけど、途中で起きて寝室までなんとか行ってそこで寝た。最初は気持ち良く寝ていたが、くろにぃがわんわん鳴きだしてそれで目が覚めたら今度は全然眠れなくなる。1回眠れなくなると今度は寝方を忘れたみたいになってしまうのはいつものことだが辛い。

2000 8/6(日) 「ごま、花火大会を観に行く。」の巻

 今日はたなばた祭りの最終日で花火大会が行われることになっている。そこで夕食を早めに済まして、会場である大分川の河川敷に出かけることにした。手前の公園に車を停めて河川敷まで歩いてみると、川の反対側に人がたくさん集まっているので、橋を渡って向こう岸に行った。

 東京とかの花火大会だったら1時間前なんて座る場所はないが、大分ならそれなりに場所が空いている。ただ、何処から打ち上げるのかちゃんと把握していないので、何処がベストポジションなのかわからなかった。適当に開いているところに座ってみたが、実際に花火が始まってみると後200m位下流側の方が良かったみたい。

 花火は、大曲でレベルの高いものを観てしまっているせいか、もう一つ迫力不足というか物足りなさを感じた。まぁ、あの花火大会は隅田川とかでも物足りないから、それはしょうがないけど。花火を観ている間中もう一度大曲に行きたいなという思いでいっぱいになった。

2000 8/5(土) 「ごま、福岡に魚を食べに行く。」の巻

 大分でも充分に魚は美味しいのだけれど、福岡に魚のとても美味しいお店があるので、久しぶりに美味しい魚を食べに福岡に遊びに行ってみることにした。実は数カ月前に福岡に行ったときにもその店に行ったのだけれど、店がとても混雑していて待たないと入れなかった。大分から来ているので開店すぐに入らないと帰れなくなってしまうからその時はあきらめて帰った。凄く残念だったので、今回は前に予約しておいた。

 福岡ではとりあえず昼はラーメンを食べて、それから夕方まで街をぶらぶらした。あちこち見て回っていたら、あるデパートで富沢商店というお菓子とかの食材を扱う店の商品を発見した。本店は町田にあって、大分に来てからくろちゃんがその店の商品が手に入らなくて残念がっていたので、種類は少ないけれど見つかって喜んでいた。

 その他には、私のワインとワイングッヅ、くろちゃんのチョコレートなどを買って適当に時間を潰しながら開店前にその魚の店に行った。相変わらず混雑していたけど、予約していたのですんなり店に入れた。今回頼んだのは、伊勢エビの刺し身(あとでみそ汁にもなる)、やりいかとひらまさの刺し身、つぼ鯛みそ焼き、車エビのフライ、生ウニ丼。頼みたいものはもっとたくさんあるのだけれど、お腹の方がもたないのが残念。どれも美味しいかったが、くろちゃんが特に感動していたのが、やりいかの刺し身。確かに甘くてまろやかで後味が長くて、なかなかの絶品だった。とにかく満足した。

2000 8/4(金) 「ごま、府内戦紙を見に行く。」の巻

 お昼頃会社の人と話していたら、今日から日曜までの三日間たなばた祭りがあるのだが、今日行われる「府内戦紙」(ふないぱっちん)を見に行くかどうかとう話になった。私が大分にいるころはたなばた祭りはやっていたけど、府内戦紙は今回で15回目とかいう割に歴史が浅くあまり知らない。最近はとても盛り上がって面白いというので、昼休みにくろちゃんに電話して行ってみることにした。

 ちなみに府内戦紙というのは、ねぷたの小さいような山車のチームが20チーム位参加していて、山車を競ったり、また山車には踊り隊がついていて競りが終わると踊りをするというようなのを繰り返しながら街を練り歩くというような感じのお祭りだ。うまく説明できないので、ここの写真をみるとわかるかも。

 軽く夕食をとった後でバスで街に出て、座れる場所をなんとか見つけて座りながら府内戦紙を見た。最初はオープニングパレードがあったのだけど、これはいまひとつで、どうなることかと思ったが、そのあと騎馬武者が走り出してから盛り上がってきて、本番になったら思っていた以上に面白く楽しかった。くろちゃんもかなり喜んでいたようでよかった。

2000 8/3(木) 「ごま、そのルートでも疲れる。」の巻

 ここ数日は雨が降ったりして今週は週に一度の徒歩通勤が出来なかった。やっと今日から天気が良くなってくるそうなので、今日は歩いて帰ることにした。ルートはいつものルートではなく、先日部長に聞いたルートにしてみた。

 こっちのルートだとアップダウンがなく、帰りの場合は最初はひたすら平らで最後にだらだらと登りが続く。いつものルートは大きな登りがあってまた若干下りがあって最後に短いけどきつい登りがあるので、それに比べれば距離はどっこいどっこいだし、確かにこっちの方が楽だ。

 ただ、最後のだらだら登りが急じゃない分長いのが難点。あんまりずっと登りだと途中で気合いが抜けるととてつもなく長く感じる。まぁ出勤のコースは最初ずっと下りだしこっちのルートの方がいいかな。

2000 8/2(水) 「ごま、旅行の話は楽しい。」の巻

 職場にもうすぐで入社30周年の人がいる。30周年だと旅行券と10日間の休みがもらえる事になっていて、その人は秋に東北に旅行する事にしたらしい。私は東京に住んでいて東北にもかなり旅行したので、あちこち詳しくてあそこがいいとかここがいいとか色々教えてあげた。旅行は企画する時も楽しいので、その人も色々検討していて楽しそうだった。

 そんな話をしているうちに色々な人がやってきて、新婚旅行は何処に行っただとか、自分が30周年だったら何処に行くとかそういう旅行の話で盛り上がった。中には旅行のスペシャリストな人がいて、どうやるほうが安いだとか、あれが便利だとか役に立つ情報もあったりした。そういう話をしていると自分も何処かに行きたくなるな。

2000 8/1(火) 「ごま、ありがちな日記3周年。」の巻

 上を読んでもらうとわかるが、今日でこの日記を書き始めて3周年で、4年目に入った。この1年は年末からトラブル続きで日記の更新がままならなかったり、2月にはパワーブックが壊れてバックアップも無かったので、日記を書きたくても書けない状況が1ヶ月以上続いたりして、それまでの年よりも日記的にはあまりよろしくなかった。

 ネタも年々手抜きになっていて、この1年はホントに書くことに困ってしまった日が多かったように思う。それでも、なんか搾り出して書いておけば後で見た時に色々とその頃のことを思い出したりもするだろう。最近すっかり記憶力が落ちてきていて、何年前の何月頃はどうだったとか思い出せなくなってきているので、そういう意味ではこの日記は重宝している。今後もなんとか続けていきたい。

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