#13.愛されることを学ぶということB

 

 保育器の中で、その子は足を突っ張らせ、気管支まで入れられた挿管チューブを掴んで引っ張りながら泣いていた。僕はそれに目を留めて、しばらくの間そこから動かずに居た。
 それは決して珍しい光景ではなかった筈だった。付属病院の小児科での2週間の実習中、その子は何度もこんな風に全身で暴れて泣き続け、疲れるまで泣き続けていた。何を求めているのか、何を怒っているのか、不意にその子は泣き出した、小さな小さな体をそれでも全身使って。僕はそれを何度も見ていた。何度も何度も僕はそれを見ては、その都度しばらくの間そこから動かずに居た。

 小学生の頃だったろうか、そう言えば保育園か幼稚園か分からないけれど、小さな子どもたちが集まって保父さんに遊んでもらっているのを見て、とても羨ましく思ったのを今でも覚えている。それは記憶の中ではいつも夕暮れ前の、夕暮れ前と言ってもまだ明るい時刻で、僕は一人で遠くからそれを眺めていた。
 記憶の中で、子どもの頃の僕はいつも一人だった。今になって思い出すのは、授業の合間の友達と雑談する自分でも、文化祭の準備で他のメンバーと一緒にプランを練っている自分でもなくて、何故だか必ず、ねっとりと纏わりつく午後の空気の中、一人で道端を歩いている自分だった。
 周りの人間との間に、まるで薄い鏡のような膜が張りめぐらされていて、そこに僕は存在していないかのようだった。僕は、半透明の自分の姿を追いながら、その奥に見える人間たちの動きを観察することしか出来なかった。僕は、ただただ一人ぼっちだった。
 つまらない、退屈な毎日だった、でもそれだけじゃない。自分の手の中に残る感情を、僕は自分の手で押し潰していたのだろう。それに慣れて来ると、僕はそうすることから逃げられなくなっていた。そうする中で、何か大切なものを置き忘れているような感じがいつもしていた。

 そうした中で僕は、病院や施設で子どもと遊んでいるおじさんたちを何度も見た。それは何だかとてもまぶしくて、羨ましくて、あんなふうになれたら良いって思っていた。
 だから、子どもに関わる仕事をしている人の話を聴きに行ったし、本だって読んだ。だけど本当は自分でもそんなこと無理だって思っていた。クラスの友達を見ていて、それを何度も何度も思い知らされた。
 「子どもは好きだよ」。僕はそう何度も何度も口にした。その言葉に嘘はない、だけど、子どもと本当に関われるその能力があるのか、それだけの人格的支えがあるのか、そう訊かれた時僕には何も答えられなかった。僕はその疑いを自分から払いのけるために、育児雑誌などを探してきては、クラスの人とそんな話をして、それで自分を誤魔化してきたのかも知れない。
 それは僕の中の一つの夢だった。手の届くはずもない夢だった。自分でそう認めたくなくて、周りを巻き込んでいたんだろう。良い夢を見たと思う。幸せな夢に浸って来られたと思う。でももう限界だ。

 髭を伸ばしているのは結構昔からで、その当時から回りに不思議がられたことを覚えている。けれど、その理由を誰かに話したことはなかった。僕も強いて話したいと思わなかったし、そしてまた目の前にいる相手も、本当に知りたいと思っている訳ではないと、分かっていたから。
 天邪鬼な性格だと、友達からはよく言われる。多分それは当たっている、と言うのは僕は“一つの答え”というものに満足できないのだ。“ひとつ”ということ、それは僕を怯えさせる。その前に居ると僕は、自分が掻き消されていくように思える。結論を先延ばしするために、僕はそこかしこに“ズレ”を差し挟もうとする、それこそ強迫的に。
 僕はそうした“さかいめ”、微細な差異の寄せ集めだった。正面から誰かに対峙すれば、それだけで粉々になってしまう脆い脆い自己だった。
 髭はそんな僕を守る仮面だった。初対面の人は僕を見ると大抵髭の話題から入った。僕はそこでの数回のやり取りから相手を判断する、僕を守ってくれるのか、僕に過度に接近してこない人か、感覚器の感度を上げて全身で相手を観察する。そこから僕はその相手との間でとるべき距離を測る。その間にどんな防御策を取るべきか判断する、何かあればすぐ逃げられるように。
 何時の間にか体に染み付いてしまった癖。でも本当は、そんな自分が嫌いだった。

 そんな風に生きてきて、結局誰ともまともに付き合えない臆病なだけの人間になっていた。そのことは、ずっと前から気付いていた。子どもの心の問題を考えていきたい、辛さで押しつぶされそうな子どもの逃げ場所を作りたい、そんな言葉を口にしながら、こんな自分に子どもの心など判るのかと、本当はいつも思っていた。それが自分の子ども時代へのコンプレックスから出た言葉だということも、ずっと前から判っていた。
 子どもが好きなら、小児科に進むのも良いんじゃない? 割に合っているんじゃない?なんて言葉を聞くと、それでも嬉しくなった。ちょっとの間だけ、今の自分から目を背けられた気がして、不安を忘れられる気がして。
 そんな風に自分を誤魔化して何になるのだろうと思いながら、そんな自分から少しの間だけでも逃げたくて、そのために誰かを利用していたのか。自分独りでは見続けることの出来ぬ夢の中に、代わりに誰かに語ってもらうことで浸って居たかったのか。
 振り返ると僕は、一体今までに誰かと正面から向かい合ったことなどあっただろうか。いつだって僕は逃げ続けていた。そしてそれは仕方ないことなんだと思い込もうとしていた。僕が悪いんじゃないんだと自分に言い聞かせようとしてきた。誰も僕のことなんて守ってくれないと思っていた。
 今思えば僕が医学部に来たのは、自分を隠す術を身につけたかったからだった。今いる自分を悟られたくなくて、それで心理学の知識を仕入れておけば回りの人間を誤魔化せる、そう思ったからだった。大学に入ってからはだから、それなりに心理学や精神病理学を勉強した。変な人間だと回りからは思われたかもしれない、でも僕にとっては必死だった。家族という関係から制度的に離れること、その合理化が僕にとっての大きな課題だった。今思うと大変な重荷だった。へとへとになって、けれどそれを止めることが出来なかった。

 ある新生児科のドクターが僕の目の前に現れたときから、僕は彼に心底惚れていた。いつもはただむっつりとして、不機嫌そうに廊下を歩いているだけの彼も、病棟や外来で子どもたちと接している時にはなんて甘い目をして微笑むことだろうか。その笑顔が、僕は大好きだったんだ。
 彼のことが大好きだった。本当に大好きだった。そんなこと、とても口にすることは出来ないけれど、ずっとあの笑顔のそばにいたかった。まるで、あのときに見た保父さんみたいだった。あんなふうに周りの人に暖かさと安らぎを与えられる人間になれたら、どんなに良いだろうと思った。いまは無理かもしれないけれど、彼の傍にいたらどんどん自分がよくなれると信じていた。彼と同じように子どもの近くで仕事をしていたら、僕もあんなふうに穏やかで暖かい人間になれるんじゃないかって信じていた。信じ込もうとしていた。
 それを僕はどれだけ望んだことだろう。だけど本当は、自分にそれだけの人格的基盤がないことに気がついていた。あんなふうに子どもと遊べるだけの力を持てるようになどならないことを、僕は意識しない時などなかった。
 彼が大学に残っていたら、彼に尋ねてみたいことがあった。どうして新生児科を選んだのか、そしてあなたの笑顔はどうやって手にいれたのか。そして何より知りたいことは、僕もあなたのようになれるかということだった。もしも今でも彼が残っていたなら、僕もまだ自分を誤魔化していられたかもしれない。
 でも、彼はもうこの大学にはいない。そして僕は仕方なく自問自答するしかない。

 僕にあるのは何だろう。誰かに誇れるようなもの、誰かの役に立てるようなもの……そんなものが、僕にあるんだろうか。考えるたび、体が引き裂かれそうになる。甘えているのはずっと前から判っている、こんなことを考えることそれ自体甘えだということなど、とっくの昔から分かっているんだ。でも……。
 ……また、逃げるのか。結局、またここから逃げ出そうとするのか。……逃げたくて逃げているんじゃない、怖かったんだ。回りにある、何もかもが。僕は、どこにも必要とされない。誰からも求められない。そんなことは、始めから分かっていたんだ。ずっとずっと昔から。
 でも、夢ぐらい見ていても良いじゃないか。そう思う。夢なら、出来るだけ良い夢を見ていたい。不良品は、不良品なりに必死に生きているんだ。……でも、僕は何のために今生きているのだろう? 

 それを恋と呼ぶことを、気付けずにいた。
 5階NICUで受け持ちの子どものカルテを眺めてみる。その時昔ここで働いていた彼の書いた文字が目に飛び込んでくる。達筆で、丸っこい文字を指で辿って、久しぶりに彼の暖かそうな笑いを思い出した。
 彼は今は街外れの重症心身障害者施設で働いていると聞いた。それは前々から考えていたことだったのか、それは判らない。僕に判るのは彼が子どもと遊ぶ時のしぐさ、その声の響き、回りを包み込むような大きな体とやさしそうなパパのような甘い笑顔だった。
 カルテから顔を挙げて回りを見渡してみる。クベース3台とたくさんのモニター類、参考書や雑誌、カルテと温度板、サクションをするナース、患者名簿が表示されたままのパソコンモニター、白い天井、プーさん絵柄のブラインド、……。
 どうして彼は今ここにいないんだろう。自分の背中が透き通ったものになっていくような感触が走り、風もないのに服の上から空気の圧力が伝わったように思え、背中に流れる汗が僕を圧倒するように思え、何度も何度も目を閉じては開けて、それでも彼はここにはいない。
 いない。いるべきはずの人が、ここにいない。

 この感触は、これまで何度も味わってきた。そのたび僕は、それが仕方のないものだと思ってあきらめた。自分がここでこうしているのが信じられないくらいに、体の輪郭が崩れていきそうに、触覚だけが異様に亢進して体表だけが自分であるように、そしてその中身を入れ替えようとして、触れてきたあらゆる物を投げ捨てて、僕は何もかもを忘れようとした。思い出したくなかったその感触を僕はまた、思い出していた。
 淋しいなんて、思ってはいけない、そう思っていた、でも。……みんな、みんな、いなくなっていく。それが辛い。

 僕という存在を包みこむ皮膚、その感触を僕はいつも忘れてしまっている。視覚と聴覚の中だけで生きているような錯覚を起こしてしまっている。僕は、僕という肉体を忘れがちになっていて、気づかないことに慣れ切ってしまっていて、それを不思議とも思わなくなってしまっている。それは、いつ頃からなのだろう。

 小児科の勉強をしていて、改めて気付かされたことがある。神経も皮膚も、元は同じ外胚葉由来であるということだ。色々な外界刺激を受けとめ、感じるのが脳だとするなら、それと同じくらい皮膚もまた、色々な刺激を受けとめ感じているのかもしれない。不意にそんな観念が横切る。
 そう言えば、以前に付属病院の新生児ICUの見学をさせてもらった時に聞いたことがあった。それは、未熟児はまだ聴覚や視覚の発達が未熟な場合があるから、彼らに接する時には笑いかけたり声を掛けたりするよりむしろ、触覚によってコミュニケーションするほうが良いんだということ。小さな小さな未熟児たちに、父親や母親は指や掌で何を伝えているのだろうか、未熟児たちはそこで何を感じているのだろうか、新生児ICUの中で僕はそんなことを考えさせられた。
 あるいは。児童精神医学の領域ではよく言われていることなのだが、人は生まれてから数ヶ月の間に、授乳されることによって基本的信頼感を学んでいくらしい。全てを他者に任せ切って、直に肌で接することで、人は信じるということを知るらしい。そのころにはまだ、心は皮膚にも宿っているのかもしれない。だが徐々に成長するにつれて、人は皮膚感覚の世界から離れ、視覚や聴覚の世界に生きるようになる。意味という世界の中に、自分を見出すようになる。成熟するとは、アイデンティティを確立するとは、そういうことを意味する。
 視覚によって距離を保ち、聴覚によって意味に変換して他者と接するようになるのはあるいは、裏切られることが怖いからか。一人でも生きていけるようにするためなのか。

 包み込まれていたい、という欲望が僕にはある。それはかつて満たされなかった願いを、僕は今尚引き摺っているということなのか。寂しさを解消したいと言う時、誰かの皮膚の温かさを求めたくなるのはそれは、僕の人格発達の未熟さゆえなのか、それとも誰もがそうなのか。
 毛布に包まっていると、少しだけ僕は安心する。まるで子どもがそうするように、大きなぬいぐるみを傍に抱えて。
 疲れているのかもしれない。寂しいと言う時、僕は大抵疲れているように思う。甘えたいと言う時、僕は大抵疲れているように思う。それはもはや、言葉では追いつけない。疲労に沈み込んでいくこんな僕を守ることは、おそらく誰も出来ない、と思う。
 だから。そんなことは誰にも求められない。そして一体僕は、どれほどのことを求めて良いのか、相手とのそれにふさわしい距離を掴めないのだ。だから僕ははじめから、人と距離を置いてしまう。拗ねてみたり、強がってみたり。近付いたら壊れてしまう、脆い脆い自分を知っているから。

 もう一年半になる、他のゲイとコンタクトを取り始めたのは。辛くなった時に気を紛らす場所、今の不安を棚上げするための場所、そうした場所としてのゲイバー。内気な僕にも、少しは友達が出来た。とてもとても、嬉しかった。そして、もっと前からここに気が付いていたらと思わずにはいられなかった。
 今日は、自分の心の整理を棚上げしたくてバラードに来た。たくさんの人たちが来ていた。その中には看護士をしている彼もいた。前に何度か話したことがある。年は僕とほとんど変わらないはずなのに、彼の方が僕よりずっとずっと大人に見えた。そして、ラフに振る舞っているように見えて、本当はとても優しい、相手に対する配慮に満ちた人だ。彼の傍にいると、僕はとても幸せな気持ちになれる。
 1時半ごろバラードを閉め、彼を含めた数人、そしてひろしさんやかーくんも一緒にはじめにいった。はじめのマスターはにこにこしながらひろしさんと喋り出した。3時ぐらいまでそこにいたんだろうか。僕はそれまでずっと、何だか頭の中で何かが僕を押さえ込んでいて、うまく話し出せなくて回りの話にじっと聞き入っていた。

 はじめからの帰り道、彼に如何しても聞きたくて「今の職業選択に満足してる?」って訊いた。そうしたら彼は、いつもと変わらない調子で喋ってくれた。
 ――うん、ただ今の職場には満足していない。時間もなくて、看護も本当はきっちりやりたいんだけどそれだけのことが出来ない。それにもっと自分でも知識や技術を身に付けたいんだ。それが今の職場じゃ出来ないんだよ。
 ……今のままで良いって思っちゃったら、もうおしまいだと思うんだ。それでその人の成長は終わると思う。……医大に残るつもりはなかったけど、今の職場も早いうちに辞めちゃってもっと自分を育ててくれるところを見つけようと思ってる。
 あと一年か。医者って大変だよね、結局全部自分の指示だもんね。だから責任は重いと思う。……医者は患者さんに対して優しいだけじゃダメなんだよね。僕の立場から言わせてもらえば、やっぱりナースに対しても対等に見てくれるって言うのかな、きちんと教えて一緒に考えるっていう姿勢が大事だと思うよ。どうせ看護婦にはわからないんだっていう、言葉で言わなくてもそういう姿勢が見えちゃったら、その医者には何も頼まないもん。
 ――そうだよね。……僕ね、今医学科にいるけどさ、何の為にいるのかよくわかんなくって。ずっと前から思っていたんだけど、学年が上がれば判る筈だと思っていて、そう期待して不安を誤魔化そうとし続けて、疑いを持たないようにしようとして勉強もした。でもそうこうしているうちに何時の間にか6年にまでなっちゃってさ、でもまだその目的が見つけられなくて、どんどん残り時間だけが少なくなっていって……何だか焦っちゃっているんだ。何のために医者になるんだろうって。周りから取り残されたような気がしてたんだ。
 ――それは、一つの可能性だと僕は思うよ。だから、今いることは良いことだと思う。僕は医者になるつもりがなかったから、別に受験しようとか思わなかったけどさ。
 僕がナースになろうって思ったのはね、昔大阪にいたときにさ、彼氏が死んだんだよね、心筋梗塞で。その時僕は横にいたのに何にも出来なかったんだよ、心臓マッサージも補助呼吸も……。大阪なんて、星の数ほど男なんているじゃん、なのに彼は一回も浮気をしなかったんだよね、何が良いのかよくわかんなかったんだけどさ、飽きもせず僕だけを愛してくれた。優しくてね……。後にも先にも、僕が心の底から愛したのは彼一人だった。今でも引きずっているよ。でも死んじゃったら終わりじゃん。あの時、本気で医療の知識を身に付けたいって思ったんだ。それで、大学辞めて飛びこんだんだと思うよ、看護の世界にさ。
 ――そうなんだ……。今日は話してくれて、ありがとう。

 不意に湧き出して来た奇妙な思い。その思いは発信源を特定することが困難で、また、打ち消そうとしてもそれは僕の頭の中を不気味なほどの威圧性を持って占領してしまうのだ。考えることさえ、それは僕に許さない。
 言葉でもなく、言葉以前の思いとも異なって、声としてあるいはメッセージとしての形をとり得ないままに結晶した、不定形のリズム。それに僕は怯える。ずっと怯えて来たのかもしれない。その怯えから僕は逃げ出そうと必死だったのかもしれない。
 寒い。いや、寒さではないけれども、汗が背中を伝うのを感じ、体はがくがく言い始め、僕は椅子から微動たりともできずに目を閉じる。怖い。何かが起こる、何かが始まろうとしている、何処かから、何処でもない所から、雰囲気が密度を持って僕を圧倒し始めるのだ。息が出来ないほど、このまま体が砕けてしまいそうなほど、体が、心臓が、まるで僕のものではないかのように。……逃げ出したい、でも何処へ?

 ……怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。でも何が。……見捨てられることが。誰からも相手にしてもらえなくなることが。独りであることが。その寂しさが、その苦しさが、感情が形を持って体を締め付けてくるあの時間が。それでも誰も守ってくれなかった。……あの時誰も守ってくれなかったじゃないか!
 辛いの。怖いの。独りでいるのはいやなの。独りの方が気楽で良い、なんて嘘。理屈っぽく虚勢を張っているあのいつもの僕は嘘。色々考えるのは、そこから逃げ出したいだけ。考えることで、この僕から距離を取りたいだけ。
 だから誰か僕を守って。内側から体が崩れ落ちて行きそうだから。大きな空洞の中に自分が取りこまれてしまいそうだから。嘘でもいい、僕のことを信じてくれなくてもいい、僕もあなたのことを信じることは出来ない……あなただけでなく、もう誰も。
 こんな僕の姿を見せたら、誰も僕を守ってくれなくなることは判っているから。嘘でもいいの、嘘だって気が付かない振りをするから。だからお願い、僕を独りにしないで、僕を守って。

 彼はいつも優しかった。人が傷ついている時、慰めて欲しい時、直感的にそれが判るんだ。今日はそれに、甘えてみたくなった自分がいた。彼は、そんな僕に気がついていたんだろうか。
 今思えば。ゲイ・コミュニティの中に入ってから、僕は周りから支えられっぱなしだな。たくさんの人に、ずっとずっと支えられてきた。守ってもらってきた。それが僕の奥に沈む何かを癒してくれているみたいだった。
 車の中に乗り込んでハンドルを握ると、涙が出てきた。心の中のつかえがとれていく快さに、彼の言葉の暖かさに、辛かった過去の記憶に。辛いとか苦しいとか、そんな感情をどうにか受け止める術を、受け入れてじっと暖める方法を、僕は見つけかけているんだろうか。

 胸部X線写真を見て、カルテを確認してからまた新生児室に戻ってみた。ナースがそうしたのだろうが、その子の口にはおしゃぶりがあてがわれており、顔の近くにはタオルが置かれていた。泣き止んで眠っているところだった。
 暴れていたのは、誰かに傍にいて欲しかったからか。そんなにも、淋しかったのか。そんなにも、独りでそれに耐えていたのか。そんな観念がよぎり、僕はその子の前で立ち尽くしてただじっとその姿を見つめた。不意にまたその子は指を動かし始めた。タオルにしがみつくその腕の力を強めた。僕は理由の判らぬままに泣き出しそうになるのを、堪えていた。

 


analyse interminable startpage / preface / profiles / advocacy of gay rights / essays / links / mail