#15.愛されることを学ぶということD

 

 

 「じゃあ、もういいよ」、と、僕は言った。

 苛々していたことは自覚していた。何度も何度も会いに来るって言っておいて、結局一度も来なかったよね。実行できない約束なら、はじめからしなければ良いじゃん。調子の良いことばっかり言うのは止めてよ、言われたことは覚えているんだよ、言われるほどに僕が惨めになって行く気持ち、何でそう気付かない振りをするんだよ。

 じゃあ、もういいよ。言い終わってから僕は、その後に言葉が続けられなくて、相手からの言葉から逃げ出すように受話器を置いた。どうせ僕のことなんか、って言いそうになるのは、分かっていた。

 

 たとえばこのような物語を紡ぐこと。それは他者の声の上に自分の姿を重ねることだ、と言えるかもしれない。

 

 それを僕は初恋と呼んで良かったのだろうか。

 柔らかそうな首筋や、眼鏡の奥の無表情のようでいて優しく深く細い目を、そして箸を動かす時の太い指を、口髭の動く様を、声の色とリズムを、あの時の僕は辿っていた。視線がたまたま合うと彼は照れたような、困ったような笑みを浮かべた。

 陽気な人で誰にでも声を掛けたし、よく笑う人だった。もう50近いのに、何処となくお茶目な子どもっぽい所があった。そんな彼に僕は惹かれていた。まだバーに慣れていなかった僕は、寂しかったのかもしれない。明るい輪の中に入りたかったのかもしれない。

 確かにそうかもしれない。それは、確かにそうだったのかも知れない。けれど今の僕にとって重いのは、そうすることによって実は、人との関わりを避けようとしていた可能性の方だ。その人との距離を保つために為される片想い、それを僕は選んでいたのか、意識するしないに関わらず。

 

 たまに聞いてみるとおもしろいのが伝言ダイヤルだ。今日も聞いてみた。珍しく、友達募集系の伝言だった。すごく興味を持った、とはいえ興味を持っただけであって話したいとは全然思わないのだが。人見知りする性格だからなのか、どうなのか、それはぼくには分からない。でも伝言ダイヤルを聞いてみたくなるのは、淋しいからだということは、分かる。

 受話器から流れてくるいろんな人の声は、僕の傍らを通り抜ける。それらは僕に向けられたものではないから、なんだか盗み聞きするような、何とも言い難い後ろめたさを覚えるのだ。もしも録音主のところに電話を掛けたら、その後ろめたさはなくなるのだろうか? ますます後ろめたさは募っていくのだろうか?

 

 夜中に一人で椅子に腰掛けている。そんな中で僕は、時々腕の脈を確かめる。

 意外に細い動脈が筋肉の裏を走っている。とく、とく、とく……。今僕はここに生きているのだというその実感を、脈によって確かめたくなるのは、目の前に広がるこの風景では足りない、ということなんだろう。

 掌を眺めていて、不意に何か尖ったものでそれを刺し貫いてみたい衝動に駆られる。幸いなことにまだ実行に移してはいないが、どうも時間の問題かもしれないとも思う。痛みは僕を追い越すことはないだろう。痛みは僕を置いて逃げてしまうことはない筈だ。そんなことを思うと、何だかそれは僕の傍にいる古くからの友達のようだ。

 ははっ、変な気分だ。誰もいなくなったと思っていたら、君がまだ残っていたんだね。

 

 僕はそのときそこにいた。それは確かだ。ではあそこにいたのは? あのときあそこで僕を見ていた彼は、じゃあ、誰だったのだろう?

 

 石原吉郎の本を最近になって読み返すことが多くなった。『海と望郷』の中に、こんな言葉が書かれていたのが妙に印象に残った。耐えるとは、なにかあるものに耐えることではない、何もないことに耐えることだ……その意味が最近すこし掴めたように思えるのだ。それは錯覚だろうか。

 何か目標があってそれに向かう中で耐えることは容易いことなのだ。そうではなくて、ソルジェニーツィンが言うように、自分の行為がいかなる形でも結果に影響しないような、人はそこではもはや道徳的であることがいかなることなのか全く判断がつかないような、そうした極限的状況において、では倫理的であるとはいかなることなのか、それを考え続けることがここで言われている耐えるということの意味なのだろう。

 僕らはたぶん、何の理由もなしにこの世界に送りこまれたのだ、それは正確に受動的な。茨城のり子だったかが書いていた、生というのは受動的なのだと、“I was born”、確かにそこには受動態でしか語り得ないものがある。それを、自覚的に主体的に捉え帰していくことが青年期の課題なのだと言う。たいへん難しい、何故って受動態でないような時間を意識する時は、少なくとも僕にはほとんどなかったと言っていいからだ。あらゆることが受動態でしかありえないとき、僕らは果たして倫理的たりうるのだろうか?

 

 最近誰からも電話がこない。そういう日々が続くと、自分が要らない人間に思えてくる。ユリシーズのブルームみたいに、僕は電話によって生かされているのかもしれないな。

 コンビニにウーロン茶を買いに出掛けようとして、アパートの正面玄関の扉に手を掛けたとき、上の方から、にゃあ、という声が聞こえた。振り返ってみると、階段の所に、まぁるく太った黒いねこがいた。こっちも、にゃあ、と返す。お前もここに何時の間にか住みついているよなぁ。時々ベランダまでえさをねだりに来るのもお前だろう?

 お前はいつまでここにいるつもりなんだ? ずっといてくれるのかい?

 

 できないから首は突っ込まない、としていると、何時の間にか何もしなくなってしまうのかな。

 

 うすぼんやりした部屋の中で、僕は自分に触れてくる指先の感触に目を覚ました。僕は眼を開けることもせずに手の主の方向へと体を向きなおした。どんな人なのだろう、それが気にならないわけではないけれど、例えば相手の名を訊いたところでどうなるというのか……。

 手を伸ばして相手の髪の毛に触れ、僕は軽く首筋にキスをする。そしてそのまま下へ、鎖骨から腋へ、乳首から臍の辺りまで、唇に当たる皮膚の感触で僕は相手を聞く。まだ若い、締まった体つきの男のようだ。僕なんかを相手にしている場合じゃないんじゃないのかい、もっといい男がまわりに何人も寝ているじゃないか……、その思いは不思議さだけではなくて感謝にも似ていた。

 繰り返す日常の中で砕けていきそうな自分を、僕はこんな風にしてしか保つことが出来ないでいる。僕は本当にここに居ても良いのか、僕はここで生きているだけの価値のある存在なのか、誰からもそんな問いへの答えは貰えないことが分かっているけれど、だからこそそれは僕にとって切迫したものだった。

 セルフ・エスティームは他者による賞賛の内面化なのではないか、と感じる。例えば僕が僕を愛することが出来るとすれば、それは誰かが僕を必要としてくれているからだ。だがそれをどうやって確かめられるというのか。僕を無前提に受け止めてくれる場所、それが何処かにあるというのか。

 それを刹那的と呼ぶのか。繰り返し繰り返し僕は、目の前の彼の皮膚を確かめる。視覚でも聴覚でもなく、そうした距離を残した感覚ではなくて、遥かに直接的な触覚を通じて、それは指先、それは舌の先端、存在を確認し続けるためにこうした皮膚の感触だけが僕の支えになる。肉体が僕を守るのだ。それだけが僕がここに来る動機だ。

 

 あなたみたいになりたかったんだ。そう伝えたい人がいる。

 

 ゲイであるとカムアウトすること、その障壁に親との関係があるという。親を悲しませたくない、傷付けたくない、だからクローゼットのままで生きていく……。僕にはそうした気持ちが理解しにくいものに感じられる。

 カムアウトすることは、相手への信頼の証しではないのだろうか? 僕は家族にカムアウトした人を何人も知っているけれど、彼らの話を聞いていると彼らが何と親のことを大切に感じているか、信頼しているか、そして愛しているか伝わってくる。もちろん彼らはカムアウトすることが親に大きなショックを与えること、長期間の心理的負担を与えることを知っている。だが彼らは形式的な親子関係という枠組みではなく、実質的な感情的繋がりを望んだのだ。カムアウトはだから、自分の心の中にある荷物を相手に乗せ替える作業ではない。何年も掛かるような、プロセスなのだ。彼らはそのことがよく分かっていた。

 そしてまた、僕がカムアウトしない理由もそこにある。僕は決して、家族の一員として生きたいなどと望まない。僕が名に於いて語るとき、その名は戸籍名ではあり得ない。

 例えばレインは言っている。家族関係は無意識的に内面化され、それがまた時を経て投影され、何世代にも渡って再生産されていくのだと。家族関係は従って幽霊のように憑き纏い続けるのだ。そしてそれを媒介するのが名である。そこに僕は存在しない。

 僕はかつて温かい家庭というものに憧れた時期もあった。だが、今はそれを望むべきではないと気付いている。僕の中にマップされた家族があのようなものであるなら、それは今後誰かとの間で再生産されてはならない。だからこそ僕は、家族というシステムを決して容認しないだろう。

 

 僕はあの時の失敗を繰り返したくなかったのだ。

 

 ヴィム・ヴェンダーズの『ベルリン・天使の詩』について柄谷行人が書いていたことを思い出した。柄谷はナチズムとスターリニズムのもとで荒廃していくベルリンをただ見守ることしかしてこなかった天使ダミエルを、現実にも存在しているある種の形式主義者として、つまり、どんな人間的実践にも物語にも幻滅したが故に二度とそれに荷担することなく、ただ実践が何も生み出さないことを確認するために生きているようなタイプの認識者として捉えている。そしてダミエルが人間となろうとすることに、彼がいう「外部」への志向、「暗闇の中での跳躍」を読み取る。そして一つのメッセージを記すのだ。有限で一回的なこの生を肯定し得るような「人間」、それはもと「天使」であったはずである、と。

 「天使」であることは、決して特殊なことではない。例えばダミエルは自分の流した血を見て初めて色彩を体験する。それはしかし、例えば戦争の現場をテレビの画面でしか知らないままに、その情報のみによって戦争を語ってしまうような、僕らが置かれた状況にあまりにも似すぎている。形式主義は僕らの時代においては、既に生の条件なのだ。こう言ったからといって、単なる経験主義に舞い戻るべきだということを意味するわけではない。現在においてはもはや、経験それ自体がそのものとしては不可能であることを、自覚することからまず始めなければならないのだ。経験がシミュレーションと何ら変わらない現代にあって、僕らが為し得るのはそこからである。

 だから僕は安易な経験論者を信用しない。というのは彼らが形式性を経由していないからだ。そしてまた、形式主義それ自身が強いられたものだという切迫性をおそらく彼らは理解できないだろう。彼らの生き方を否定しようとは思わないが、彼らが見えていないこと、見ようとしていないことを僕は見つめたいと考えている。

 

 “遊ぶこと”。市立病院の精神病棟で働いている彼は、よくこのことを強調した。遊ぶことは一人ではできない、誰かを遊ばせることはできない。出来るのは、その人とあなたとが遊ぶことだ。遊ぶことで相手が変わっていくとしたら、それはあなたも変わっていくことを意味している。

 関わるということは、そのようにして内面に持ちつづけている響き、そのリズムが変容していくことを意味している。声のシンクロニゼーション。

 

 真夜中に不意に目を覚ますことがある。あるいは、大学の友達と別れた後の帰り道、エンジンはかけたまま車を停めてハンドルに顔をうずめるように、視線だけ遠い遠いどこかを見つめたりする。こんなふうにしてキーボードを叩いていたりするのも、もしかしたらそうしたことなのかもしれないと思う。それは疲れとはまた違った虚脱感のようなもので、そこから抜け出そうと一人であがくほど絡んだ糸が拗れて行くような、けれどじっとしていられない焦燥感が揺さぶりを掛けて来る。

 一つ一つはたいしたことのない些細な出来事が、奇妙にも重たく感じられる事態、例えばそれを淋しさと呼ぶのかもしれなくて、孤独と呼ぶのかもしれなくて、そう思っても電話の受話器を持ち上げて打ち込める番号はせいぜい3つか4つまで、何故ってそれは、その相手が僕を必要としていないから、僕を待っていないと感じるから、そうした中で、一体どんなことが話せるだろう。

 例えばそうした僕の振る舞いを受け身と呼んだとして、何が解決するだろう。周囲の人間への憧憬あるいは羨望を、言い訳と捉えることはもちろん可能だろうが、そうすることで一体何を変えられるだろう。

 “ひとりでいることができない”、けれど同時に、“だれかとともにいることもできない”。そんな僕にとっては、例えば片想いという微妙な距離が、似つかわしかったのだろうと思う。間接的な、それは例えば相手の肩に手を触れようとして触れられない10cmの距離のような、それは僕の輪郭を保てるぎりぎりの選択だったのだろう。壊れないために、僕を僕自身の手から守るために。

 

 けれども、だとしたらどうだというのだろう。

 だんだん、だんだんじぶんでもわからなくなる。あなたにそこにいてほしかったのか? それはあなたでなければならなかったのか? じぶんをまもってくれるそんざいでありさえすればよかったのではなかったのか? すきになるってどういうこと? すきってなに?

 


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