当事者性を持った言説構成について考えたい。核心となる論点が何処にあるのか掴みやすくする為に、ここでは意図的に単純化した議論を行うことにする。本来このテーマはより複雑な議論が必要であること、それは具体的な「語り」の場面においては極めて大きな問題になることは、最初に断っておきたい。

 最初に、語り方は複数存在するという点を指摘したい。本稿では代表的な二つ、経験的なものと思弁的なものを取り上げて論じたい。経験的な語り方と、思弁的な語り方は、明らかに性質を異にしている。この二つは、通常そう考えられているような、いわゆる理論と実践との違いではない。そうではなく、これはコミュニケーションの二つのスタイルなのである。そして、コミュニケーションのスタイルが異なるということは、コミュニケートできる領域が異なるということである。
 考えてみよう。ある事象において当事者であるとする。例えばゲイであるということは、ゲイであることで受ける様々な経験を生きているという意味で、当事者である。この経験は、ゲイという当事者の間では、説明抜きに共有することができる。だが同時に、ゲイでない人間には、そうした説明抜きのコミュニケーションは出来ない。当事者の経験は、その事象における当事者のグループ内では説明抜きに共有できるが、当事者以外には伝わらない。当事者と非当事者の間には、壁があるのだ。経験的な語りは、経験の共有できるものの間でのコミュニケーションに利用される。
 では思弁的な語りはどうか。思弁的な語りでコミュニケートする際には、相手が当事者であるかないかは関係がないように思われる。ではそこで問題となるのは何かというと、相手が思弁的な語りを理解できるかどうかという点である。理論家集団は、こうした思弁的な語りによって結びついている集団であり、そこでは説明抜きに思弁的な語りでコミュニケーションできる。だが、その思弁的な語りは、理論家集団以外には伝わらない。壁はそこにある。思弁的な語りは、思弁的な語りが理解できるものの間でのコミュニケーションに利用される訳だ。

 ある語り方は、ある集団内部を循環しそこで回路を作る。この情報による閉鎖回路は、その語り方を共有しない人間を受け入れないため、そこに壁が形成されるのだ。言い換えよう、壁は語り方の差異そのものによって産出される。だからと言って、この壁を構成しない語り方がどこかにあるわけではない。この壁がなくなることは、決してありえないのだ。
 従って重要なことは、壁のない振りをすることではない。そうではなくて、壁は壁としてその存在をしっかりと見極めた上で、その二つの語り方の間で翻訳することだ。この翻訳は自分の中で行われる必要があろう。このことを図示してみよう。

 当事者性を持った言説構成とは、単に当事者が自分の体験した想いを語ることを意味するのではない。そうではなく、当事者性を保ったまま、当事者以外とコミュニケートすることを意味する。それはつまり、この当事者と非当事者の間の壁を乗り越えることを意味する。その交流は従って単純には可能でない。ここでこそ、別の語りに翻訳すること、別なルートを通じて相手とコミュニケートすることが必要になる。
 当事者がただ自分の体験を語るのではなく、それを一旦別の語りに翻訳してコミュニケートすることは、コミュニケーションの可能性を飛躍的に増大させる。従って他者とのコミュニケートにおいては、こうした複数のゲートを開くような語り方が要請されるのだ。それが当事者性を持った言説構成の意義である。

 当事者性を持った言説構成と言う時、具体的には、@新しい概念の創出による、当事者が抱える問題の写し取りと、Aそれをてことしての表象−言説システムの再編成、を意味しよう。あたかも社会がマジョリティによる単一の語りだけで覆われてしまっている現在、当事者性をその中に導入するとは、その表象−言説システムの根本的な改革を意味する。それは並大抵のことではなく、また単一のステップでもありえないが、その必要性はもはや明らかになってきていると思われる。
 ただし、時として@新しい表象・概念が一人歩きする危険性がある。それを回避するには、あらかじめ同時に複数の言説システムにコミットすることで、概念の流通経路に操作的介入を行う必要がある。また、A思弁化は語りが当事者から解離する危険性を常に持っている。思弁的な語りが流通する集団は社会全体から見れば極めて小さい為、一定程度の解離はやむを得ない。だが、語り方の間に存在する壁、それを乗り越える翻訳という作業の困難さには意識的であるべきであり、それを無視した思弁化は、時として当事者性の抹消に繋がってしまうのだ。

 以上、当事者性を持った言説構成について整理した。これは大変困難な問題であるが、しかし実は極めて日常的に要請される課題でもあるはずだ。特に、ある程度社会性を持った活動を行う場合には、必要不可欠な考え方であるに違いない。本稿では思弁的な語り/経験的な語りという二種類の語りしか取り上げなかったが、現実には語り方は極度に多彩でかつ相互に複雑な関係を取り結んでおり、これらを整理することは到底不可能だ。だがここで述べたことだけでも、核心は把握できるように思われる。

 


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