1960年代から70年代にかけて、antipsychiatryという「出来事」が沸き起こった。それは当時非常に大きな社会運動として、様々な領域に多大なインパクトを与えたことは記憶されている。だが、当時持っていた思想的実践的影響力にもかかわらず、現在では一部の集団内を除いてはほぼ完全に忘れ去られ、もはや顧みられなくなっていると言って良い。そしてそれは妥当な結果である。「反精神医学劇の大方の主役たちは黙した」(クペルニク 1988)のは、当時の状況論だけに還元できる問題ではなく、antipsychiatry自体に内在する理論的限界を示してもいると考えられるからだ。
 antipsychiatryの理論的中心人物としてレインを挙げることには誰もが同意するであろう。彼が提示した枠組みとは、反収容主義・反疾病論・反治療論であり、これはantipsychiatryに関わる者の基本的な前提であったと思われるからである。その象徴が1965年に開かれたキングズレイホールである。これは一種の宿泊施設であり、そこではスタッフと患者の区別がなく、誰であろうと、誰からの強制もなく、好きなだけそこに住むことが出来、好きな活動に参加することが出来る。サリヴァンやクーパーが行った実験病棟を更に発展させた形で、レインは一つの冒険的試みを提示したのであり、これこそが精神科デイケアや中間施設、共同作業所その他、現在その重要性を増している様々な施設の象徴的出発点であると考えることが出来る。
 さて、これを精神疾患を抱えた患者を社会の内部に開放しようとする寛容の戦略と呼ぶことにすれば、寛容の戦略はもはやその理論的ラディカル性を失っているかのように見える。何故かと言えば、もはやレインなど参照しなくともそうした様々な施設の必要性は広く認識されているのであり、その実現に必要なのは理論ではなくて時間と資金だけだからである。従って、この側面のみでantipsychiatryを考えるならば、もはや彼らの書物を読む必要はない。彼らの試みは完全に過去のものなのであり、現在そこから新たな理論的可能性を見出すことは全く不可能であるからだ。
 だが僕はantipsychiatryにはまた別の側面もあるということを強調したい。精神疾患を抱えた患者について、それを巡って議論するのではなく、それを議論する我々、あるいはこの社会を問題とするあり方もまた、antipsychiatryには存在していたと思われる。先のキングズレイホールを象徴とする試みを寛容の戦略と呼んだ。それに対比して言うならば、この思想的傾向は変革の戦略と呼ぶことが出来る。こちらは寛容の戦略と異なって、現在実現出来ていないだけでなく、実現の必要性すら認識されていない。従ってもしantipsychiatryを現在それでも読むとしたら、この変革の戦略、その理論的可能性を掬い上げることにしか、行為の存在理由を見出せないであろう。
 さて、僕は今後展開する第一部で、レインではなくクーパーの諸テクストを参照しながら、この変革の戦略について、その理論的可能性について、可能な限り図式的に分析することを試みる。何故クーパーなのかということについても、その中で触れる予定である。また、第二部においては、antipsychiatryの理論的射程を別の文脈から確認する。具体的には、デリダの展開した二本のフーコー論を参照する。フーコーの著作はantipsychiatryにとって参照すべき重要な古典であるとされてきた。従ってデリダが行っているフーコー論は、antipsychiatryの理論的核に対する批評であると捉えることも出来るのである。
 こうした内在的及び外在的な批評を通じて、僕はantipsychiatryの理論的射程を検討することを試みる。それは同時に、現在から再読した際のantipsychiatryの限界を見出すことでもあるだろう。それは少なくとも反−反精神医学の論客が主張したような単純なものではありえない。だがしかし、antipsychiatryもまた固有の理論的限界を持っているのであり、それを無視しての理論的発展もまたありえないと思われる。

 第一部における具体的なテクストの読みに入る前に、寛容と変革という二項対立について説明をしておきたい。形式的に記述するなら、寛容とは社会におけるマジョリティの変化が必ずしも必要とされないのに対して、変革とはマジョリティの変化こそが求められる。そしてこの相違は、社会適応という概念を考える上で極めて重要である。
 適応とは、社会においてトラブルを避け得るようにすることを意味する。従って、マジョリティ/マイノリティという二項対立概念を使って再び形式的に記述するなら、社会適応には二つのあり方があることになる。つまり、マイノリティをマジョリティに近付ける方法と、マジョリティをマイノリティに近付ける方法だ。この前者の考え方をノーマライゼーションと呼ぶことは別稿にて確認した。更にマジョリティの変化が必ずしも必要とされないという意味で、それは寛容の戦略でもある。
 この後者の考え方、即ちマジョリティのマイノリティ化こそが変革の戦略の意味するところである。このレベルで考えることが社会適応という概念の再構築に繋がる。だがまたこの変革の戦略即ち、ノーマライゼーション批判にも、二つの考え方があるように思われる。ノーマライゼーションというシステムそのものの根絶(denormalization)と、単一のノーマライゼーションシステムの特権性の剥奪(polynormalization)である。
 ノーマライゼーションというシステムは、20世紀半ばまでに全盛を極めた。それは、19世紀にはまだ存在していた規範的人間像に集約するシステムから、平均的人間像に集約するシステムへと変化していった歴史でもある。そして現在、このノーマライゼーションは、テクノロジーの進展により揺るぎ無いものになったように思われる。それはリスクマネージメントという形で間接的に共同体構成員のあり方をコントロールし、逸脱者を確率的に管理するのである。
 だが同時に、単一のノーマライゼーションが社会全体に機能することもまた、現在困難になりつつある。共同体はその内部に幾重にも亀裂が走り、もはやそれを一つに纏め上げる視点は存在できない。ノーマライゼーションは、そのように小さく分割した共同体内部でのみ機能するようになってきている。社会全体を纏め上げるノーマライゼーションというシステムは、批判以前にそもそももはや存在していない。
 僕はdenormalizationの可能性を信じず、むしろpolynormalizationに理論的可能性を見たいと思う。polynormalizationは、社会の中心点を複数化することで、個人を複数の集団に同時に所属させることで、単一のノーマライゼーションの効果から逸脱させるという考え方である。これは実は現在発展してきているメンタルヘルスの考え方と深く一致している。それはたとえ社会全体を覆うノーマライゼーションが機能しなくなったといっても、小さな集団内部では尚その内部のみで機能する単一のノーマライゼーションが特権性を持っている以上、このpolynormalizationという考え方を提唱することの持つ意義は決して小さくないはずである。
 だがこうしたノーマライゼーションへの批判は極めて時代的なものでもあることには注意が必要だ。polynormalization自体が、現在におけるより巧妙な、より緻密なコントロールに我々の身を差し出させる為のシステムだとしたらどうか。それでもその批判は必要なのか、別種の批判が必要なのではないのか。それについての答えはまだ今のところ見つけ出せていない。今後展開される分析で、その答えに少しでも近付きたいと思っている。

 


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