まずは、セジウィック『クローゼットの認識論』から話を始めましょう。序章で挙げられている7つの公理の中で、ここでは公理4について紹介したいと思います。
公理4 自然(ネイチャー)対養育(ナイチャー)についての一見儀式化されてしまったような古くからの論争は、自然と養育両方についての暗黙の仮定や幻想という、非常に不安定な背景のもとで行われている。
よく色々な雑誌で、ゲイが形成されてくる要因についての研究が発表されています。そこでの議論の焦点は、平たく言えばゲイになる原因は「生まれ」か「育ち」か、様様な根拠をあげて説明している。だが、こうした議論そのものが、暗黙のうちに次のような土台の上に成り立っていることを見逃すことはできない。「個人のゲイ・アイデンティティの発達や起源を問うという枠組みは、そのアイデンティティを根絶するという、個人を超越した西洋の暗黙のプロジェクトまたは幻想によって既に組織化されている」。
どういうことでしょうか。ゲイになる原因が「育ち」、つまりは社会的・文化的な過程によって形成されてくるとしましょう。しかし、「育ち」即ち社会的文化的に形成されたものは、いつでも自由に変更可能であるという前提が今、社会には根深く存在しています。ということは、現時点においてはゲイになる原因を育ちに置くということは、ゲイというセクシュアリティは容易く変更可能な、「治療可能な」ものと捉えることに等しい訳です。現在、ゲイであることを望ましいもの、人生に必要なものだと捉える人は少ないのに、ゲイが増えることを防ごうとする人はずっと多いわけですから、「文化的可変性」を強調することはそのまま人類の総ヘテロセクシュアル化を推し進めることに繋がるのです。
では逆に、ゲイになる原因が「育ち」ではなく、「生まれ」つきのものだとしたらどうでしょうか。つまり、ゲイはゲイに生まれてくるのであって、そのホモセクシュアルな身体は不変的であるという訳です。こうした言説は、セクシュアリティの「文化的可変性」を強調することによる上述のような諸問題に抵抗する上では有効であったのかもしれません。しかし注目すべきは、ゲイになる原因を「生まれ」に置くこうした言説もまた、やはり同様の問題を抱えているということです。どういうことでしょうか。
ゲイになる原因を生物学的に説明する研究があります。うわべはゲイに対して肯定的なそれらの研究はしかし、その言表をよく辿ってみる必要があります。「逸脱した行動がホルモンや遺伝子物質や、あるいは今流行りの胎児段階の内分泌環境などの『過剰』『不足』や『不均衡』という用語を必ず使って生物学的に『説明』される」現状に、寒気を感じるのは僕だけでしょうか。どんなメディアでもいい、何故そうした研究者たちはゲイを生産すると思われる環境のことを、適切なホルモン・バランスと言ったりゲイ誕生の助けとなる内分泌環境と呼ぶことがないのでしょうか。元々医学的には、原因を追求するという姿勢は、そうした「異常」を根絶しようという欲望に支えられています。近年の医学の急速な進展は、生物学的な原因であればそれはまた可変的なものであるという幻想を作りあげています。ということはまた、ゲイになる原因が「生まれ」であるとされたとしても、それは必ずしもゲイを擁護することにはならない、むしろ逆の結論を導く助けともなりかねないのです。
ゲイになる原因について云々する様々な研究は、ある意味こうした「ゲイ根絶プロジェクト」の一環として遂行されているという印象を与えます。少なくとも「起源」への問いにおいてその危険性から逃れることはできない。今我々に重要なことは従って、起源への問いを立てさせないような状況形成であると言えるのではないでしょうか。
ある意味、こうした社会状況を背景に「ゲイであること」は、並大抵のことではありません。自分を「何らかの理由によって」ゲイになったのだと考えることは、そのまま自らのアイデンティティをホモフォビックな権威に譲り渡すことでしかない。だがしかし、ゲイである自分について、あるいはゲイであることについての問いを立てないでいられる状況は、まだ尚遠いと言わねばなりません。「ゲイであるということ」、「ゲイとして生きること」は、現状ではきわめて強い選択を要請するからです。何故ゲイなのか、という問いを立てることも立てないこともできないこうしたダブルバインドの中に、ゲイは置かれているのです。
そんな中で僕は、「僕はゲイだ、僕はゲイだ」と呟き続けることしかできない。そうする中で、ゲイというアイデンティティへの問い掛けを、自分を対象にしたものから微妙にずらし続けるしかない。それが自分のジェンダー・アイデンティティを固着化し、セクシュアリティを固定化したものとしてしまうことを覚悟の上で、それでも僕は問いを社会へと投げ返したい。
僕は、「ゲイになる」ことはできない。ただ懸命に、「ゲイである」ことしか。その想いは、これを読むあなたには伝わっただろうか……そう自問しながら。
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