Critical comments to "Eternal ties"

「久遠の絆」大批判のページ

あの、「久遠の絆」これっていやその、結構面白いゲームだろうと思います。 でもね、、。

題材として、現代の高校生たちと、平安時代、元禄時代、幕末時代のそれぞれ の時代での人物たちとの「輪廻転生」に基づく繋がりと、そして人物間の愛と 相克の、、みたいな話っていうのは非常に面白くて、で、しかもそれがマルチ シナリオのノベルゲームになっていて、って ことだと、面白いに違いない!ってことはあるんだけれど、、、。

じゃあ、いざやってみるとどうか、、、。なんだかなー。で、このゲームにつ いて、詳しく分析して、その批判をしておくことは、ノベルゲーム全般の問題 としても非常に重要なことだと思うから、一応、まとめておく必要ありってこ とですね。

ベースとなったのは、fj.rec.games.video.characters での議論です。


もくじ

どういうゲームなのか
な、な、長い、長過ぎ!
まずは、サスペンスホラーだと思ってみると
つまりRPGだと
じゃ、なんであんなにカッタルイか
で、文章読み進めるのも苦痛かも
で、さらに物語設定上の問題も考えると
構成を分析すると
で他に文句は?
で、千年の愛の物語としても
で、本来どういうものであるべきか。
実際の製作現場は、、、
終りに

どういうゲームなのか

主人公は高校2年生。夜になると、夢を見る。怪しい恐い夢。主人公は母の妹、 つまり叔母と、その叔母の娘、つまりイトコで同じ歳の女の子「栞」と同居し ている。まあ、このあたりについては、同級生2をひっぱっているといえなく もない、美少女ゲーにありがちなお約束かもしれませんね。

さて、普通ですと、幼馴染みの女の子が主人公を起こしに来るっていうのが多 いわけですが(To Heart でも ONE でもね)、そこは若干ひねっていて、この主人公の 場合は、イトコの栞ちゃんを毎朝起こすのが日課ってことになっている。まあ これはちょっとしたヒネリですね。

さて、主人公の親友に汰一というのがいて、同じクラス。で、春の新学期に沙 夜先生っていう美人の先生が担任になって、栞は別のクラス。そんで、絵理ちゃ んって女の子がいて、目立たない子なんだけど、、

まあ、ここまではよくあるギャルゲーの設定ですね。さて、そんで、主人公の クラスに、謎の美少女「万葉」が転校してきて、その子が主人公に会うなり 「鷹久、やっとみつけた。今度こそ、私が殺してあげる」とかいう。なんのこ とだかさっぱり分からん主人公。で、これを確かめようとかしているうちに、 いろいろ事件が起こる。沙夜先生がいきなり貧血で倒れるみたいなことが起こ るが、この時、主人公ははっきり先生の肩に、へんなバケモノがいるのが見え る。見えているのは主人公と万葉だけらしい。

そして、同級生の絵理ちゃんのラブレター問題から悠利っていう不良と喧嘩し たりして、ってことで、現代において、喧嘩やらなにやらが起こり、その中で、 本来オカルトクラブに入っている絵理ちゃんが呪文で変身して、、、

いや、その妙な事件がどんどん起こる。で、そんな中で、オカルトクラブの栞 は、まず主人公が見る夢と、学校で起こっている事件とのことから、オカルト クラブの天野先輩(女の子)に夢判断をしてもらうことを勧めるわけです。で、 主人公はそれで天野先輩のところで夢を見てもらうと、、、

時代はいきなり平安時代。陰陽道を学ぶはずの鷹久という青年の物語になり、 そこで、陰陽道の学びのための塾をさぼって山で剣の稽古をしていると、美し い女が水浴びをしていて、ってことで、平安時代における蛍姫と主人公との出 会い、そして、彼女と対立する土蜘蛛族との闘いに巻き込まれた主人公の闘い などが描かれ、また、妹のような可愛い桐子との話や、母代わりの泰子との話 などが書かれています。

で、夢から醒めると、また現代。つまり平安時代における人間関係、愛と対立 と争いの構図が現代の人間関係に繋がっているということになりまして、蛍と 万葉、桐子と栞、泰子と沙夜先生、さらには土蜘蛛の一族と繋がった桐子の実 兄の光栄が現代の不良高校生悠利であり、蛍を見染めてしまった鷹久の実兄の 清明が汰一であるという関係が分かります。

そして、話は現代編の2部につらなり、夏の話で、夏祭、そこで、万葉と一緒 に花火をみていると、とつぜん何者かに襲われ、古い御堂に逃げ込むと、そこ で主人公は再び過去の夢を。今度は元禄時代。剣道場に通いつつも絵師を目指 す真之介が主人公。剣道場の師匠の娘の菊乃、そして、道場仲間の劉也。そし て、とある切っ掛けで知りあった吉原の遊女の綾。まあ、こういう人たちのお りなす恋と闘いが描かれるわけですね。で、ここでも、綾は万葉で、菊乃が栞 で、劉也は悠利という関係が描かれ、平安編に登場した鵺とよばれる怪物との 闘いを軸に話が描かれます。

そして、第3部では、現代編で修学旅行。そして、ついに、主人公は過去の記 憶から自分は土蜘蛛たちの主である太祖と闘うことを決意し、愛宕山決戦って ことになるわけですが、その前に、修学旅行中のあっちこっちで主人公は夢を みて、幕末時代にいく。幕末での新撰組の沖田に主人公である信吾が頼まれた のは、とある神社の巫女の護衛。そして、またひょんなことで知りあった観樹 という少女。あやしい山伏の切人は、この神社に襲いかかり、、そこで観樹が、、っ ていう話で、主人公である信吾が活躍するっていう話。ここでも、巫女の澪は 万葉で、観樹は沙夜先生、切人は悠利でという現代との繋がりが語られる。

で、この過去の記憶の夢を全部見た主人公は、やがて、土蜘蛛の太祖の策略に はまりつつも、最後には、これを倒し、そして、万葉、栞、沙夜のいずれかの 女性と結ばれるのがハッピーエンドっていうストーリーです。

最初のうちには、シナリオ中に登場する選択肢を選ぶことでシナリオが分岐す るビジュアルノベルの形式をとっていますが、平安編での闘いでは、五亡星の 印をむすばせるミニゲームなどが出てきて、これが戦闘になります。でうまく いかないと、ゲームオーバーになったりして。


な、な、長い、長過ぎ!

さて、で、このゲームを最初に始めると、かなり長い。長い長い道のりで、あ れ?ってことで、平安編が終り、で、また次の章に入って、元禄編、そして、 さらに次の章で、幕末、そして、そして、最後に敵がどんどん登場して、その 波状攻撃をうけて、チミドロになった主人公が、、ってことで、「はあ、こりゃ がんばるなあ」と思うわけですが、まあ、とにかく、最後はラスボスである、 闇の太祖を退治して、、、ああこれで終りか、と思うと、トゥルーエンドであ る万葉の場合は、さらに万葉が死んでしまって、これを取り返しに黄泉の国に 主人公が出向いていって、そこで、万葉を連れ帰るってところにまたいろいろ あって。

とにかく、長い。長くて、なんか最後飽きる。なんだかなー。これでもか、こ れでもかぁ、って気がする。なんでだろう???

とまあ、長い長いシナリオを読んでしまって、なんでこのゲーム、こんなに長 くて、かったるいのかなー、と思うわけです。これが、多くの人のこのゲーム への批判の始まり。


まずは、サスペンスホラーだと思ってみると

ってことで、まずはこのゲームは、YU-NOみたいな、 あるいは、みたいなサスペンスホ ラーっぽいものだと考えてみるわけですね。

そうすると、サスペンスホラーっていうのは、恐さとか謎とかがストーリーの 核になっているから、シナリオ全編やるとようやく謎が解明されて、そこまで にいたるには、謎が半分分かった状態とか、ほとんど分からない状態とかいろ いろな状態の中で(サスペンス)、なんつうか、得たいのしれないモノによっ て主人公の想いとかが打ち砕かれたり、主人公が危うい目にあったりして、で、 恐さ(ホラー)を感じる。だからサスペンスホラー。

で「久遠の絆」についていえば、まず、最初に万葉が登場して、謎めいた言葉 をいうところで、「ををを、サスペンスぅ!」と思うわけで、そんで、現代編 での主人公の夜の夢、とかで「謎が謎が、、」という感じがするので、なんつ うかサスペンスものって感じで始まるのですが、絵理ちゃんの呪文で変身!っ てあたりから、超常現象ががんがん登場して、なにやら、謎っぽい雰囲気はぶっ とんで、「ああ、この物語では魔法もなんでもありのファンタジーな高校生の 話なんだな」ってことで、いっきに謎解明への期待がなくなり、で、さらに平 安編にいってしまうと、現代編における人間関係のベースが全部謎解きされる ので、サスペンス性は完全になくなり、謎が解かれてしまうと、敵が全部わかっ ちゃうから、ホラーの要素もなくなるってことです。

で全部分かった状態で、最後までやるっていうのは、たんに、主人公が一つ一 つのエピソードで失敗しないようにして、敵の策略を暴いて、難を逃れて、最 後の敵を倒す、、っていうことだから、ここは、ストーリーとしては、サスペ ンスホラーじゃなくて、RPGなんだなーってことになる。


つまりRPGだと

いわゆるここでいうRPGっていうのは、シナリオ前半で、敵が誰かわかって、 設定も全部わかって、そんで、あとは、戦闘ごとに主人公が経験値貯めて、成 長して、最後の盤面までクリアすることで、ストーリーが進む形式です。日本 のRPGの有名作品ってみんなこんな感じですよね。古く遡れば、「宇宙戦艦 ヤマト」、これはアニメ作品だけれど、「ヤマト発進」ってところまでで、敵 はガミラス、神のような存在で地球に手をさしのべたイスカンダルのスターシ ア、スターシアのもとに、まだまだ装備も貧弱なヤマトが発進、コスモクリー ナーをもらいにいく、っていう話でしょ。で、航海の間に、ガミラスがいろい ろな罠とか闘いをしかけてきて、その都度、ヤマトの乗組員は、協調性やら根 性やらなにやら今からすれば体育会系のクサいノリで、この危機を乗り越え、 最後に目的を果たす、、っていうストーリーですね。

で、こういう目で「久遠の絆」を見ると、実際その通りで、まず、第1部だけ がちょっとしたサスペンスになっているわけですが、平安編で敵がはっきりし て、かつ、平安編で、自分のパートナーとなるべき女性がだいたい方向性とし てはっきりする。で、謎も全部分かる。そのあとの第2部、3部といくと、主 人公は過去の記憶を夢として思い出すたびに、その過去における体験で、どん どん経験値をためて、成長して、魔力がアップ、人間関係もいろいろ築いてい るので、協力者もより親密になり、、、ってことで、最後の闇の太祖との闘い に挑み、それをクリアして、物語は完結する、っていう形。でもって、ギャル ゲーとしてのお約束としては、「どの女の子と協力したか」ってことで、エン ディングが決まり、その女の子と結ばれるというハッピーエンドがあると。


じゃ、なんであんなにカッタルイか

で、RPGだということが分かったなら、なんでかったるいのか?RPGもよ くできたものなら、面白いはず。

で、ここに来て分かるのが、RPGなら、もう少しプレイヤーに戦略性とかを 楽しませる演出が欲しい。っていうか、つまり、戦闘シーンなんかをちゃんと した、タクティカルゲームにするとかして欲しい。アイテム取得は、、?とか。

それから、いくらRPGでも、一つ一つのクリアにおいて、いろいろな趣向が はいっていないと面白くない。盤面ごとに、違った面白さがあるようにすると か、そういう要素です。 人気作品であるサクラ大戦は、むちゃくちゃなタクティカルゲームを中心にし たRPGスタイルとはとてもよべないものだったけれど、あれはあれで、豊富 なミニゲーム、タクティカルゲームのデタラメむちゃくちゃさと、そして、ア ドベンチャー部分のとんでもなストーリーという「むちゃくちゃ」を三段重ね したようなとんでもなゲームとして成功したわけで、サクラ大戦2にいたると、 最初の作品で「はるまげどん」をやってしまったので、どうにもならず、最後 はひたすらかったるい戦闘をやらせるようになってしまったわけだけれど、そ れでも、結構、最後まで「エンディングみないと」と思わせたりするような演 出があって、で、その演出のほとんどが、「あのトロけるほど下らない合体技 が見たい」とかそういう方向だったりするけれど、そいつが面白いっていうゲー ムだと思うわけです。良くも悪くも、この「むちゃくちゃ」さがプレイヤーの 予想を越える「むちゃくちゃ」をやってくれるから、そこが面白いっていうか。

あ、宇宙戦艦ヤマトがヒットした理由は予定調和っていうか、エンディングま でのストーリーがほぼ見えているわけですが、その、毎回の趣向が楽しめるか らです。

じゃあ、「久遠の絆」は?っていうと、基本がビジュアルノベルだから、当然 タクティカルゲームがあるわけじゃないし、アイテム取得がどうのもないし、 選択肢選んでジャンケンとかわらん戦闘やら、なれればどってことないが、慣 れないうちは、うざったいだけの印を結ぶミニゲームしかないし。

で、そのくせ、がんがん文章読まないといけないっていうのも、なんだし。やっ ぱりかったるい。さらに、毎回のジャンケンぽい戦闘も、毎回毎回ほとんど同 じで、で、主人公はたんに、毎回チミドロになってがんばるダケ。ううむ、こ こいらがつまらんぞ。しかも、エピソード的にも類似したものが繰り返すこと が多く、続けていて新しい発見もないし、趣向の上でもあまり違うことはない。 結局、後半は、ストーリーを引き延ばしているだけで、そのために新しいこと がなにも出てこないような文章をひたすら読まされる。そこがかったるいわけ です。


で、文章読み進めるのも苦痛かも

そのがんがん読まされる文章なんだけれど、これが結構、文章的に稚拙という とちょっと酷いかもしれないけれど、ようは、あんまり読んでいて読みたくな る文章になってないのですね。

まず、一番最初に思うのは、平安編。ここでのいろいろな設定が説明的で、一 生懸命調べました、、って感じの文章。つまり、脚本を書いた人の本来の知識 ではなくて、調べて書いた結果であるっていうのが明確に分かってしまうわけ で、その「調べて書いたよ」という雰囲気を出しているのに、そいつを、妙に 「蘊蓄語っています」って調子で書かれると、「ああ、背伸びしちゃってさぁ」っ て気になるでしょ。

こういう例は、たとえば、「街」って いうゲームで、一番感じたことなんですね。あのゲームでは、ヤクザの世界と か、テレビドラマ製作の世界とか、そういう部分で、やたらと説明的な文章で、 「ドラマ製作の現場はこうである」みたいなのがどんどん出てくる。で、これ が、やっぱり内容的にこなれていなくて、不自然で、一生懸命調べたって感じ が見えるのだけれど、語り口そのものは、蘊蓄語るって感じになっているので、 非常に嫌らしい文章になるわけです。あと、ノベルゲームの美文といえば、な んといっても、リーフの高橋龍也氏なんだけれど、氏の文章も、To Heartの葵ちゃんシナリオにおいては、格闘技エ クストリームとかについての、説明が非常にクダクダしていて、ここだけは、 いただけない。やっぱり蘊蓄語りな感じで、なんか嫌らしい。で、実際、高橋 氏も葵シナリオを書くに当たっては、結構調べて書いたってなことがあったそ うだから、そのあたりで、書き方に余裕がなくて、本来の氏の美文が崩れてい るわけですよね。で、こういうあたりは、味もそっけもないサラサラな文章で 変に拘らずに書いているタクティクスの ONEなんて やっぱり凝ってないから美文じゃないけれど、すんなりしていて、厭味がない んですよ。いや、別に自分が文章がんがん書けるわけじゃないけれど、背伸び した文章って、その背伸びしていることを蘊蓄っぽくして隠そうとすると、な んか厭味が出るっていうのはありますねぇ。

で、もうちょっと考えて、どうして、「調べました」って感じる文章なのかっ ていうと、結局、「調べた」直後っていうのは、知識が教科書通りになってい るわけです。調べた辞書、参考書、参考文献のままになっている。知識と知識 の繋がりかた、つまり、連想の仕組みが、参考文献通りになっているわけです ね。で、その状態で、そいつを物語に埋め込むと、あることを説明するときに、 そこに教科書通りの連想そのままで知識を羅列してしまう。ところが、調べて 調べた内容を自分で反芻して、いろいろと考えて、ってことをやっているうち に、自分の頭に既に存在するいろんな知識と連想の糸がからまって、こなれて くる。こうして、自分の知識になったときには、たとえば、物語の中に埋め込 むときにも、その自分の独自の連想形式で埋め込まれるから、そこに、個性が 生まれてくるし、独特の印象を与えるまでになる。こうなった時に、蘊蓄語り をすると、それはそれで、「なーるほど、そういうことかぁ」と思うような文 章になるわけです。

こういう個性のようなものを感じさせない段階で、知識を語ると、まさに厭味 になるってことです。無個性なのに、しらべたばっかりの知識を見せびらかし ているからですね。


で、さらに物語設定上の問題も考えると

で、文章の話が出たから、もう少し踏み込んで、内容について見てみると、平 安編が始まった瞬間に、っていうか、平安編での人間関係が分かったあたりで、 「ああ、結局、学園モノなんだよなー」っていうのが分かる。

「学園モノ」ってことは、現代編そのものを舞台を平安時代に移しているもの の、描いている人間関係、エピソードは、学園モノ。つまり、賀茂家っていう 陰陽道の一族がいて、そこに陰陽師を目指す若者が集まり、学校になっている。 で、学校には、先生っぽい立場で学生を管理する泰子がいて、で、主人公には、 幼馴染みの妹みたいな桐子や実兄の清明、そして桐子の兄で主人公と敵対して いる光栄がいて、っていうことで、現代編の学園モノとしての人間関係そのも のがここで描かれる。で、こうなると、なんつうか、橋田ドラマは、時代劇で も嫁姑関係描いているっていうのと同じ感じで、現代における人間関係と、現 代的価値観と、現代的生活みたいなものをおもいっきりそのまま平安時代に持 ち込んでしまう。で、平安時代にそういう側面がなかったはずはないけれど、 それを全面に押し出して、平安時代のしかも、「竹取物語」モドキのストーリー に合わせ込むと、なんだか妙。

実際のところ、平安時代の雰囲気とかっていうのは、この時代の古典などを読 むと、現代とはかなり違う感覚の人たちがいるっていうのは分かる。けれども、 人間としての共通点はやっぱりある、、っていう時代なんですよね。私なんか、 「更級日記」とか好きだけれど、生活習慣、生活態度は現代女性とは全然違う んだけど、そこで、作者(菅原のなんとかの女ってやつ)が見せる感情には、 本当に現代の女高生あたりが「私超感動しちゃってぇ」みたいなのに通じるも のがある。で、実際、彼女が源氏物語にはまって、毎日読んで、もう大変!み たいな気持ちにはいたく私も動かされて、いわゆる「萌え」っていう気持ちに なってみたり。あるいは、紀貫之の「土左日記」とかでも、たしかに、生活習 慣は違うが、思うことは共通っていう要素があったりする。そうそう、たとえ ば、日記の作者が家にもどって、知合いに頼んでおいた家の管理が、もどって みると家がぶっこわれかけていて、「なんで、こんなことに!」って哀しく怒 るシーンなんかね。で、重要なのは、生活習慣や生活態度が現代人の思ってい るものと違うんだけれど、、そこにある普遍的なモノみたいなものを感じとら せることが、「時代を越えた普遍性」をもつものであって、時代が違うところ に、現代と全く同じ人工的な舞台をもちこんで、現代と同じ価値観の人間が現 代と同じ感覚で人間関係を演じて、っていうストーリーは、なんだかなーって 気にさせる。

逆に、昔の話を現代に持ってくるっていうのはそれなりに面白いのであって、 たとえば、「ロミオとジュリエット」の話が、「ウェストサイド物語」になる あたりね。あるいは、「忠臣蔵」を現代の企業人の物語として書くとか、そっ ちのほうは、まだまだ、面白いのだけれど、それは、そもそも、モトとなる物 語の面白さがあるからです。

ってなわけで、「久遠の絆」、平安時代の男と女の悲恋、引きさかれる愛、運 命の発端、現代にまで続く絆、っていうテーマを描くなら、まさに、平安時代 らしい設定の、しかも、平安時代らしい物語の中に、そういうものを描いて欲 しいし、その愛の姿が、現代にも通じる普遍性があるんだ、っていう方向で描 いて欲しいです。それを、橋田ドラマみたいな感じで、現代ソノモノの設定を もちこんで、そこで、学園ラブストーリーそのものの恋愛ものを描かれてもせっ かく平安にした意味がないっていうか。いや少なくとも、平安時代を舞台にし た物語を読むときの読者の楽しみは、平安時代の雰囲気、現代とは違うが故に ファンタジー的幻想を感じさせる世界としての、平安時代のありかた、まあ、 場合によっては、現代人の幻想なのかもしれないけれど、こういう夢物語的な ファンタジーワールドを演出することが大切で、ゲームっていうのは、まさに そいつだと思うんですよ。

まあ、この問題は、元禄編でもだいぶあって、幕末編はそんなに感じないけれ ど、やっぱり、なんつうか、現代モノを時代だけずらして入れたっていうイメー ジがどうしても出てくる。で、こういうのが、一種「興ざめ」しちゃう原因に なるわけです。

それから、重大な問題点として、このゲームは、非現実的な設定が多過ぎるっ ていうのがあります。 多くのノベルゲームや小説などでも、もちろん、非現実的な設定があります。 超常現象ってやつですか。超能力とか、宇宙人とか、魔法とかですね。ところ が、こいつを連発すると、なんでもありな世界になってしまう。ファンタジーっ ていうのは、いわば、なんでもアリな世界なわけで、RPGは戦闘とかで魔法 とか使うのが一般的だから、どうしても、魔法を入れたりして、ファンタジー ワールドを演出するわけですが、この手のゲームで、いろんな魔法、いろんな 非現実性を入れてしまうと、物語の展開もどうでもよくなるわけです。仲間が 死んだら「蘇生の魔法」使えば良いのだし、好きな人がいたら「愛の魔法」で 相手が自分のことを好きになるようにすれば良い。で、ハドメなく魔法が使え たら面白くないから、制限しなければならないのですが、そもそも最初に「な んでもアリ」なような書きだしで物語が始まると、読者としては、そういう気 になるから、ハドメを与えたときに、「なんでその魔法は使えないの?」みた いな疑問にすらなってしまう。

で、やっぱり、こういうことがあるから、多くの物語では、できるだけ少ない 「非現実的設定」に絞り込むようにする。多くの場合は、たった一つだけの非 現実性を入れて、しかも、それがなかなか最後まで分からないようなシナリオ 構成にするわけです。で、そのたった一つだけの非現実的設定が、物語の中核 として機能するようにする。「痕」の場合は宇宙人、「雫」の場合は毒電波、 「MOON」の場合はやっぱり化け物、そして、「ONE」の場合は、「永遠の世界」 です。これらのノベルゲームでは、非現実的設定は一発だけで、ここから、他 の設定がどんどん出てきて、そこが、現実的な物語の中に、「ほんの少しの違 和感」を与えます。この違和感が、いろいろな物語の局面でいろいろ形を変え て登場するので、最後まで「なんだろう」という飽きさせない演出になるとい うわけですね。

「久遠の絆」においては、絶対に必要な非現実的設定として、「転生」がある でしょう。実際、この物語において、この一発があれば、まず、物語の大枠は ほとんど変わりません。魔法も、闇の太祖も、超能力をもつ土蜘蛛一族もなに もいらない。あとは、「転生」の理由、ってことになると、結局、蛍がもとも と天女であるとか、あの天叢雲という剣の話、そして、それによって神から罰 を受けて、悲恋と対立、憎しみを抱えたまま、関わった人間たちがいろいろな 時代に「転生」するという構図にすれば、かなりまとまりが良くなる。もっと もそれでも、神様、剣、天女まで出すと多過ぎる気はしますけれどね。

で、まあこういう超常現象的設定が少ないと、主人公が過去を思い出すのは、 前世において悲恋に終った女性と出会ったために、記憶が刺激されたためとい うことにして、そこにオカルトクラブは出さなくて良い。こうすると、過去の 記憶を持っているものたちの、魔法も呪文もない状態での、人間ドラマになる わけです。

結局のところ、「久遠の絆」は、大量の「非現実的設定」を入れてしまったが 故に、どれくらい現実的でどれくらいファンタジーなのか、それが分からない 話になってしまったといえます。


構成を分析すると

さて、ここんところは、私自身があんまりはっきり概念にできなくって、fj での議論でしっかりやられてしまったので、詳しくはそっちを読んでもらうと して。

結局のところ「久遠の絆」において、各エピソードや、それぞれの時代という もの、あるいはさらにキャラクターそれぞれが、物語全体でどういう役割をもっ ているか、というのがきちんとできていないってことです。こいつは、リーフ の「痕」においては、シナリオは、4人のヒロイン一人一人にあって、千鶴シ ナリオは家族の絆というような軸で謎を解き、梓シナリオは事件そのものの謎 を解き、そして楓シナリオは鬼の一族の哀しい物語を伝説と前世という形で示 し、そして、初音シナリオは、後の話に含みを持たせて、鬼の先祖との関わり を示す、ということで、それぞれのシナリオが非常に明確に役割をもち、さら にその役割に対して最適なヒロインが配置され、それに合わせてヒロインの性 格設定がされているというわけです。

さらにいえば、この4つの部分に分かれていることが、起承転結を与えている ともいえます。家族の絆という観点で、まず最初の事件が起こる、そして、千 鶴トゥルー、あるいは千鶴グッドエンドで家族の絆という観点では物語が終る。 これが「起」、社会的な意味での刑事事件として事件は解決してなくて、それ が梓シナリオで完結する。これで「承」。一応のまとまりのあとで、本来の 「鬼」に関する前世との繋がりと、新しい事件を描くのが楓シナリオで、これ が「転」。そして、このあと初音シナリオで、全貌が分かり、さらに多少の不 安を持たせて完結する。これが「結」です。もちろん、実際の「痕」では、プ レイヤーが必ずしもこの順番でプレイするかどうかはわかりませんが、この順 番でプレイすることが結構奨励されるようにフラグの関係ができています。

この構成法は、おそらく YU-NO でもそうで、亜由美、美月、神奈、澪、(そ れから絵里子)それぞれが物語全体でそれぞれ役割をもっていて、そしてそれ ぞれを軸にシナリオが作られているわけです。YU-NOの場合も、最初は謎の人 物龍蔵寺とそれにからむ物語の発端として、美月シナリオがある。これが「起」。 続いて、恐らく亜由美シナリオが謎の社会的な意味つけを行なっている。これ を「承」とみるかどうかはちょっと怪しい。そして、神奈シナリオあたりで、 SF設定の根底に触れる話になり、これが「転」。そして、澪シナリオあたりが、 最後に洞窟を開くことになる、って感じがしますね。これが「結」。だから、 それぞれのシナリオは互いに多少の交錯はしながらも、違う役割をもっていて、 描いているものが違う。そして全体で全てが語られているわけです。YU-NOで も、アイテムの取得関係の制約から、どうしても美月シナリオが最初にくるよ うになっていて、神奈ちゃんを助けるためには、亜由美シナリオを解かないと いけないとか、順序性を誘導する設定になっていますよね。

で、「1ヒロイン1シナリオ」みたいなのは、基本的には「同級生」以来の伝 統というか、それぞれ性格の違うヒロインで別のことを描くっていうのがたぶ ん根底にあって、そいつを共通の謎解きにもっていったのが、「雫」や 「YU-NO」なんでしょう。で、そういうのをもっともうまく活用して構成をよ くしたのが「痕」ってことになるかな。

「久遠の絆」では、軸になっているのは、結局「万葉」に関するものだけで、 他は派生的内容でしかない。また、平安、元禄、幕末それぞれのエピソードが、 非常に似た内容で、とくに、平安編でほとんど全てが語られているので、あと のエピソードはほとんど内容として意味を持たないということです。

基本的に構成上の問題であって、複数の物語を束ねるということのできるノベ ルゲームの基本は、やっぱり描くべきモノ/コトをうまく分割して、それを複 数のシナリオにうまく役割分担させ、そしてそれぞれのシナリオで中心的キャ ラクター(まあ、ヒロインたちなんだけれど)を配置するのが基本だろうと思 うわけで、これを完全にぐちゃぐちゃにして、全部のエピソード、全部のヒロ インに似たような内容を繰り返し繰り返しでやってしまったのが、かったるさ の根源であろうということですね。


で他に文句は?

なんか批判をばんばん書いているから、そっからさらに書こうと思うとですねぇ、。 全体としての品位の問題っていうのがある気がするんです。

たとえば、悲惨さの演出、悲恋の演出で、チミドロの女の子を描くっていう直 接的な方法とか、最後のグッドエンドの演出のために、屍になった万葉を描く とか。悲惨さ、痛さ、というものを、実にリアルで即物的に描いているでしょ。 平安時代とかの雰囲気、上でも書いた通りの、ファンタジー世界としての平安 時代を演出し、そこに、貴族的雰囲気で謎めいた蛍なんてものを演出しようと していながら、その実、あっちこっちで、即物的悲惨さの表現みたいなのが出 てくる。桐子が毒を飲んで死ぬシーンなんかも、もっともっと切ない演出があ ると思うんですよ。血吐いて死ぬよりは、だんだんと体温が失われて、顔色が かわっていった、、っていうような演出があるでしょう。

で、平安時代、元禄時代、幕末、それぞれでチミドロでグロい物語をたくさん 作ったものだから、今度は、現代編にまでそういうのが出てくる。そこで、筋 肉的な主人公が、体の血の半分がなくなっても、勇敢に敵に立ち向かう、って いう、RPGをえんえんと見せられるわけですね。しかも、ゲーム性としては、 基本はジャンケンだから(選択肢の選びかたが良いかどうかってダケっていう 意味)、セーブロード繰り返して、結局、えんえんと読まないといけない。で、 出てくるのは、「体の半分がえぐれた」とかそういう記述と、いくら前世をひ きずっているとはいえ、素手で闘う女の子たちとか、、。

まあ、そこで、魔法ありぃ、でいくから、基本的には、スレイヤーズの本編見 ているような感じで、RPGが進む。まあ、スレイヤーズもRPGですからね。

ま、こんなわけで、こういう演出そのものが、非常に問題だということになり ます。


で、千年の愛の物語としても

で、こういう議論を書いていると、そもそも、「サスペンスホラー」と思った のも間違いで、「RPG」と思ったのも間違いで、実は千年の愛と絆を描いた 作品だ!というようなことをおっしゃる方もいる。その意味では、千年の長い 時間の中で、三人の女性と主人公との関わりを描いている物語として、全体は どうなんだろうとか、個々のエピソードはどうなんだろうとか、そういうのを 考えてみましょう。

一応、全編を通しての、ヒロインは、万葉(蛍/綾/澪)なんですね。彼女と のグッドエンドがトゥルーエンドってことです。平安編に入って直後に、泰子 や桐子が、栞、沙夜の前世の姿っていうのは分かるから、蛍のシナリオを進め ると、一応、桐子、泰子との繋がりは最小限になるわけで、で、だいたいにお いて、桐子は、鷹久にすがってくるところがないわけではないが、こういうシ ナリオに入ったときには、基本的に蛍と鷹久の愛が全面に出てくる。で、この シナリオは「竹取物語」そのものをベースにしていて、最後に蛍が自分の正体 を明かす、で、、、。まあ、これは、普通にある話でしょう。いろいろな障害 を乗り越えて、ようやく理解し合えたはずなのに、蛍は主上の女となるべく意 を決し、これを裏切られたと思った鷹久の逆上。ここで、逆上しないと、シナ リオが繋がらないのですが、ここが、なんか、入り込めないっていうか。この 逆上感覚が、たぶん、「平安時代の人として変」なんでしょうね。描くなら、 逆上しない鷹久と、鷹久の痛みが分かった上で、禁を犯す蛍、みたいな構図の ほうが、しっくりするでしょう。で、万葉シナリオ系ですと、正直いって、栞 (桐子/菊乃)や沙夜(泰子/観樹)との関係はかなり薄いので、修学旅行中 に、栞が沙夜の前で泣くなんていうシーンを除くと、あんまり他の女の子との 関係で苦しむシナリオにはなっていません。

で、栞シナリオですと、今度は、万葉、とくに、吉原の遊女の綾との関係が実 に淡白なので、これまた、綾との関係とで悩むこともない。ここで、綾自体が、 真之介あたりに、徹底的につきまとうような演出があると、ちょうど、ホワイトアルバム の由綺と理奈の関係にあるよ うなものが出て、プレイしている側としては、痛く痛く、って気になるんでは ないかと思うんですけれど。で、そうなると、現代編にいたって、最後の石舞 台でのエピソードになって、主人公が、万葉に対して、栞を助けるため万葉に 頼み込むシーンがあるんだけれど、だいたいにおいて、栞シナリオにながれて いると、平安編における蛍と主人公の間も淡白で、「愛を刻む」なんてことが なかったりするし、元禄時代においても、綾と真之介は、一緒になっても、 「絵かいちゃった」で済んでしまうので、結局、現代編石舞台での話で、万葉 を裏切る主人公の行動はごく普通で、そんなに痛みのある行動でもなくなる。 まあ、もっとも、平安編での蛍と「愛を刻む」ことがあっても、栞シナリオに 強引にもっていくことができるので、その場合は、ちょっと雰囲気違うんだけ れど。


で、本来どういうものであるべきか。

さて、いろいろなゲームがあるわけですが、その中で、なんというか、素材や 根本的な設定そのもので、かなりそのゲームが決定されて、それこそストーリー プロットもするする出てくるタイプのものがあると思います。

たとえば、「日本全国をめぐる列車を舞台にして、そこで出合う男女の物語」 というものを考えると、「お嬢様特急」が出来上がる。全く無理なく話ができ てしまって、ゲームシステムも、非常に自然にするすると生まれるわけです。

「館に閉じ込められた人々が生命の危機に瀕しながら脱出しようとする物語」 といういわゆる「館モノ」は、これまた自然で、館を歩き回り、館脱出の方法 を模索し、その過程で、殺人事件が起こったりする。「慟哭そして…」などは その王道パターンといって良いです。ゲームシステムも館を歩き回るインタフェー スと途中で発見するアイテムの取得という形で、自然にいろいろ出てくる。ア ドベンチャーパズルですね。

並行して走るパラレルワールドを移動する手段をもった主人公が、その謎を解 明し、パラレルワールドの原点を発見する物語、となると、「YU-NO」でして、 パラレルワールドの移動手段やそのストーリーのながれが ADMS で観察できる というインタフェースも、自然に出てくるかもしれない。

もちろん、こういう「基本素材と設定」から自然に出てこないゲームもありま して、「痕」などは、結構素材や設定がばらばらなところから出てくる。「雫」 で学園ものをやったから、「街」を舞台にしよう。「家族の絆」を基本にした いから、一つの家族を登場させよう。「サスペンス」にしたいから、殺人事件 を中心に。「18禁ゲー」だから、もちろん、鬼畜な方向も、、。そうすると、 「家族」がベースで、サスペンスだから、「家族に絡んだ謎と殺人事件」とい うのなら、「家族の血」が「事件を起こすようにする」という方向にいって、 最終設定に「宇宙人の子孫の家族」を入れる。殺人欲と鬼畜欲を合わせ持つ宇 宙人の子孫が起こす事件。その家族の一員である主人公が遭遇する謎、事件、 そして、やはり家族の血を受けたヒロインたち、、という形で、いろいろな設 定の出発点からプロットが作られ、それが技巧的な構成によって成り立ってい るのが、「痕」だと言えます。

そういう観点で考えると、「平安、元禄、幕末という日本史上の時代と現代を 舞台にした、恋と闘いの物語」というのを素材、あるいは基本設定とするとど うなるか、「痕」のような難しい過程をたどらずに、「お嬢様特急」と同じよ うに、するりと基本設定と物語のプロットが出てくるような気がするのです。 その結果は、つまり、「久遠の絆」の本来の姿なんだろうと思うわけです。

そこで、こういう観点で、この「久遠の絆」というゲームを分析するとどうな るか、です。

まず、このゲームはどういう要素から成り立っているか、を考えてみると、だ いたい下ようになると思うわけです。

1)平安、元禄、幕末という日本史上の時代と、現代を舞台にしたストーリー。

2)主人公とヒロインたちの悲恋が、最後に結実するというストーリー。

3)主人公と闇の一族との対立あるいは交流で、最終的に闇の勢力を主人公が 倒すストーリー。

4)ファンタジックで、魔法や非現実的設定を多用した、アドベンチャーストー リー。

5)サスペンスものとして、現代の高校で起こった不思議な事件の謎が解明さ れるストーリー

さて、このゲーム、最初の始まりかたからして、良く分からない夢から始まる あたり、そして、謎の転校生「万葉」と、学校で起こる不思議な事件、という ことで、なんとなく、5)の要素があるような気がするわけです。で、そのつ もりで始めると、平安編で一挙に謎のほとんどが解明されて、あとは、基本と しては、4)と3)を軸に、2)を織り込んで、ストーリーが展開する。

では、1)の要素は、っていうと、それぞれ歴史上魅力ある時代を素材にして いるのに、それぞれの時代でのストーリーは、現代ものをそのまま持ち込んだ 学園モノだったりするし、基本は全部「闇の一族との闘い」で、ヒロインたち との恋は、全部「闇の一族の邪魔」で悲恋に終るというあたり、つまり、時代 設定をほとんどなにも利用してない。結局、素材としての、「三つの歴史上の 時代」と「現代」というものを持ってきているのに、その上に、4)の要素を 完全にかぶせてしまったので、素材を潰しているわけですよ。

つまり、1)の歴史上の設定を利用するならば、4)の要素はできるだけ排除 すべきで、その代わり、歴史上の設定を史実に対して正確にして、リアリティ のあるものにするべきでしょう。

次に、2)の悲恋物語の最終的な結実という要素は、5)の要素と同居するの は、かなり難しい話になるんではないかと思います。「痕」の場合も、たしか に、室町時代の悲恋を現代に、という要素がありますが、これって、実際のメ インのサスペンスシナリオである「千鶴」「梓」の両シナリオからは離れたと ころにあって、いわば、物語の背景説明にあたる「楓」「初音」両シナリオに 入っているわけですね。この二つのシナリオでは、実際、サスペンス性やストー リー性はほとんどなく、背景説明に徹しているところがある。

つまり、この「久遠の絆」というゲームは、本質的に同居が難しい要素をたく さん同居させてしまったと言える。それが、散漫なものになってしまって、あっ ちこっちで、雰囲気をブチ壊したり、かったるくなったりという形になってい るわけです。

千年の愛と闘いの物語として

で、このゲームの良さの原点は、やっぱり素材としての三つの時代ではないか というわけで、つまり、1)の要素。これと同居可能な要素は、というと、結 局、「転生」を軸にして、2)の「悲恋」か3)の「敵との闘い」あるいは、 2)と3)両方という方向でしょう。で、1)と2)をベースにすると、主人 公は平安時代において、恋をするが、現代からみると理不尽な平安時代特有の 社会的、時代的理由で悲恋に終る。同じく、元禄時代でも同じ転生してきた女 性と恋をし、ここでは、恋が結実するかに見えて、やっぱり時代的理由で悲恋 に終る。幕末でも、、という形で進行し、こうなると、現代では悲恋にしたく ない!という形で話が進むわけですが、一方、歴史上の三つの時代を見た主人 公の目には、現代には現代なりの理不尽な社会的理由があって、それが恋の結 実を妨げる、それをなんとか乗り越えて、恋を結実させるのだ、というような ストーリーになるわけですね。こいつは、たぶん、歴史上の時代を素材として 扱った転生恋物語としては、王道に近いものだと思います。で、ここに3)を 入れることは可能で、それぞれの時代において、恋の妨げになる理不尽な理由 の裏にやはり、転生してきている敵がいる、あるいは、恋敵がいるというパター ンでしょうね。で、それぞれの時代でそれぞれの時代らしい理由で、恋を妨げ、 主人公やヒロインを危機に陥れるという形。

サスペンスホラー、ミステリーモノとして

さらに、1)と5)を同居させると、いわば、歴史上の謎解きみたいなサスペ ンス、あるいは、ミステリーな作品になるわけですね。現代に起こる不思議な 事件、その謎は、歴史上過去時代のあるデキゴトに端を発していて、それを主 人公たちが、調べる。こいつに、恋物語を入れるのは、まあ、付加的要素でし て、謎を解くのに関わったヒロインたちと結ばれる、とかでしょう。この場合 は、その謎が、最終的に若干の非現実性をもつものであっても構わなくて、た だし、その非現実的な設定は一発だけ。 マルチシナリオを利用するなら、平安時代の謎、元禄時代の謎、幕末の謎、そ して現代の謎があって、それぞれ別シナリオで語られることになりますので、 まあ、「痕」を複雑にしたようなものになるでしょう。 「謎の少女万葉」は最後の最後まで謎、そして、万葉のシナリオを読んでも、 全貌は掴めず、栞、沙夜のシナリオを全部読んで、「なるほど、こうだったの かぁ」と思わせる構成をもってくる必要があるわけです。とすると、現代編で 万葉が登場し、そして、主人公がよくわからないうちに、幕末編あたりを夢で 見る。そこで、前世との因縁があることを知り、もどってくると、悠利との対 決があったりする。なんでなのか分からないけれど、悠利とは対立関係にある。 そして、万葉を愛する汰一の姿。で、つぎに、元禄編を見る。そして、その分 だけ現代編が進み、そして最後に平安編を見るのですが、本当はこれは、まだ 見ることができず、いろいろなエンディングにいたってから見るようにすると、 まさに、YU-NO のデラグラント編みたいになるんでしょう。こうすると、謎の 敵としての土蜘蛛一族のことも、なかなか分からず、最後まで得体の知れない 敵がでて、非常に恐い話になります。

じゃあ、RPGとして

では、1)の要素を排除すると、2)の「悲恋」と3)の「敵との闘い」を軸 にして、4)のファンタジーの要素を同居させたもの、これはこれで、ファン タジーワールドでの、長きに渡る闘いと、なかなか実らぬ恋ということを軸に したものになり、基本的に、RPGスタイルで、恋愛要素がふんだんに入った モノになるでしょう。もちろん、こいつは転生を軸にしても良いですね。基本 はファンタジーなものなので、ファンタジーワールドでの冒険と恋と闘いとい う話になります。これは、RGPですから、それぞれの場面にそれぞれ趣向を 凝らした、闘いなどがあると良いでしょうね。で、この場合、1)の雰囲気を 多少入れることはできて、平安時代風のファンタジー世界や元禄時代風のファ ンタジー世界というようなもので、特別厳密な時代考証はせず、いわば、ファ ンタジーな「デロスランド」での恋と冒険と闘いっていうものにすることはで きます。まあ、「久遠の絆」は結局、この形の中途半端なものになってしまっ た気がするんですけれど。

で、やっぱり本当は?

で、既存のゲームをいろいろ考えると、ファンタジーワールドでの恋と闘いと 冒険というのは、かなりよくあるものだと思うし、サスペンスミステリー的な 謎が謎を呼び、というのも、これはゲームとしてはかなりあるものだと思いま す。

「久遠の絆」らしいもの、という観点で考えれば、これは、やっぱり1)と2) あるいは3)を軸にした、「歴史上の時代を転生しながら、それぞれの時代で の悲恋や敵との闘いを、現代で終結させ、恋を結実させる物語」になるんでは ないかと思います。

つまり、まあ、要素の絞り込みが重要ですね。もちろん、こういうのは、大変 です。そうとうな知識や膨大な調査が必要だし、プロット作るのもかなり大変、 文学的にも、そうとうな技術が必要な気はしますが、この形のストーリーは、 おそらく、一番本来「やりたいもの」に近いのではないかと思います。


実際の製作現場は、、、

さて、某ホームページに、実際にこのゲームの監督をされた加藤氏に対するイ ンタビュー記事がありました。このページに書かれていることを概ね紹介する と、シナリオは、現代編全部と平安編を加藤氏が、そして元禄、幕末編を小林 氏が担当されたことがわかりました。で、さらに、最初に平安編を書いて、そ のあと他の部分を書いて、概ね終った段階で、平安編の内容に問題があり、こ の部分を全面書き直ししたそうです。で、この作業は全部で4カ月であったと いうことでした。文章量があれだけあって、それを4カ月で書いたとすると、 プロットの練り直しや、文章の推敲、整合性のチェックなどに、十分な時間は 割けなかったということは、想像できます。

結局のところ、このゲームはいろんな意味で未完成で世に出た作品ってことに なりそうです。クォリティとしては、かなり問題ありだといえます。こうして 見ると、このページで書いた批判内容は、概ねこの「プロットの練り直し」や 「文章の推敲」「整合性のチェック」ということについて不完全であったこと に起因するとともに、製作側としては、ゲームの物語構成などについて、あま り注意を払っていないことも分かります。

インタビュー記事を読むと、加藤氏が「痕」が好きであるということが分かり ます。加藤氏の最初の思ったことは、「痕」に習った、前世と現代を結ぶ物語 で、しかも、ビジュアルノベルの方法をとろうということではなかったかと思 います。そこで、平安時代を設定として入れて、かつ元禄、幕末も入れて、三 つの時代と現代を結ぶ「転生」に基づく悲恋物語のようなものが最初の企画だっ たと思われます。この企画と、三つの過去の時代と現代という素材を選んだこ と、しかも、平安時代を中核にした物語というのは、非常に良い。この「久遠 の絆」の存在価値は、まさにそこにあるわけです。

ところが、そこから先の設定の作り込みにおいては、まず、実際の歴史上の時 代をもってきたことから、さまざまなタブーへの挑戦があったといえます。そ れが、平安編全面書き直しに繋がったといえるでしょう。結局のところ、実際 の歴史上の時代を扱うには、いろいろな制約がつきます。そこに、大量の「非 現実的」な設定を入れると、さらに収拾がつかなくなる。実際にある時代をファ ンタジーにしてしまったら、その時代に関する思い入れのある人の心を逆なで するかもしれません。実際の時代を入れるなら、やはり慎重な態度で真面目に フィクションを作る姿勢がないと、いけないと思います。歴史上の人物を出す なら、その描き方には十分な注意が必要ですしね。サクラ大戦では、「太正」 時代というファンタジー世界をもってきたことで、「大正」時代のパラレルワー ルド的雰囲気で、好き勝手ができたわけですが、これを「大正」時代のままで やったら、さまざまなトラブルが想定できます。

製作期間、とくにシナリオを書く時間の短さ、そして、歴史上の時代を扱いな がら、大量の非現実的設定をいれてしまってファンタジー風にしてしまったこ と、文章の推敲やプロット練り直しが十分でないこと、などなどから、この作 品を作る上で、製作スタッフの「安易さ」が感じられます。


終りに

いや、このゲーム面白いですよ。十分に。でもね、面白いけれど、かったるい のです。で、なんか読んでいて、気持ちがよくない。品位の問題と、文章の問 題。そして、設定の問題。そしてなによりも構成の問題。こういうものが、 「平安/元禄/幕末と現代」の4つの時代に跨る愛と闘いの、、みたいな本来 絶対に面白いと思わせる素材をかなり台無しにしていると思うんですよ。

最初の企画は良い。キャラクターの設定も悪くない。(たとえばRPGスタイ ルの)ゲームにしていくなら、個々のエピソードも悪くない。それから、構成 を逆にするようなことをすれば、サスペンスホラーとしても、非常に良い作品 になるだろう、、ってことが分かるから、余計なんつうか、惜しいっていうか、、 で、もし、現在の構成そのものでいくなら、やっぱりそれをするにはものすご い努力と根性と、そうとうな下調べと、ほんとうに文学的な文章と、そういう ものが必要で、これは、いくら、ゲーム業界に優秀な人材があつまっていると はいえ、なんか、まだまだ無理っぽい気がするんです。

で、とにかく、結局のところ、なんでもアリ系のRPGやファンタジーな作品 などに慣れたプレイヤーのこのゲームに対する「絶賛」が重なると、このよう な安易な未完成、あるいは粗悪な作品がまた出る可能性があり、ゲーム全体の 質的向上が望めないことになります。

客観的に判断して、このゲームを面白いと言っている人も含めて、構成上の問 題(曰くカッタルイとか、長過ぎとか)や、文章の問題(文章が読むに耐えな いとか、下手とか)を指摘する人は多い。また、面白いといっている人は、ほ とんどが、ストーリーの良さとキャラクターへの思い入れを良いと言っている ようです。あ、音楽とグラフィックについても批判はほとんどありません。で、 このような評価の出方をどう見るか、です。ストーリーやキャラクターの良い 悪いという判断は、かなりプレイヤーの個人的主観による部分があるので、ど のようなストーリーでも、「良い」という人が小数はいるでしょうし、逆にど のようなストーリーでも、「悪い」という人はいるでしょう。ですから、ストー リーが良いとか、キャラクターが良いという理由でこの作品を「良し」とする のは、たまたま主観的な部分で「良し」とされただけです。で、それに対して、 物語構成上の問題点や、文章の問題点を指摘するというのは、かなり客観的な 目で批判していることになります。そこで、まあ、早い話が、客観的にみて、 このゲームはクォリティが低いというのは、少なくとも、ゲームプロデュース する立場から言えば事実であることになります。つまり、ゲームをプロデュー スする立場としては、主観に訴えるストーリーについては、世に出すまで事前 には評価できません。ですから、この部分が良いという自信をもって、作品を 出すのは、いわばギャンブルです。一方で、客観的に考えて評価ができる部分 は、作品を世に出す前にかなり事前の評価ができます。「久遠の絆」がこの部 分において、評価が低く、批判されているということは、製作スタッフが、こ の作品について、「ストーリーが良いから、文章、シナリオのクォリティが低 くても売れるだろう」ということで「ギャンブル的」に出したことになります。 製作者の立場で、このようなことを考えたとしたら、このゲームを買う人に対 して、「粗悪品ですが、楽しんで下さい」と言っているようなもので、褒めら れた態度ではないでしょう。 少々厳しい指摘、批判もありますが、このページでは、問題点を十分指摘、批 判していこうと思います。

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