「日本の自然と文化」をテーマに:
・修験道では「松風」が教えてくれる。
(修験道:日本独自の宗教で、山岳修行によって超自然的な力を得ることを目的とする。)
・日本の宗教は一神教から多神教までの多様性がある。
・今回の文化遺産は日本の文化はすごいことを米国やヨーロッパなどの
世界中が認めたこと。
・宗教の根本は普遍的なものでヨーロッパ等と共通する
ところがある。宗教性の本質とは何かを考えると。 外国人から見て日本人の信仰は
例えば、滝を拝んでいるのか、水を拝んでいるのか、また水ならどこまで
拝んでいるか、曖昧な様子に見えるらしい。 昔は、人間も自然も一緒で、花も草も石も自分も一緒だった。
思わず手を合わしたくなる存在「山川草木」をひっくるめた自然が
その対象となる。西洋的な自然(nature)に対して
日本の自然(じねん)は自ずから然りである。 ・紀伊の参詣道は、手を合わせたその場所が一番大事。
道のどこも大事。その人がどう考えてるか佇まっているかによって
大切な場所になる。どこか道の途中を歩いていても値うちがある。
それでいいのではないか。
修験道の険しい道を気に入ればそこに行けばよい。
自分はぶらぶらと歩きたい人はそうすればよい。
・曼陀羅では高野山の曼陀羅には胎蔵界曼陀羅と金剛界曼陀羅が
あって、中心に大日如来があってそれを取り囲む図になっている。
熊野詣の曼陀羅、那智の滝の曼陀羅、チベット密教(多く有るが)
の曼陀羅と色々あるが、一種の世界観を表している。
日本の曼陀羅には、自然界のものが多く出てくる特徴がある。
(木や石、滝や日月など) ・自分が学生の頃、神や仏を一緒にして戦争に負けた体験が
契機になって、米国の科学的知識を学ぶことで日本に役に立ちたいと考えた。
米国に行くと「カール・グスタフ・ユングの心理学」を学び、曼陀羅が
世界に通用すること気付いた。 ・ベトナム戦争を通じ、欧米人は人間の心は広く深いこと
また東洋の精神の深さを知る。
・本当にすごいものは、普遍性がある。
修験僧は教典は要らない「松風を聞け」と言う。
・神、人、自然→キリスト教でははっきり物事を区別する。
それが、自然科学を発達、発展させてきた。
・しかしキリスト以前のケルト文明(ヨーロッパ、とくにアイルランド)にあって
ケルト人は文明を発達させたが文字がなかった。
文字があると風が神であると限定してしまう。
・修験僧は松風の音でそれをやっていた。自然を大切にすることで。
現在は自然を人間から切り離し、結局は人間の心を失っているのではないか。
・この世界遺産は日本の固有的なものであると共に、
世界的に普遍的なものとして(他の国とも通用する)世界に繋がって行く
そんなところで評価されている所に値うちがある。
・ヨーロッパの近代科学も大事だが、人間を自然から切り離すことを
あまりやりすぎると、切れてしまって(公害等の)失敗がおこる。
・人間と自然は微妙な関係。(ヨーロッパ人は一度、人間と切り離してしまう科学。)・科学技術、自然観察ばかりでなく。自然と繋がっていかないとダメ。
歩いてみる。ぼーっと立ってみることで自然との一体感、恐れの体験をしてみる。
それが、あの場で体験できる。 ・自然科学を大切にしながら自然を満喫し、自然と一体化する皆さんを
お迎えしてくれる。
・世界遺産として認めてもらったものを大切にしたい。
アナウンサー:「私も紀伊山地にいって、松風に耳を澄ませたい。」
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