#8.自然についてA

 

 「自然」という概念がどういったものであるかについて考えるには、具体的な用法から考えていった方が判りやすい思います。「自然」という語を用いた言説の例として、いくつか挙げてみましょう。

 @「育児は母親がするのが自然である」。

 このような言説を発する人がいたとして、彼は何を言わんとしているのでしょうか。「これまで育児は母親がすることが多かった」、即ち“今まではこうであった”のだと、彼は言いたいのかも知れません。そうした可能性もあります。が、同時にこの言説は、次のような読みも可能です。つまり、「育児というものは、今後も母親(つまり、父親を含めた他の人間ではなく、ということ)がすべきものである」、即ち“今後こうすべきである”のだと、彼は言いたいのかも知れません。

 A「思春期の人間が異性に心惹かれるのは自然である」。

 このような言説を発する人がいたとして、彼は何を言わんとしているのでしょうか。「これまでの歴史から見て、思春期の人間は異性に心惹かれる場合が多かった」、即ち“今まではこうであった”のだと、彼は言いたいのかも知れません。そうした可能性もあります。が、同時にこの言説は、次のような読みも可能です。つまり、「思春期の人間というものは、今後も異性に(つまり、同性ではなく、ということ)心惹かれるべきである」、即ち“今後こうすべきである”のだと、彼は言いたいのかも知れません。

 B「日本では、日本語を話すのが自然である」。

 こうした言説を発する人がいたとして、彼は何を言わんとしているのでしょうか。「これまでの日本社会においては、日本語が話されることが多かった」、即ち“今まではこうであった“のだと、彼は言いたいのかも知れません。そうした可能性もあります。が、同時にこの言説は、次のような読みも可能です。つまり、「日本においては、今後も日本語(つまり、他言語ではなく、ということ)を話すべきである」、即ち“今後もこうすべきである”のだと、彼は言いたいのかもしれません。

 多くの場合に彼は、この両者を同時に言おうとしています。つまり、“今こうである”ということと“今後こうすべきである”ということ、Seinと同時にSollenを、両者を重ね合わせています。そして「自然」という語においては、このタイプの重ね合わせが可能なのです。
 その重ね合わせの結果として、“今こうである“ことがそのまま“今後こうすべきである”に短絡させられます。上の例で言うなら、「育児は今まで母親がやってきたのだから、今後もそうすべきだ」、「思春期の人間は異性に惹かれることが多かったのだから、今後もそうすべきだ」、「日本においては日本語が話されてきたのだから、今後もそうすべきだ」、となります。
 つまりは、「自然である」という判断=「これこれはこういうものである」という断言が、現状を当為にすり替える。その結果生じるのは、現状を維持しようとする再生産の論理だけなのです。「自然」という語の用法は、その人の個人的な価値判断を支えている。更には共同体が発する、秩序維持の要請を見事に反映してもいるのです。

 


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