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■MILANO「ミラノ展」記者内覧会&開会式 |
会場:大阪市立美術館 会期:2005年9月6日[火]〜10月16日[日] |
■ストリート・アートナビ取材:展覧会シーン/Page-1/Page-2/Page-3 |
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はじめケルト人が定住し、紀元前3世紀には古代ローマ人が
住むようになったミラノは、紀元286年ローマ帝国の西方を 統治していた皇帝マクシミアヌスの居住地に選ばれ、歴史の 表舞台に登場する。313年、コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認するミラノ勅令を公布、374年には今日でもミラノを語る上で
欠くことのできない聖アンブロシウスがミラノ司教に選ばれた。この時期のミラノの芸術活動をリードしたのが、ローマ皇帝の高尚で洗練された趣味とアンブロシウスを中心とした初期キリスト教美術である。その後、「ゲルマン民族の大移動」の影響により芸術活動も一時衰退したが、カロリング朝時代(751〜)には石による彫刻や金工品の制作が盛んになり、さらには象牙細工の生産地として名声を確立した。 |
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▲上:ビザンティン様式の彫刻家
「皇帝妃テオドラの頭部像」6世紀
大理石 27×18×22cm スフォルツァ城市立博物館、古美術コレクション
Scultore di ambito bizantino/
Testa dell'imperatrice Teodora |
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13世紀末、ミラノは自治都市国家(コムーネ)からヴィスコンティ家による領主制(シニョリーア)へと移行する。ゴシック様式が隆盛を
極め、14世紀に入るとフィレンツェの画家ジョットやピサの彫刻家ジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョがミラノに招かれ活躍した。1386年には、ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ公の意向により、ミラノのシンボルであるドゥオーモの建設が始まる。ゴシック建築を代表するドゥオーモは、400年以上の歳月を掛け1813年にようやく完成した。ドゥオーモの建築で活躍した彫刻家ヤコピーノ・ダ・トラダーテ、宮廷で活躍した画家ボニファーチョ・ベンボも15世紀のミラノを代表する芸術家として特筆される。 |
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▲上:ロンバルディア地方の工房
「ヴォゲーラの聖体顕示台」
1456年 一部鍍金された銀、半透明エマイユ スフォルツァ城市立博物館、装飾美術コレクション
Bottega lombarda/
Ostensorio di Voghera |
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▲上:ヤコピーノ・ダ・トラダーテ
「玉座の聖母子」1425年頃
大理石 78×36×33.5cm スフォルツァ城市立博物館、古美術コレクション
Jacopino da Tradate/Madonna con bambino in trono
◎マリアと幼児キリストが交わす、視線と愛撫のこの上なく優しいやりとりは、ロンバルディア美術に広く認められる自然主義、現実とさまざまな感情に対する情趣豊かな探究の、早い時期における一例となっている。 |
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1450年、フランチェスコ・スフォルツァによる統治が始まり、その統治下でヨーロッパ全体に商業網を持つ強国としての地位を確立したミラノ公国は、都市計画や建築、芸術に関する新しい思想の実験の場となった。巨大な要塞であったスフォルツァ城はルネサンス様式の洗練された宮殿へと姿を変え、ヴィンチェンツォ・フォッパやブラマンテといった芸術家が活躍した。なかでも、1482年頃ミラノに
やってきたレオナルド・ダ・ヴィンチは、芸術家としてだけでなく発明家、軍事技師として通算25年ものあいだミラノで活躍し、「最後の晩餐」をはじめ大きな足跡をミラノに残した。その影響は、弟子のチェーザレ・ダ・セストやマルコ・ドッジョーノの
作品にも明らかである。 |
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▲レオナルド・ダ・ヴィンチ
およびロンバルディア地方の画家
「キリストの頭部」1494年頃
チョークとパステル、紙 40×32cm ブレラ美術館
Leonardo e artista lombardo/Testa di Cristo
◎きわめて繊細なこの素描は、レオナルド研究者たちによって長きにわたる綿密な分析が加えられてきた作品である。現在では、これがレオナルドによる貴重なデッサンであり、おそらくは「最後の晩餐」の中央に位置するキリストのための準備素描であるという見解が認められている。 |
▲レオナルド・ダ・ヴィンチ
「レダの頭部」1511〜1519年
赤チョーク、赤色の地塗りを施した紙 20×15.7cm
スフォルツァ城市立博物館、素描室
Leonardo da Vinci/Testa di Leda
◎本作品は、スフォルツァ城市立博物館の素描コレクションの中で最も貴重なものである。その柔和で魅惑的な女性像は、同時代に制作された無数の模写によってのみ知られるレオナルドの失われた絵画、「レダと白鳥」を明らかに想起させるものである。 |
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1499年、フランス軍のミラノ占領により、長く輝かしいミラノ公国の時代は突然の終わりを告げた。16世紀前半、彫刻では古典主義の手本に独創的な解釈を与えたパンパイアが活躍、ブラマンティーノは画家・建築家としてだけでなく芸術理論家としても知られる。ミラノ周辺の画家たちは、レオナルド・ダ・ヴィンチの影響にあまりに強く縛られていたため、その模倣の城を出ることはできなかったが、少し距離を隔てたベルガモのロレンツォ・ロットやパルマのコレッジョといった画家たちにとって、レオナルドの芸術はこの上
ない刺激となった。また、16世紀後半には、ミラノ大司教に任命されたカルロ・ボッロメーオの下、宗教建築・芸術が盛んに制作された。 |
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▲上:バンバイア(本名アゴスティーノ・ブスティ)
「ラヴェンナの戦い」1515〜1522年
大理石 96×118.5×78cm
スフォルツァ城市立博物館、古美術コレクション
Agostino Busti detto Bambaia/La battaglia di Ravenna
▲下:ロレンツォ・ロット
「若者の肖像」1525〜1527年
油彩、板 34.5×27.5cm
スフォルツァ城市立博物館、絵画館
Lorenzo Lotto/Ritratto di giovane |
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▲上:ロンバルディア地方の工房
「壁龕形式の聖遺物箱」
16世紀最初の30年間 木、水晶
スフォルツァ城市立博物館、装飾美術コレクション
Bottega lombarda/
Edicoletta porta reliquie |
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■MILANO「ミラノ展」 |
会場:大阪市立美術館(天王寺公園内)会期:2005年9月6日[火]〜10月16日[日] |
■ストリート・アートナビ取材:展覧会シーン/Page-1/Page-2/Page-3 |
■取材日:2005年9月5日 掲載:9月19日 ART SCENE/Street Artnavi |
■取材・写真・Webデザイン:ストリート・アートナビ 中田耕志 |
※上記の説明、写真キャプションは展覧会報道資料、展覧会図録、同展説明会を参考にしました。 |
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