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Kim Changsoo 金昌樹 個展「語り」 |
2005年9月6日(火)〜9月11日(日) |
展覧会時間:12:00〜19:00(最終日は17:00まで) |
kaede
Gallery 楓ギャラリー |
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▲「巡礼者達の鎮魂歌」2002年
グッドアート(京都市美術館) |
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つい先日、僕に稲妻を落とすような、啄木の詩「ココアのひと匙」に遭遇しました。 |
ココアのひと匙 |
われは知る、テロリストの |
かなしき心を− |
ただひとつの心を、 |
奪われたる言葉の |
おこなひをもて語らんとする心を、 |
われとわがからだを敵に擲げつくる心を− |
しかして、そは真面目にして熱心なる人の |
常に有つかなしみなり。 |
はてしなき議論の後の |
そのうすにがき舌触りに、 |
われは知る、テロリストの |
かなしき、かなしき心を |
啄木 |
(一九一一年六月十五日、石川啄木作。) |
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テロ計画を契機として、国家による横暴な弾圧で幸徳秋水ら12人が死刑となった「大逆事件」への、並々ならぬ興味・共感から、創られた詩です。絵を描いているといっても、イラク戦争など皆な遠い場所で起こっている出来事に、ゆるい時代の日本で傍観者でしかない無力の自分を解放してくれるような詩です。金
昌樹 |
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▲「僕の街は戦場だった」 |
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▲「現在の黙示」 |
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▲「衣笠雅子&雪丸ヒロキちんどんパフォーマンス」2002年 |
▲「作者とスタッフ」2000年 楓ギャラリー |
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▲「第2回空堀まちアート」2002年 |
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60年前に戦争放棄したはずなのに人道支援の名のもとに、今またアメリカ合衆国に追随する形でイラク戦争に参戦してしる。
こんな危うい日本に住んでいながら呑気に絵を描いている場合でないのである。 |
キム・チャンス |
「人道支援は丸腰でないと始まらない」 |
高遠菜穂子 |
「絵画はアパートの壁に飾るものではない。世の残虐と殺りくに対する武器である」 |
パブロ・ピカソ |
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▲アートシーン/画面をクリック(2005.9.28up)
“世の語り部でありたい-金昌樹” Street
Artnavi 取材 |
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■金 昌樹 個展「語り」 |
キム・チャンス |
KIM Changsoo Exhibition |
■2005年9月6(火)〜11日(日) |
12:00-19:00 (最終日17:00まで) |
■会場:kaede Gallery 楓ギャラリー |
〒542-0062 大阪市中央区上本町1-4-20 |
TEL.06-6761-0388 |
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略歴 |
金 昌樹 KIM-CHANG
SOO Profile |
1957年 |
在日コリアンとして大阪に生まれる。 |
1973年 |
高校の美術顧問
中村繁正氏に油絵を師事。 |
1976年 |
大阪市立美術研究所にて研修。 |
1978年〜80年 |
劇団犯罪友の会にて役者として演劇活動。 |
1983年〜98年 |
大阪の在日コリアンでつくる高麗美術展に第3回展より出品。 |
1990年〜99年 |
自由美術展 |
1991年 |
高麗美術会作家による『ウリ4人展』
(グランド・ギャラリー) |
1992年〜00年 |
自由美術協会所属の京都・大阪の作家による
『GROUP"free-dom"』(グランド・ギャラリー) |
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'92、'93
全関西美術展 |
1993年 |
釜ケ崎夏祭りに作品を展示 |
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グランド・ギャラリーにて初の個展 |
1995年〜96年 |
阪神大震災の記事より堀尾貞治ら現代美術の作家達の集う居酒屋「ぼんくら」を知り『
ぼんくら展』に参加-この頃より画風が具象から抽象へと変化しつつある。 |
2001年〜 |
グッド・アート展(京都市美術館) |
2001年〜03年 |
からほり・まち・アート(空堀商店街界隈) |
その他 |
個展7回・グループ展多数 |
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