カミングアウトについては、もはや語られ尽くした感があることは否めない。それにもかかわらずカミングアウトは、決して途切れることなく話題に上り続けている。それはカミングアウトこそ、ゲイにとっての生涯最大のクライシスであると言わんばかりの状況である。そうした状況そのものを、僕は否定しない。ただ問題だと思うのは、常にカミングアウトについての話題が、カミングアウトの是非を巡って回旋し続けているように見える点である。
「カミングアウトはすべきなのかそうではないのか」。この問いは不毛である。このように問題を立てた時、答えを与えることが出来ないのはもはや分かりきっている。それゆえ僕は、これまでこのサイト上でカミングアウトを話題として取り上げることを意識的に避けてきた。こうしたカミングアウトの是非についての、もはや収拾のつくとは思えない感情的応答の只中に参入することが、実りのない、ひとを極度に消尽させるだけの試みに思えたからである。
だがこの混乱しきった言説状況に対して、全く背を向けることもまた誠実な態度とは思われないと感じた。従って僕はここで、現状についての一つの鳥瞰図を与えることを試みたい。それは微力でしかあり得ないが、不毛さを回避するにはそれしか方法がないように思われるからである。
具体的には、次の論点を整理したいと考えている。
@カミングアウトが「個人の選択」ではありえないことについて。
Aカミングアウトを「個人の選択」と考えることの意味について。
Bカミングアウトの持つ意味について。
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