#2.パターナリズムについてA

 

 パターナリズムとは、元々の語義からすれば親が子を愛し慈しむように相手の面倒を見るということです。ところで、親が子どもに対して注ぐ愛は、基本的には自己愛と同じだと言われています。つまり、我が子を我が身と同じように考え、我が子の痛みを我がこととし、我が願いは我が子の願いと考えるということが、パターナリズムだったわけです。
 抽象的に言いかえるなら、パターナリズムとは、自己と対象との同一視から成立する。相手と自分とは、同じ意志を分かち合っており、同じ願いを心に秘めているという前提の基に、パターナリスティックな行為は為されるのです。
 無論、自分の身に対して不利益なことをする人間はいないことになっていますから(実はこう言い切ることは暴力的な単純化であり、「不利益」とは何であるかについてのより長い論考を必要とします。が、ここでは触れないでおきましょう)、相手に対しては「善意ある行為」が為されるわけです。「良識ある」「愛情に満ちた行為」が為されるわけです。このパターナリズムの特徴は、従って次のように整理できるでしょう。
 1.自己と対象の意志を同一視することから成立する
 2.その行為は善意・良識に従ったものである
 図示すると、次のようになります。

 

 さて、パターナリズム批判の中で、パターナリズムに対する対立概念として、オートノミーがスローガンのように掲げられるようになりました。
 オートノミーautonomyというのは、一般に自律と訳されていますが、早い話が、私のことは私が決める、という考え方です。自分のしたいことは自分が一番よく判っているのだから、誰かに自分の意志を委ねることはそのまま自分に対する不利益に直結するのだ、という考えが背景にあると言って良い。近代個人主義の中で培われてきた概念だと言えるかもしれません。
 ところで、オートノミーとパターナリズムとは、どういった関係にあるのでしょうか。
 パターナリズムは、前述の通り、@自己と対象の意志を同一視することから成立する、Aその行為は善意・良識に従ったものであるという二つの特徴から成っていました。では、オートノミーはどうでしょうか。オートノミーもまた、(自分に対して不利益なことをする人間はいないことになっているのだから、)その行為が善意・良識に従ったものであることは同じです(自分に対してする行為に、善意という言葉を使うことは少ないので途惑うかもしれませんが、内容は了解できると思います)。
 異なる点は、オートノミーの場合、行為の対象が行為の主体と同一であることです。パターナリズムの場合は、自己と対象の意志を同一視してはいたものの、その両者を同一とは見なしていませんでした。オートノミーの場合、行為の対象もまた自己であるわけですから、文字通り同一なのです。
 再び図示してみましょう。

 

 パターナリズムとオートノミーは、医療倫理の領域では重要な対立概念です。その相違点を繰り返すと、パターナリズムもオートノミーも、「イイコト」をすることに変わりはない。ただ、その行為の対象がパターナリズムでは他者であるのに対し、オートノミーでは自己である、ということなのです。
 抽象的で少し判りにくかったかもしれませんが、この違いはきちんと理解して欲しいと思います。文脈を医療に戻すなら、医師のパターナリズムを批判し、オートノミーに基づく医療を求める現在の風潮は、つまりは患者自身の意志、患者自身の主体性の回復を企図したものであったのです。

 


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