#3.4.ジェンダーについてC

 

 ジェンダーというシステムは、繰り返されることによって存続する。逆に言えば、存続するためにこそジェンダーというシステムは繰り返されつづけるのです。そしてこうした繰り返しは具体的な個人を通じて為されるわけであるから、個人のアイデンティティ形成に深く関与するわけです。逆に言うなら、ジェンダーというシステムの揺らぎは、直接個人のアイデンティティの揺らぎに結びつくのです。このような循環構造がここにはあります。
 さて、ジェンダーは男性と女性の二つの性に表象を振り分けるシステムだと説明してきました。だが、この二つの性は権力的に見て対称ではありません。例えば僕が住んでいるこの日本などは、これから説明するホモソーシャルな共同体機構をとっています。ホモソーシャルな共同体とは何か、というと、成人男性個人を単位とする共同体であり、かつその共同体は内部の均一化のため、複数のメカニズムを有するものです。この複数のメカニズムの中に、例えば女性という存在があるわけです。ここまでを図式化しましょう。

 この共同体を構成している構成員は実は成人男性しかいない。だが彼らの間で友愛に基づく連帯を形成させ、あるいは互いを競争相手と見なさせるには、媒介者が必要になる。その媒介者として、共同体構成員であれば誰もが欲望すると考えられる存在が必要となる。それが女性なのです。つまりこの共同体内部では、女性は男性同士の間で交換対象にさえなりうる、まなざされる対象としてのみ存在し、その存在によって男性同士の関係を維持するものなのです。男性はまなざすのみであり、決してまなざされる対象にはなり得ない。ここから男性には制度的にヘテロセクシュアルが要請されることは理解しやすいでしょう。
 ここから、ゲイが嫌悪される根拠が見えてきます。上で述べた説明では、男性同士は何らかのまなざしは共有しても、決して互いに欲望は向けなかった。いや、関係性の維持のためには向けてはならなかったのです。だがゲイはこうした友愛あるいは競争関係に基づく均一な関係性を混乱させ、共同体を構成する男性からそのまなざしの特権をうばい、まなざされる客体に陥れる、少なくともそう感じられる。それゆえこうしたホモソーシャルな共同体に生きる男性はゲイであってはならず、さらにはゲイを嫌悪することが要請されるのです。
 これは一度限りの儀式では済まされません。ジェンダーというシステムは、繰り返されることによってのみ維持されるのですから、女性を欲望しゲイを嫌悪するこの構造は具体的実践を通して証明しつづけなければならないのです。もしもちょっとでもそれが曖昧だと、たちまちその男性はスケープゴートとなって周囲から攻撃され放逐され、そうした攻撃によって逆に周囲は友愛関係をより強固に維持しつづけられるのです。友愛とは共通の敵という犠牲の上にしか成立しないものなのでしょう。

 日本においてはこうしたホモソーシャルな関係が、「おおやけ」と呼ばれる関係にあります。これは近代社会学が教えるところのパブリックとはまるで違うものです。パブリックとは、異なる文化=価値基準を持つもの同士が、互いを尊重しつつ共存していくような、そうした場=社会のことを言っています。無論こうしたパブリックが厳密な意味で実現している国はなく、その意味ではこれは現時点において尚「来るべきもの」に留まってはいるわけですが、ともかく日本の「おおやけ」という関係はこうしたパブリックではないし、それを目指してもいません。日本の「おおやけ」は極度に均一な共同体を目指す概念です。
 ところでよくこれに対比的に使われる言葉に、プライベートというものもあります。これはパブリックに対比する言葉で、パブリックの手の届かない、というか届く必要のない個人だけの領域のことを指しています。従ってプライベートには政府や法はおろか、他者が干渉することは許されない。ここで重要なことはパブリック概念の成立が、プライベートという領域の創出につながっているというこの関係です。言い換えるなら、パブリックが目指されてもいないような場で、プライベートというのは成立し得ないということです。これは事実上も権利上も妥当な考えです。パブリックというのは異なる考えを互いに認め合うという理念の下に推進されるわけですが、互いの領域であるプライベートを認めるということは、このパブリックな理念抜きには成立しない。
 翻って日本においてはパブリックという理念が元々ないわけですから、プライベートが成立する土台がないのです。よく人がプライベートと呼んでいるものは、まるでプライベートではありません。それは常に周囲の目に晒されているし、それに反対するだけの根拠がこの共同体にはないのだから。無論そのことは、この共同体においてプライベートと呼ばれている領域がない、ということは意味しませんが、ただそこでそれを前述のパブリックと対応するプライベートとは異なるということは確認しておく必要があります。
 このことを踏まえておかないと、いくつかの現象を捉えそこなう危険があります。妊娠や出産がプライベートなものではないということは別の箇所で指摘しましたので、ここではセクシュアル・オリエンテーションがプライベートなものではないということについて話したいと思います。
 ゲイの間でも、ゲイであるということはプライベートなことであり、人に話すようなことではないという人が、少なからずいます。それがカミングアウトに対する否定的評価を支えているのだと思いますが、そのように言っている当人の意図はともかく、そのようなゲイであるということをプライベートであるとするその議論自体は端的に誤りです。このことは、先ほど述べたホモソーシャルという構造に、そもそも構成員をヘテロセクシュアルであると要請する機構が内在している、ということを指摘するだけで充分でしょう。
 抽象的に言われてもピンと来ない、としても、このことは具体的に考えてみればいくらでも思いつくはずです。男性の仲間同士で女性タレントの話になったときや、近くの席に座っている女性の話になったとき、共に欲望し合うというスタンスなしにいては、仲間関係を継続することは困難ではないでしょうか。ある年齢以上であれば、結婚をして子どももいて、という状態抜きには、たとえ現代においてさえ社会的信頼を得られにくいのではないでしょうか。私的なものの開示が仕事という「おおやけ」の場で信頼関係を構築して行く上で必要になるというなら、もはやそれはプライベートでもなんでもないでしょう。第一ゲイであると周囲に言ったり説明したりすることをことさらカミングアウトと呼び、それについてこれほどまでに話題になるということ自体、ゲイであるということがリスクになることを明白に示しているのではないですか。
 もしもほんとうにゲイであるということがプライベートなことならば、周囲から何かひそひそ言われるような筋合いもなければ、それによってリスクを受けることもないはずです。それでもこの事態を、対人関係についてまわる、趣味や嗜好の合う合わないと同じレベルの問題と考える人もいるかもしれませんが、一対一の関係でならばともかく、このホモソーシャル構造は共同体全体に広汎に行き渡っており、そこから逃れられないという実情から考えればその指摘はあまりに的外れといわざるを得ないでしょう。こうした状況にもかかわらず、例えばカミングアウトされたヘテロセクシュアルの中には、ゲイであるということはプライベートなことであると簡単に言ってのける人がたくさんいるようです。僕にはそのように簡単に言ってのける人たちは、ゲイという存在を端的に無視しようとしているに過ぎないと感じます。なぜならカミングアウトされた後も多くの場合、彼らは自分たちの行動を振りかえりもせずホモソーシャル構造をそのまま維持してしまうからです。
 もちろん、もしかしたらゲイであるということをプライベートなことだと言い張る人は、ゲイであるということを誰もがプライベートなことと見なすべきだという主張をしているのかもしれませんし、それならば納得する人もいるでしょう。ただしゲイであるということをプライベートな領域と見なさせるには、ゲイに限らず、あらゆるセクシュアル・オリエンテーションをプライベートとして囲い込むこと、つまり性的行動や欲望に関わるあらゆるカテゴリー化とその差別化を排することが必要です。具体的には現行の婚姻制度やそれに基づく家族制度を解体させ、かつそれらに関連して存在している慣習を撤廃し、その上で互いに互いの性的行動について関心を持たなくさせる必要があります。
 このようにゲイであるということを真にプライベートな領域として認めさせていくというのは、困難な課題ですが、ゲイに対する差別撤廃を目指す際の一つの方向性としてはありうるでしょう。もし、これとは違った形でゲイに対する差別の撤廃を目指すとするなら、現在ゲイ・リベレーション団体の多くが打ち出している方向性、つまり制度的にゲイの権利を保障していくという方向が考えられるでしょう。この二つの方向性は見掛けは異なりますが、どちらもホモソーシャルな構造を解体し、パブリシティを目指すという基本姿勢では一致していると言えるかもしれません。
 ともかく、現状ではゲイであるということはプライベートなことではなく、差別の対象であるということだ、というこのことはきっちりさせておく必要があります。もちろんこう言ったからといって、誰もがカミングアウトすべきだと言いたいわけではありません。カムアウトするかどうかというのは、各人がリスクとベネフィットを比べて判断すべき問題でしょう。ただそれは決して自由な選択ではない、どちらを選ぶにせよ強いられた苦痛を伴うものであるということは、当たり前なことながら確認しておきたいと思います。

 多少蛇足になるかもしれませんが、一つこれだけはどうしても付け加えておきたいことがあります。ゲイが運営しているウェブ・サイトは現在多数あり、僕なども時々それらを散策してみたりもするのですが、その時どうしても気になるのは彼らの多くが同じゲイのみを対象として語るような姿勢をもっていることです。
 例えばトップページにある但し書き、このページはゲイによって運営されているので、ゲイかあるいはゲイに理解のある人以外は入らないで下さいという趣旨のあの但し書きは、一体何のためのものなのか、見る度僕は考え込んでしまうのです。もちろん、MNJのような大量に個人情報を扱うサイトであれば、セキュリティという点から考えてああした但し書きをすることも、判らなくはない。けれど、個人サイトにおいてああした但し書きをする意図が、僕には掴みかねるのです。
 もちろん、ゲイ同士でつながることの重要性は極めて大きく、僕自身の体験からしてもそのことは到底否定できるものではない。ゲイ同士の方が共感できる部分も多いだろうし、日常で抑えつけている分何よりウェブ上ではゲイに向けて語りたいという気持ちも、判らなくはない。けれども同時に考えてほしいのは、ゲイがこの共同体において差別されているのは、ゲイが主体的に選び取った状況でもなんでもなく、この共同体に行き渡っているホモソーシャルという構造自体が問題なのだということです。ならば、この共同体の大半を占めるヘテロセクシュアルの人にゲイとしての想いが情報として届かなければ、ゲイの置かれているこの状況は変わりようがないでしょう。にもかかわらず、現在大半のサイトはゲイ以外の人間にメッセージを伝えようという姿勢がない、自分からゲイの仲間内に留まろうとしている。少なくとも僕にはそのように感じられて仕方がないのです。
 そうした内閉化は、内面化されたホモフォビアというだけでは説明がつかないように思います。もしかしたら、カミングアウトに対する失望もあるのかもしれません。ゲイ・リベレーション団体が提示するような大きな物語を、もはや信じることが出来なくなっているのかもしれません。それならば仲間同士で楽しく過ごせる方が良い……、そう感じるだけの根拠が、現在のこの共同体にはあるのでしょう。それは確かに理解できます。だが、他者に対して語るという姿勢がなければ決してパブリシティにはたどり着けないし、現時点で広く存在するゲイに対するバッシングは今後も消えていかないでしょう。

 

<予告>

 よしひろは8/28まで旭川を離れます。従って当分の間、この続きをアップロードすることはできません。この話の続きを是非読みたいという方はまぁ、ほとんどいないとは思いますが、あんまりにも長い間ストップし続けるのもどうかとも思いまして、言い訳として今後の展開に関してちょっとだけ触れておきたいと思います。

 『ジェンダーについて』では以下で、次のような論点を扱いたいと考えています。
 @セクシュアルマイノリティの子どもの権利を守るとはどういうことか。性的自己決定権・ジェンダーアイデンティティ・セクシュアルオリエンテーションなど、いわば当事者の大人たちが作り上げてきた概念では、子どもたちが本来抱えている揺らぎを容認できないが故に新たな抑圧となる危険性がある。例えばある子どもゲイであり、しかも現在流布しているゲイ・アイデンティティにアイデンティファイできない場合、彼に対する援助的関係とはいかなるものでありうるか?
 A医療におけるセクシュアルマイノリティ。インターセックスやトランスセクシュアルへの治療が、当事者の抑圧になっている現状について。当事者の声が反映されている医療の可能性を考えたい。それはおそらく、この共同体に強固に存在している価値体系に異議申立て、それによる支配を揺り動かすことにどうしても繋がるだろう。そうして当事者の持つ可能性の幅を広げていく必要がある。では何故医療現場がそうなっていかないのか?

 ……こういった点について書き進めていきたいと思っています。ジェンダーについてはとにかくたくさんの人が考えて語っていくべきだと僕は思っています。何故なら、ジェンダーに関する議論は、誰もが同じ結論を出すようなものではないと思うからです。例えばここでのこうした立論は、僕が児童青年精神医学を志望しているが故に出てきたものかもしれなくて、その意味で広く一般的な書き方はしていないと自分でも思いますけど、とにかく書くことが大事なのですから。

 


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