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■MITSUKO TABE Exhibition「疾走する美術家・田部光子の世界展」 |
会場:ワイアート
ギャラリー Yart Gallery 会期:2009年10月1日[木]〜18日[日] |
■ストリート・アートナビ取材:展覧会シーン |
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●ギャラリートーク:美術家
田部光子さんのトークから。
・田部光子さんに初めて会う人が誰もが知りたい彼女の老いて(今年76歳)なお盛んなわけは?なぜ林檎をテーマにしているのか?そんな疑問に田部さん自身が脇道にそれながらも端的に答えてくれました。 |
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◎ワイアート ギャラリーの樋口さんの質問は、「九州の福岡にお住まいの田部さんが現在まで美術家として第一線でやっているエネルギーの源を知りたい。」
・暴れん坊の九州派は20人程の前衛美術団体でしたが、1961年に東京・銀座の画廊に殴り込みをかけた。展覧会のチラシは芝居の東京公演風に作り、女座長として名が載った。男座長は石橋泰幸だった。
・父親の仕事の関係で台湾(現中華民国)生まれ、あの頃は日本の植民地だった。九州派の男達の死亡率は高い、現在まで活躍していて元気なのは私ぐらいで、良くあんたはエネルギーがあると言われるが自分では分らない。つい最近、屏風絵の下地に金箔を100枚貼ったが、まだまだ自分は元気だと思った。
・よく芸術家と言って威張るけど、それは薄っぺらい。ひとり一人の人生の方が重い。農村ならば百姓そのものが芸術で、人の人生、個人個人の人生が芸術ではないか。子供こそ最大の芸術作品。
・希望を無くすことなく、酒や薬の力を借りることなく、簡単にいうと、人生の出来事を制作していく。1963年から林檎の出来事を描いてきた。例えば家の庭に植えた2本の林檎、小さく細いが美人りんご。制作のためゴムで型どりをする。青りんごが去年は4回も花を咲かせたが実がならずとうとう枯れた。これは重大なことだ。今まで元気だったのに、枯れるほどぼけていた。まあしかし隣の富士が元気で赤い実をつけている。
.なぜ林檎を描くのか。アメリカでは自分の作品について30分程しゃべらないと駄目。日本ではしゃべりほど軽薄と言われる。人類が初めて食べた。イブが食べてアダムに与えた。りんごは一番ポップ。少女の頃、台湾に住んでいたが内地(日本)から林檎箱に詰めて送られてきた。もみ殻の中から出てきた赤いりんごが綺麗で印象的だった。POPアートをするならリンゴが最高。林檎は神さまの象徴。女性の身体と相通じるものがあり描く。
・他人(ひと)のしたことはやらないのが私の画家としてのモットー。人体はレオナルドが最高、かなわない。だから私はりんごにした。『Sign
Language』これはリンゴのろっ骨、これを発見した時は誰にも言わなかったが、天にも昇る気持ちだった。
・ニューヨークのギャラリーで発表した時、アメリカ人がこの作品を見て『I never seen !』と言った。日本では作者の出身大学や所属する美術団体などルーツを作品の評価の材料にするが、『今まで見たことがない』のが一番。『感動がある』のが一番。ニューヨークではアジアのおばちゃんなんか関係ない。5000ドル(約55万円)で買ってくれた。
・アメリカで学んだことは、強烈な自己表現と瞑想。基本的にアメリカ人は絵が好き。日本人は、焼き物が好き。
・語り尽くせないりんごの話し。田部さんも2005年に不整脈になったが、4秒も黙ってられない自分が奥田式瞑想をやったのと、6キロ体重を落とすことで健康になり、今も朝8時から夜7時まで昼寝を1時間とり制作している。 |
(取材メモより:STREET
ARTNAVI 中田 耕志) |
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■「疾走する美術家・田部光子の世界展」MITSUKO TABE Exhibition |
・会場:ワイアート ギャラリー(公式サイト)
Yart Gallery |
・会場地図:ワイアート ギャラリー地図 |
・会期:2009年10月1日[木]〜18日[日] |
・11:00〜19:00 月曜休み 日曜・最終日は17:00まで |
■ストリート・アートナビ取材:展覧会シーン |
■取材日:2009年10月3日 掲載:10月8日 ART
SCENE/Street Artnavi |
■取材・写真・Webデザイン:ストリート・アートナビ
中田耕志 |
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