特別展「興福寺国宝展」鎌倉復興期のみほとけ
会場:大阪市立美術館(天王寺公園内)会期:2005年6月7日[火]〜7月10日[日]
ストリート・アートナビ取材:展覧会シーン/Page-1/Page-2/Page-3


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中央:「金剛力士立像」吽形 国宝 鎌倉時代 12〜13世紀(奈良・興福寺蔵)
◎金剛力士とは仏を守護する執金剛神の別称で、金剛力士と呼称される場合は阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)で寺門の左右に配される例が多く、2躯一対なので仁王とも呼ばれる。この半裸・等身大で一対の金剛力士立像は、鎌倉復興期の西金堂本尊丈六釈迦如来像を守護するため、その左右前方に配置されていた。口を開けて力を発散する阿形は、写実的で劇的で、気迫に満ちた忿怒相の表現。本展の吽形は口を閉じて力を内に蓄積する。阿形は息を吐き出す腹筋を、吽形は息を溜め込む肋骨から首筋を強調し、2躯一対で忿怒の呼吸の2相を表出した。我が国の仁王像表現の頂点ともいえる作品

左上:「薬上菩薩立像」右上:「薬王菩薩立像」重要文化財 鎌倉時代 1202年(奈良・興福寺蔵 仮金堂所在)
◎良薬をもって人々の心身を癒した兄弟の菩薩。鎌倉復興期の西金堂本尊丈六釈迦如来像の両脇侍。2躯はほぼ左右対称の造形で、顔は軽く本尊側に向く。ギリシャ彫刻のコントラポスト(片足に重心をかけた動きのあるポーズ)に近い表現で、堂々とした豊かな肉付けにして整然とした造形は、鎌倉復興期の諸像の中では古典的・復古的な優品。(※大阪会場のみ展示)
左下:「四天王立像/増長天」
重要文化財 康慶作 鎌倉時代 1189年(奈良・興福寺蔵/仮金堂所在)

興福寺高僧よる展覧会の無事と成功を祈る読経
特別展「興福寺国宝展 鎌倉復興期のみほとけ」開幕
奈良・興福寺ゆかりの「鎌倉仏教美術」が一堂に
 6月6日(月)に大阪市立美術館に於いて、待望の『興福寺国宝展』開会式が華やかに挙行された。法衣姿の僧侶、そして大勢の招待客、関係者が集う中、主催者として、関 淳一 大阪市長、多川俊映 興福寺貫首(かんす)、内海紀雄 朝日新聞社大阪本社代表、西村嘉郎 朝日放送社長の挨拶の後、華やかな開会のテープカットが行われ高らかに開幕のアナウンスが告げられました。その後、会場内で特別に興福寺の高僧による読経の中、厳かにそして賑々しく内覧会が始まりました。

本展覧会は、奈良・興福寺ゆかりの鎌倉仏教美術を同寺の宝物を中心に、国内寺社や美術館・博物館などが所蔵する関連の宝物を加えて紹介するものです。
2010年に創建1300年を迎える興福寺は戦禍や火災に見舞われるたびに再興してきました。中でも現在NHKで放映中の『義経』でもお馴染み源平合戦後の鎌倉初期の復興事業は国家規模で行われ、平安末の戦乱が残した壊滅的被害から力強くよみがえりました。造像には康慶、運慶ら慶派仏師などが参加し、日本仏教美術のルネサンスとも言うべき成果を上げ、数多くの尊像が現在に伝わっています。また絵画でも、この頃に成立していたと思われる南都絵所の絵師を中心にすぐれた仏画・垂迹画・絵巻などが制作されました。
長期的な復興事業は今も行われ、創建1300年には、江戸期に焼失した中心伽藍の中金堂再建に向けた立柱式を計画。
たくましさと写実性を備えた鎌倉仏教彫刻を中心に、絵画や書跡、考古資料、中金堂再建の資料など(国宝・重要文化財を含む)合計78件126点を通して、復興の成果と意義を展望する内容で、今日の復興事業を理解していただこうとするものです。

▲上段:テープカット/左から大阪市教育委員会委員長 山崎 高哉、朝日新聞社代表取締役専務大阪本社代表 内海 紀雄、
大阪市長 関 淳一、法相宗大本山興福寺貫首 多川 俊映、朝日放送代表取締役社長 西村 嘉郎、大阪市立美術館長 蓑 豊
いにしえの奈良・興福寺が感動と至福を運んで来た。
 天王寺公園の花々が色とりどりに咲いている。ようやく大阪の南の玄関にふさわしい景観になってきた。フェルメールの小径を抜けると青空に銀杏の緑が鮮やか、美術館が堂々と迎えてくれる。順番待ちの来館者のための白いテントが眩しい。
黒塗りに『興福寺国宝展』の文字の看板ゲートをくぐり館に入る。華やかな開会式の後、ようやく展覧会会場の入口に立つ。いつもここで心が引き締まる。正面でこちらを睨み人の邪念を戒めているのは『金剛力士立像 吽形(国宝)』その表情は武蔵坊弁慶の怒りの姿か、負傷の身で横綱武蔵丸を下した時の横綱貴乃花の鬼の形相か。ポスターにも登場しているが、写実を基調とした作品は明らかに鎌倉時代の彫刻だ。これだけの存在感も素晴らしい。運慶、康慶以外にも奈良仏師がおったことがわかる。四方には運慶の親父さんの康慶作の四天王(重文)が配置され、さらに正面左右に大阪会場のみで陳列される背丈3.6メートルを超える薬上・薬王両菩薩(重文)が優しくそして入場者を見守るように立っている。気がつくと何時のまにか人垣の向うから声明が聞こえてくる。涼やかな絽の法衣に朱や緑、紫の袈裟が鮮やかな興福寺の高僧が仏頭(釈迦如来/重文)を前に本展の成功と無事を祈り読経している。会場はそこだけが緊張感が漂っている。いやがうえにも盛上がる『興福寺国宝展』。(STREET ARTNAVI)
館長の挨拶(美術館応接室にて記者発表)
 蓑 豊(みのゆたか)館長の挨拶は、久し振りに大々的な展覧会を催すことになり幸運だ。奈良・興福寺からなかなかお出ましにならない彫刻が来られた。小さい頃から教科書などで見たことのある無著・世親両像を間近に見て圧倒された。さらに国宝、重要文化財指定の吃驚するような作品が多く展示された。
2階の絵画作品の展示室にも見物の作品、普段、見れない作品が陳列された。興福寺の力、その偉大な力を思う。寺は何度も焼かれているがこれらの物をよく残してくれたなあと、日本人として本当に嬉しい。2010年に創建1300年を迎える記念にこれだけの作品を出してもらった。皆さんが堪能できると思う。

担当学芸員の説明。
 石川展覧会担当学芸員は鑑賞のポイントとして、5都市の巡回展(東京・岡崎・山口・大阪・仙台)の4番目、その中で最大規模の展覧会であること。国宝、重要文化財などを含む合計78件126点を展示。
キーワードは
『鎌倉』。阿修羅像は出ますかと何度も電話で問合せがあるが「出ません。」ときっぱり、キーワードの2番は『復興』。NHKで放映中の源平合戦にもある平安時代の末期の南都焼討ちとその後の復興が東大寺を含め鎌倉初期の復興と云われる。
最大の見どころは慶派仏師の作品、運慶、康慶、定慶の作品。運慶の『無著・世親像』、運慶の親父の康慶の『四天王像』、定慶の『梵天像』が展示される。展示構成は1階が彫刻、2階は書画と像、考古の品々。
特筆すべきは薬王・薬上両菩薩像は初出品。巨像で作者不明だが慶派仏師と考えらる。仏頭(薬師如来像)は白鳳彫刻を代表するもので何故出ているかと思われるが飛鳥(山田寺)から興福寺に運ばれてきた故である。
2階では興福寺、春日大社の曼陀羅図や垂迹画を展示。書画の方も大きく復興、変貌を遂げた。復興の影の立て役者と云われる解脱上人の事蹟、法相宗の教学的な資料などを展示。
興福寺は大阪から1時間であるが、普段でもこれだけまとめて見ることは不可能、国宝館でもスペースが限られているので展示できない。関西人でも意外と知らない興福寺は法相宗の大本山、南都六宗の一つ、その宗派を取り上げた。「無著・世親は誰?」、定慶もほとんど知らない、関西人でもより知って欲しい。また興福寺以外の寺からも作品が来ていることなどを説明された。
(取材メモより)
◎国宝11件30点、重要文化財24件42点、全78件126点を展示。
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特別展「興福寺国宝展」鎌倉復興期のみほとけ
会場:大阪市立美術館(天王寺公園内)会期:2005年6月7日[火]〜7月10日[日]
ストリート・アートナビ取材:展覧会シーン/Page-1/Page-2/Page-3
取材日:2005年6月6日 掲載:6月9日 ART SCENE/Street Artnavi
取材・写真・Webデザイン:ストリート・アートナビ 中田耕志
※上記の説明、写真キャプションは展覧会報道資料、展覧会図録、同展説明会を参考にしました。

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