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■特別展「興福寺国宝展」鎌倉復興期のみほとけ |
会場:大阪市立美術館(天王寺公園内)会期:2005年6月7日[火]〜7月10日[日] |
■ストリート・アートナビ取材:展覧会シーン/Page-1/Page-2/Page-3 |
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法相宗大本山興福寺は、わが国筆頭の藤原氏の氏寺として、その起源を大織冠藤原鎌足(614〜69)に発し、度重なる災害や歴史上の悲劇に遭遇しながらもその都度復興を果たし、今日まで輝かしい歴史と文化を伝えている。 |
1180(治承4)年、平重衡の南都焼討ちにより、興福寺伽藍は灰燼に帰した。その復興造像は、1181(治承5)年より1229(寛喜元)年頃にかけて京都仏師(院派・円派)と奈良仏師(慶派)が参加して行われた。(展覧会図録より転載) |
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▲「四天王立像」重要文化財 康慶作 上左:多聞天/上右:持国天/下左:増長天/下右:広目天 鎌倉時代
1189年(奈良・興福寺蔵/仮金堂所在)
◎黒眼に表から異材を嵌め込む点は、康慶作の南円堂・不空羂索(ふくうけんさく)観音菩薩坐像と共通する特徴である。各像とも動きは少ないが、厚い胸板やゆったりと構える破綻のない姿は、前代の天王像と一線を画している。過剰なまでに装飾が施されている。 |
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▲「十二神将立像」国宝 上左:真達羅大将・寅/上右:摩虎羅大将・卯
他に:安底羅大将・申/迷企羅大将・酉を展示
鎌倉時代 1207年頃(奈良・興福寺蔵/東金堂所在)
◎東金堂の仏壇上に安置される十二神将立像。いずれの像も頭上に十二支の標幟(ひょうじ)を表わす。像の自由な身のこなしや変化に富んだ表情には、鎌倉初期慶派仏師の作風的特徴がよく示されている。その制作には複数の仏師が携わったものと推測される。 |
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▲上:「文殊菩薩坐像」 国宝
鎌倉時代 12世紀(奈良・興福寺蔵/東金堂所在)
◎玉眼をはめて、頭にお経を載せて鎧を身に着けた珍しい姿。
作者不明だが当時の奈良は天才彫刻家が集まっていた。 |
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▲上左:「世親菩薩立像」上右:「無著菩薩立像」運慶作 国宝
鎌倉時代 1212年頃(奈良・興福寺蔵/北円堂所在)◎無著・世親は5世紀頃インド・ガンダーラに生まれた兄弟で、大乗仏教の理論的な基礎を築いた高僧。作者の運慶はその容貌を日本人の姿で表わした。「無著(むじゃく)」は穏やかな老僧、「世親(せしん)」は厳しい表情の青年僧、衣や袈裟に刻まれた似て非なる衣文の模様、質感など鎌倉彫刻のみならず日本肖像彫刻の頂点を示すもので、克明な写実表現のうちに高い精神性を見て取ることができる。運慶以外では作れない。
▲下:「地蔵菩薩立像」鎌倉時代 13世紀(奈良・興福寺蔵)
◎慈悲にみちた表情に手を合せる観覧者がいた。 |
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法相宗大本山興福寺は・・・
法相教学の根本道場・興福寺は春日山麓に連なる緑豊かな奈良公園に隣接している。現在の寺域は約2万5千坪。戦火や落雷などで、創建から幾度となく罹災したが、今日、境内には、古都奈良の象徴とされる五重塔をはじめ、東金堂、南円堂、北円堂、仮金堂、三重塔などの伽藍が甍を並べている。食堂跡には旧食堂の本尊・千手観音菩薩立像(国宝)や、旧西金堂の乾漆像などを安置するために建てられた国宝館があり、全国からの参拝客を迎えている。国宝・重要文化財に指定されている建造物は6件、宝物は64件を数え、仏教文化の日本有数の宝庫である。(展覧会図録より転載) |
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■特別展「興福寺国宝展」鎌倉復興期のみほとけ |
会場:大阪市立美術館(天王寺公園内)会期:2005年6月7日[火]〜7月10日[日] |
■ストリート・アートナビ取材:展覧会シーン/Page-1/Page-2/Page-3 |
■取材日:2005年6月6日 掲載:6月9日 ART SCENE/Street Artnavi |
■取材・写真・Webデザイン:ストリート・アートナビ 中田耕志 |
※上記の説明、写真キャプションは展覧会報道資料、展覧会図録、同展説明会を参考にしました。 |
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