#24.小児医療におけるパターナリズムH
ところで子どもの虐待への介入は、一般に非常に困難なものだと言われています。それは、@危機介入を望まない家族の子どもが対象であるということ、すなわち「おせっかい」な行為と見られること、A「かわいそうな子ども」対「悪い親」という視点で介入が為されやすい、つまり権威性がそこに存在するということ、B虐待という差別的ラベリングで介入が始められるという事件性を持つということ、C過剰な社会的反応からの早急な法的介入が為されることにより、差別や対立が生じやすいこと、などにより、親子関係の修復や調整という援助目的の介入が困難になってしまうためです。
介入の法的根拠もまた、状況の複雑さを反映したものとなっています。児童虐待防止法案では、@児童虐待の禁止、A守秘義務を負う職種にあるものも、通告を優先すること、B児童の安全確認のためには警察官の援助を要請できること、C面会通信の制限を行えること、D親権喪失制度の適切な運用が挙げられています。
この最後の親権喪失制度とは、民法820条:子の監護の教育に関する権利と義務、民法821条:子の居所を指定する権利という二つの条文と拮抗する形で設定されている以下の法です。@要保護児童の通告義務(児童相談所か福祉事務所へ、児童福祉法25条)、A立ち入り調査権(知事による立ち入り調査、児童福祉法29条)、B児童相談所の一時保護(児童福祉法33条)、C児童相談所による親子分離(養護施設等入所もしくは里親委託。親の同意がある場合は委託契約として児童福祉法27条に基づいて、同意しない場合は家裁の承認によるもので児童福祉法二十八条に基づいて行われる)、D親権喪失宣言(申し立ては子どもの親族、検察官、児童相談所長で、決定は家裁の判断による。児童福祉法33条の7及び民法834条)、E親権の緊急的一時停止(家裁審判規則74条)、F施設入所後の教育・監護等への措置(児童福祉法47条)。これらの法に基づいて親権喪失は為されるわけです。とは言うものの、これらの法が適確に運用されていたとは言いがたい。児童相談所でも、単独ではもはやどうしようもないという事例は数多く経験していると聞きます。とりあえず法律はある、だがこれらを運用するための具体的な手立てがない、ということです。
そしてまた、これらの法律に示されているものだけでは虐待という現象として結実してきている問題を解決することは出来ないこともまた、忘れてはならないことです。どういうことでしょうか。
確かに、この現時点において虐待されている子どもに対して迅速に援助を行うことが何より必要なことは当然です。だが、虐待が生じている背景として家庭内の精神力動の変調があるのであり、家族もまた援助を必要としているのです。虐待が生じる要因として、対人関係的なサポートが脆弱であることや物質的困窮、自信欠乏や依存傾向、自分が育てられたときの辛い経験や子どもとの愛着形成が十分ではなかったことなど多くのものがあることは既に述べたとおりです。その中でも虐待してしまう親に最も特徴的なこととしては、虐待してしまう親よりもむしろその配偶者に問題行動が顕著であるということ、それゆえ精神的支えになってくれないという点です。虐待してしまう親の持つ孤立感と重ね合わせると、虐待してしまう親もまた心理的援助を必要としているのです。こうした背景に介入することなしには、仮に今虐待されているその子を危機介入によって救い出したとしても、別の子どもに虐待が向けられたり全く別の形で問題が噴出する結果になるだけです。
ではこうした複雑な精神力動の変調を回復するにはどのような介入が求められているのでしょうか。ここで思い出さねばならないことがあります。一つは虐待は家庭という日常的な場で発生しているのだということ、そしてもう一つは、この場合に家庭というものが持っている自律性への介入が正当化されるのかという問題です。次にこの二点について考えていくことにしましょう。
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